MEOは1995年4月29日から5月7日までの9日間の日程で、ザルツブルクの
モーツァルト住家修復チャリティーコンサートを主な目的とした旅行を行ないました。
旅行は前半はザルツブルクにて演奏会、後半はウィーンの観光という日程で行なわれま
した。第1日目は空路ミュンヘンに入り、バスで深夜ザルツブルクに到着、翌日は市内
散策とステージリハーサル、そして3日目にモーツァルテウムのグロサザールにて演奏
会を行ない、4日目は再びバスにてリンツを経てウィーンに向かい、3泊のウィーン市
内および周辺の観光を行なったのち、帰国の途に着きました。
旅行の(超)個人的回想記 Vc 三谷 暁
旅行の前半のザルツブルクのことを書き留めた回想記が出て来ました。個人的な内容で
はありますが旅行の雰囲気を感じていただけるのではないかと思い公開することにいた
しました。
4月29日(土)
総勢42名のメンバーは13時10分発のJAL 1431便にて出発した。
機内の映画は「フォレスト・ガンプ」。だが集中出来ない。睡眠不足で眠かったのと
やはり落ち着かない気分だったからだ。気付いたときにはもうロシア大陸の半ばに達
していた。窓外には荒涼とした山々の間に白い湖が抱かれる景色が展開している。
ユトランド半島をさらに北上してスカンジナビア半島をよぎって行く。こういう世界
もある。生きている間に訪れることがあるだろうか?
機の第一到着地はイギリス、ヒースロー空港。ただし乗り換えのためだけだ。かなり
疲労が出て来た。足元もフラつく。ミュンヘンの空港はもう夜12時近いのに出迎え
のドイツ人たちは元気だ。人のよさそうな田舎のひとたちばかりだ。すぐにバスに
乗り換え。ここも通過しただけで印象はほとんどない。 バスはゆったりしており、
アウトバーンをひた走りに走って行くが、信じられないほどすべるように滑らかな
走行だ。一度だけ国境通過のため一時停止したがすぐに走り出した。
体は綿のように疲れている。真っ暗ななかを1時間半位走りバスのスピードが落ちたと
思ったらアウトバーンを出て目的地ザルツブルグの市街に入ったらしい。青白くライト
アップされた壮大な建築の並ぶ景色が左右につぎつぎに展開する。「本当に来たのだ」
という実感。バスがふとスピードをゆるめたとき、すぐそこのカフェから親しげにこち
らを見上げるひとびととふと眼が合った。
ここに住むひとたちの落ち着いた生活を感じ、全く別の生活がここのはあるんだなと思
う。ホテルに入る。もう深夜2時を回っている。真紅のじゅうたんが暗めの照明の中に
沈み込むようだ。壁の絵画もくすんでいる。 翌朝の簡単な説明があっただけですぐに
部屋に向かう。
4月30日(日)
目覚めるとここはザルツブルグ。まだ何か信じ難い。食事を済ませ外に出ると小雨模様
だ。ホテルは交差点角にあり広い道を少し行くとそこはもうミラベル庭園である。入り
口がはっきりわからない。普通の公園の裏口のような感じのところから入る。高い木々
の間を左右にゆったりカーブした小道に沿って歩いて行く。
少し上り下りが出て来て開けた場所に出たら、ここは写真で見たことがあるところだ。
左手に大きな建物、右手に低い木立に包まれるような庭園があり、その間の正面はは
るか先まで広がっている。遠近法の視点のかなたに浮かび上がる古城はホーエンザル
ツブルグ城。
ミラベル庭園の裏手から入り正面を望んでいるのだった。ミラベルの隣が名高いザル
ツブルグ・モーツァルテウムである。11時からのコンサートを聞きたいと思い急いで
向かう。途中、個人の屋敷と思われる建物の入り口の花に飾られた生け垣に出会った。
華やかというのとは違うが、香りのある趣味を感じた。何気ないのだが何かが違う。
モーツァルテウムの正面玄関にはモーツァルトの立ち姿の像がはるか高いところに
そびえていて、これもやはり写真でおなじみのところである。
大ホールの入り口に行くとオケの人達が同じようにチケットを求めて往き来していた。
だがもう売り切れだという。後で聞くと9時半頃から並んでいた4−5人が聞けただけ
という。でも明日はここで演奏するのだ。中は見られなかったが諦めはついた。
モーツァルテウムの隣の建物がこれまた観光名所のマリオネット・シアター。 ここも
いま開演したばかりで入れないそうだ。ウィンドウ越しの操り人形の虚ろな表情が妙に
訴えかけて来る。休日しかもメーデー前のせいなのか、ひとけが全くない。そして小雨。
それがなおさらのようにしっとりした情感を感じさせてくれる。
今日は夕方までは市内観光を兼ねてチラシを手分けして市内に配布することになってい
る。割り当てはザルツブルグ中央駅だ。 ミラベル庭園をゆっくり見てから市内観光に
向かうことにした。今度はミラベルの正面から入る。入り口前に売店らしき店を見て観
光地らしさを初めて感じる。入って振り向くと霧に煙るホーエンザルツブルグ城が高い
ところに浮かんでいた。写真のように映像がいつまでも鮮明に記憶に焼き付いた。
円形に飾られた花壇が庭のあちこちにひとまとまりの空間を造り出している。チューリ
ップたちの誇らしげに咲き誇る姿は鮮烈だ。こんなにたくさんの色とりどりのチューリ
ップが他の花たちを圧倒しつくしている様も初めてだ。この幾何学模様の感覚は日本と
は全く違う文化のひとたちが造り出したものだ。木立に埋もれた感じの庭園のあちこち
には、おどけたようなグロテスクなような奇妙なモンスターの彫像がいる。 大司教が
妻妾のために造った夏の離宮だ。女性たちを楽しませるためのささやかなしかけなのか
も知れない。
次なる目的地はザルツブルグ中央駅。ガイドブックを見ると市電で行けることがわかっ
た。だが乗り場は?少し歩き回りそれらしき停留所を見つけた。しばらくして市電は来
たが運賃はどうすればいいのだろう.....
