これはサイト管理者が個人的に作成した音楽関係用語の小辞典であり、既存のいかなる音楽団体、音楽家、音楽辞典、音楽用語集とも何らかの関連があるものではありません。
排列は人名以外は英語(日本語の言葉はローマ字で)の辞書順によっています。一部項目の関連性を持たせるため、活用や音便によって前後している場合があります。
筆者の個人的趣味で、元々キリル文字で表記されている人名はドイツ式のローマ字書法によっています。参考にした資料や歴史的経緯により、あまり正確なものではありません。ご了承ください。
項目が偏っているというご意見は請けかねます。「ここはオケのサイトだろう」というご意見に関しては、だからこそ別ジャンルを紹介したいのだ、ということでご容赦を。
この用語集に対するQ&A
記号 0-9 A B C D E F G H I J K L M N O P Q R S T U V W X Y Z
sharp<楽譜>
#ではない。JISの第一、第二のセットにはほかに♭はあってもナチュラルは見当たらない。日本工業規格的にはなるべく転調はするな、ということなのかもしれない。
double sharp<楽譜>
学習指導要領に盛り込まれなかったおかげで見たことない人が多数。ダブルフラットと違い、何を意味しているのか譜筋の読める人でないと多少判りづらいものかもしれない。ばりばり転調する曲が書かれるようになる前に平均律が勝利してしまったためにトリプルシャープ、クァドラプルシャープといった記号は存在しないが、邦楽だと例えば筝の楽譜は五線譜として書いてあっても実際にはタブラチュア(箏では琴柱より先の弦を押さえることで音高を上げることができる)なので、トリプルシャープないしそれ以上の記号が存在する。
C clef<楽譜>
五線譜に先割れスプーンが刺さっているさま。
segno/-i(伊)<名詞>
もちろん「記号」の意。「ダル・セーニョ」の戻り先を指示する記号。BASIC では行番号、FORTRAN や Perl ではラベルである(このことからわかるように、楽譜は手続型言語である)。goto 文を多用しすぎてプログラムが錯綜している(絡まっているのでメンテし辛い)状態をスパゲティと称するのだが、そうなると「ラデッキー行進曲」(J. Strauß I)は立派にスパゲティしている。ラデッキー将軍は対イタリア戦争で名を上げた人物であり、これはイタリア人の呪いかもしれない。
なお、楽譜をオブジェクト指向化したからといって弾きやすくなるわけではないと思う。実際の演奏においてどこに飛ぶか認識するのは結局、奏者である人間だから。
1st<演奏>
特に管楽器の一番奏者のこと。一番目立つ、一番難しい、一番偉そう、一番神経に触るなどの意味を総合した呼称。弦楽器だとヴァイオリンの場合は「第一」と何だか定冠詞がつくことになっている。この場合は何が一番かというと「一番音符の数が多い」であるが、まれに第二ヴァイオリンの方が多い場合もある。
twelve note composition<作曲>
% perl -e '$a = 1; for (1 .. 12){ $a *= $_ } print $a, "\n";' 479001600 %…結構あるな。
tit(それは四十雀)
きざみの弾きすぎのこと。
奏者が24人いること。
一回の演奏における嘘の個数。
ottava(伊)<名詞>
オクターヴ。男性形「ottavo」だと数字の8の意味。
C8H18。レギュラーより高く、の意。
リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」で、オクタヴィアンの歌うパートを意味する。
800 の項目があるのだから、当然八百万もあるのである。日本にはこれだけの神様がいるのだから、中には「アルルの“ファランドール”が本番に限りどこまでも速くなる神様」とか「ティルの冒頭のホルンが何度やっても一個所音を外してしまう神様」なんてのがうじゃうじゃいるのである。あな恐ろしや。
a(伊)<前置詞>
=at/by(英)。練習場所で楽器ケースを開いたクラリネット奏者、休憩時間に今まで使っていたリードを削っていたオーボエ奏者、本番中に居眠りしていたシンバル奏者、発声練習中のソプラノ歌手などによって発せられる。
chin rest<楽器>
ヴァイオリンの下側の表板についてる半円形の器具。以前聞かれたことがあるので一応書いておくと、普段は外しません。
筆者のヴァイオリンは中古で買ったとき、表板のあご当ての下になる部分のニスがずいぶん汚れていた。普通そういじる場所ではないので、前の所有者はあご当てなしで使っていたのではと思っている。
assistant<演奏>
補助奏者とでも称すべきポジションのこと。「ホームヘルパー」のヘルパーがしばしば「ホーム」の主より力持ちであるのと同様、アシの方が上手である(ことを祈る)。
「足」とは微妙に違い、こちらは足手まといを意味する。
也寸志・芥川(1925-1989)<作曲>
「N響アワー」でなかにし礼のヲヤジギャグのよき緩衝材になっていたのを懐かしむか否かで世代を分けられる示準化石。「カラヤンの最後の来日を知っている」「一番見慣れているホールはNHKホールかそれともサントリーか」なども同様。
アマオケでの演奏回数がもっとも多いであろう日本の「現代」音楽。
alto(伊)<名詞>
一昔前は学生街に路駐してある車の定番だったなあ…
ルロイ・アンダーソン(1908-1975)<作曲>
SPレコードの収録時間くらいしか落ち着いて演奏を聞いていられない子供を量産した。
灼熱の鉄板の上に子猫を乗せ、二本足で踊らせる見世物の音楽。最後はほうほうの体で鉄板から逃げ出し、飼い主に向かって威嚇をするところまで描写されている。
キー配列がDVORAK式の方が速く演奏できるらしい。
映画のタイトルで知られる「ローマの休日」とは、言外に「奴隷労働の搾取の上に成立している貴族社会の優雅」という意味があるらしい。これになぞらえると「後打ち楽器の搾取の上に成立しているトランペット奏者の我侭」という音楽になる。まれに伴奏が暴走して演奏が崩壊することがあるが、これをプロレタリア革命という。
以降、「トランペット吹きの二度寝」「トランペット吹きの無断欠勤」「トランペット吹きの失業」「トランペット吹きの引きこもり」…と続く。
attacca<用語>
楽章の切れ目なんてアタッカしら。
パート譜通りなんて全然弾けてなかったけどお客さん喜んでくれたしまあ、いいかという気にさせてくれる音楽。第九やチャイ5が相当する。
bucket<演奏>
演奏中に管の中にたまったつばや水滴を捨てるための容器。終演後は一つにまとめて、一番音を外した人が打ち上げで一気飲みすることになっている。
Bach(独)<名詞>
小川のこと。
C.P.E.Bach のシンフォニアのこと。マンハイム楽派の一員として古典派の枠組みの一環となる。
M.Casadeus によって贋作された、J.C.Bach 作とされるチェロ協奏曲(ほかにヴィオラ版、ヴァイオリン版もある)。インチキがばれた今となっては、レパートリーに飢えるヴィオラ奏者によってのみその存在意義がある。
P.D.Q.Bach の「1712年」など。
ベートーヴェンのヘ長調交響曲「田園」の第二楽章の副題「Szene am Bach」(小川のほとりでの情景)を誤訳したもの。
ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)
音楽の父。現代の音楽の状況はさしずめ親知らずといったところ。
現在では絶滅してしまった珍しい楽器ブランデンブルクのために書かれた協奏曲。これはチェンバロやブロックフレーテやホルン、ヴァイオリンやヴィオラなど多彩な音が出せる、現在でいうシンセサイザーのような楽器。現在では楽器がないので、チェンバロやブロックフレーテやホルン、ヴァイオリンやヴィオラなどで代用して演奏される。
現在では絶滅してしまった珍しい楽器ゴールドベルクのために書かれなかった、BWV988の鍵盤楽器用作品。
BWV1001-1012の、ヴァイオリンのための三つのソナタと三つのパルティータ、チェロのための六つの組曲のこと。BWV1013のフルートのための組曲を入れていいかどうかはよく知らない。弦楽器奏者にとっての聖典とされる。ヴィオラやコントラバスのための曲がないのはきっと楽器扱いされてなかったからだろう。