とにかく中央駅に無事着いた。やはり駅前らしい雰囲気の一角である。肝心の駅は改築
中とのことで周囲は工事現場のようになっていた。駅そのものはごく小さい。やはり小
さな街なのだなあと思う。無事チラシは置いてくれた。 役目を果たしたので安心して
観光に向かう。再び市電に乗る。系統はなんとなくわかったが、どこで降りたらいいの
かハッキリしない。それらしきところに来たら降りることにした。
この市電というのが日本のそれとは少し違う。まずレールがないこと。つまりタイヤを
履いているのだ。だからあのきしむような走行音がない。上はパンタグラフ。これは同
じである。早い話、バスがパンタグラフからエネルギーをもらって走っているようなも
のだ。その走りっぷりはちょっとこわいくらいに早い。カーブなんかでよくもパンタグ
ラフから外れないものだと感心する位だ。低騒音かつ無公害そしてスピードも出る。
そう考えるとこの選択は納得が行く。
市電がザルツァッハー河を渡ってすぐのところで下車した。旧市街の有名な一角に入っ
て行く。石畳の歩道を上がって行くとレジデンツ広場に出た。ここには観光客がいた。
でも思った程の混雑ではない。 ここで思い出すというか嗅覚が呼び覚まされるのが
「馬糞」のにおいだ。観光馬車が行き来するさまはビデオや写真でははなはだロマン
チックだが、現場に居合わせると.....
モーツァルトの生家を見学。狭い階段や手すりそして部屋の窓から見た街路、手書きの
楽譜や楽器たち...時代を超えて何かが伝わってくる....
そして今回の旅行に縁の深い住家は修復工事のまっただなかであった。
食事をとり、新市街まで歩いて帰った。天気はまだ良くならない。ザルツァッハー河か
ら眺めた景観は中世そのものといった感じである。
ホテルで少し休んだ後、夕方から練習のためモーツァルテウムに向かった。ミラベルを
裏手から入り表の入り口に出てモーツァルテウムに行く。庭を突っ切る感覚で何となく
ぜいたくな感じ。グロサザールに着くともう皆来ていた。現地の楽器屋さんで借りるこ
との出来たチェロが到着していた。そして....練習が始まり...
あのカッサシオンがホールに響きわたった瞬間のことは一生忘れないだろう。遠近法の
ように遠ざかって行く残響 ……。自分たちの楽器の出す音響の中から、音楽そのものが
自然ににじみ出て来るような何ともいえない感覚。ビデオやCDのあの音をいま自分たち
が創り出してことが信じられなかった。自分の弾いている音がもうすでに音楽的に聞こえ
る。ホール自身に音楽を教えられるようだった。これが文化というものだろうか。
4人が借りたチェロはとても良く調整が出来ていて、この街の音楽に対する良心といった
ものを強く感じた。明日の演奏に対する不安が消えてとても安心した気分になった。
5月1日(月)
午前中グロサザールでゲネプロ。モーツァルテウムの入り口近くの演奏会掲示板にMEO
のポスターが貼られている。隣にはモーツァルテウムのオーケストラ、カメラータアカデ
ミカの演奏会のポスター。本当に演奏するのだという感慨が湧いて来た。ポスターのデザ
インの格調の高さに感心。
演奏会は午後7時からである。それまでは自由行動。きのうに続いて市内を回った。昼食
はザルツァッハー河に面したレストラン。外のテーブルで新市街の美しい景観を味わいな
がらの落ちついた時間を過ごすことが出来た。2日目に入り体がこの街のテンポにだんだ
んなじんで来たようだ。東京での気ぜわしい毎日とこちらは全くの別世界だ。旅行をして
いるからというだけではない何かが違う。
そして演奏会。音響の素晴らしさと雰囲気のおかげもあり、緊張はしたが不安は全く感じ
なかった。客席のお客さんは決して多いとは言えなかったが、演奏を聴いて下さっている
感じが日本とは全く違っていた。演奏している私たちを励ますというか演奏する側と一緒
になってくれているという感覚である。良く分かってくれる人の前で話を聞いてもらって
いるような安心感があった。身を乗り出すようにして聴いて下さって1曲毎に暖かく熱の
こもった拍手をして下さったひとりのお客さんのことが忘れられない。
演奏会とレセプションが終わり皆でほっとしながらホテルに戻る。ミラベルから見上げた
星空がきれいだった。
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