筆者の出身大学のオケでは、チェロパートが必ず無伴奏のどれかを勉強させられることになっていた(今は知らない)。今考えるとすごい教育方針だったと思うが、指導方法によっては正しいことだったかもしれない。それにしても、ヴァイオリンのためのソナタ/パルティータは難しすぎて同じことができないのは残念である。
バルトーク、ベラ(1881-1945)<作曲>
晩年が悲劇だった人。二つの世界大戦に翻弄される生涯を送った。「あと100年早く生まれていたら…」と言われる人物だが、そんな頃に民族主義なんかまだ抬頭していなかったので、幸せだが平凡な無名の人としてその生涯を終えていたただろう。
昔からオタクはキモかった、という曲。
練習風景のどたばたをハタから見てるのが一番楽しい。
「管弦楽のための協奏曲」のこと。戦後、ルトスワウスキや三善晃をはじめとして類似品が多数出現したが、現在ではそれらが演奏されることは多くない。アマオケで選曲に上がると「ソリストが何人必要なんだ」と頓珍漢を言う人が必ず出てくる。当代随一と謳われたボストン響のテク披露曲も今やいいレパートリー。演奏の受容度というのは大切なものである。
作曲者の死亡により「蕎麦屋の出前」が露呈した未完の作品。あわやびよら冗句のネタが一つ増えて終わりだったところ、弟子の必至の補筆作業で何とか救われた。
6曲。世の作曲家がベートーヴェンの「16曲」の呪縛から抜け出せる端緒を作ったが、ために現代における四重奏はあらかた民族音楽の模倣になってしまった。
bass(伊)<名詞>
パソコンの中にある、公共交通機関の代表的なもの。安宿にはついていないこともある。繁殖力が強いのでむやみに池に放流したりするのは厳禁である。
acocompanyment<用語>
旋律の女房役。もちろん、嬶天下である方がいい演奏ができるのである。
plaster(Band Aid は商標かしらん)<医療>
止めネジがバカってしまった譜面台の柱に巻いて止め具にする、破けた譜面を応急処置する、薄ぺらのアンコールの譜面が風で飛ばないように譜面台に貼り付ける、欠けてしまった楽器の表面を保護するために貼る、欠けた楽器の部品をなくさないように貼りつけるなどの用途にすぐれた、ポピュラーな医療用具。
banda(伊)<名詞>
=side(英)。バンダの規模が大きい曲ではホールの階上席を閉鎖して配置したりすることもあり(ホール使用料が安くなったりする)、「客避けバンダ」などと呼ばれる。
Basoon<楽器>
→ファゴット
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1771-1827)<人名>
いわゆるクラシック音楽というジャンルが現代まで成立し続ける原因になった張本人。一部のコンテンポラリな音楽好きがいくら「なくした小銭への怒り(カプリッチョ、op.129)」「戦争交響曲(ウェリントンの勝利、op.91)」などのアレレ作品を喧伝しても彼の権威はなかなか失墜してくれない。 代表作は変ホ長調交響曲(op.55)、ハ短調交響曲(op.67)、ニ短調交響曲(op.125)、ポピュラーな作品は「エリーゼのために」「さらばピアノよ」「エコセーズ」など、駄作は三重協奏曲(op.56)、ピアノと管弦楽、合唱のための幻想曲(op.81)など多数、真に後世に影響を与えたのは後期ピアノソナタ(28番以降)、後期弦楽四重奏(op.127以降)。
アマチュアが最も演奏するのはハ短調(5番「運命」、op.67)、最も演奏されないのは変ロ長調(4番、op.60)、最も盛り上がるのはニ短調(「第九」、op.125)、最も仕上げにくいのはヘ長調(6番「田園」、op.68)、体力勝負なのはイ長調(7番、op.92)、弾いてて長く感じるのは変ロ長調(3番、op.55)、何やってんのかわかんないまま終わるのはヘ長調(8番、op.93)、知名度と暴走ぶりのギャップが激しい二長調(2番、op.36)、意外な完成度にびっくりのハ長調(1番、op.21)。マニアならイェーナ交響曲、大砲があれば戦争交響曲。
変ホ長調交響曲(op.55)。サイトウ・キネンが演奏すると「秀雄」になることは有名。
問:冒頭動機についての「運命はこのように扉を叩く」という作曲者自身の説明から言えることを述べよ。
>答:ベートーヴェンの家には呼び鈴がなかった。
ヘ長調交響曲(op.68)。原爆の成果を伝える米国のニュース映画でグラウンド・ゼロの映像にかぶせて使用されたことで有名。今でもアメリカのオケで「ノー・モア・ヒロシマ」といえば「田園はもう弾きたくない」という意味になる。
台風で街路樹が根こそぎになって練習がつぶれるような所に住んでいると、第四楽章「嵐」が夕立程度にしか聞こえなくて困る。せめてベルリオーズの「断頭台への行進」くらいの音楽が欲しかったところ。
イ長調交響曲(op.92)。「のだめ」のおかげでブームになってしまい、何度も弾かされる羽目になったので迷惑千万です。瞳を少女マンガにして千秋様とかうるうるしてる暇があったら一度本気で弾いてみたまえ。
ニ短調交響曲(op.125)。ほとんどの日本人にとって、唯一通しで聞いたことがあり、かつ演奏中に寝た経験がある交響曲。
計4曲。
./ ;ヽ
l _,,,,,,,,_,;;;;i <いいぞ ベイべー!
l l''|~___;;、_y__ lミ;l 逃げる奴はベトコンだ!!
゙l;| | `'",;_,i`'"|;i | 逃げない奴はよく訓練されたベトコンだ!!
,r''i ヽ, '~rーj`c=/
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/ ゙ヽ  ̄、::::: ゙l, ホント 戦場は地獄だぜ! フゥハハハーハァー
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l l ヽr‐─ヽ_|_⊂////;`ゞ--―─-r| | / |
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ピアノにとっての旧約聖書がバッハの平均律であるのと同じ意味において、弦楽四重奏にとっての旧約聖書。このジャンルでの権威ある新約聖書は未だ現れず、バルトークや西村朗、ヒンデミットやルトスワウスキやペンデレツキなどの新教団が乱立している。
op.18の1-6。モーツァルトの「ハイドン・セット」に倣って「モーツァルト・セット」と呼び習わすことをここに提唱いたします。
op.59の1-3(ラズモフスキー・セット)、op74、op.95。ラズモ3番のフーガで必ず暴走しちゃうびよりすとをどうフォローできるかで四重奏団の資質が問われる試金石。「The Art of Quartet Playing」で紹介されていたグァルネリのマイケル君がヘソ曲げたエピソードを読んで面白いと思い、いつかやってやろうと思ってるのだがまだ機会がない。
op.127/130/131/132/133/135。作曲後180年近く経た現在でもいまだに「現代音楽」であり続けられるほとんど唯一の作品。
※誉めてます
アルバン・ベルク(1885-1935)<作曲>
アルバン・ベルク四重奏団のネタ提供者。
1927年作曲。グリーグあたりに爪の垢を煎じて飲ませてやりたい気もするが、浮気は抒情的なのだろうかという本質的問題も同時にはらんでいる。
1935年作曲。最も判りやすく書かれた12音技法の曲で、換言すればほかがみんな判りにくいということである。
遺作のオペラ。風邪薬は敗血症には効かないという内容。
レナード・バーンスタイン(1918-1990)<作曲>
その多くの録音が新たな演奏の前に市場から葬られていった後には、比類なきミュージカル作曲家としての名が残るのだろうと思われる。人の世の移ろいを感じさせてくれる人物である。
カトリックのミサ曲を政治的に正しくしてみました。ユダヤ臭いのは仕様です。
エクトル・ベルリオーズ(1803-1869)<作曲>
若い頃「第九」に傾倒した経験が管弦楽の大家としての資質を育んだ。それは同時に、歓喜にまさるものはもうクスリしかないという事実を露呈する。
op.14a。「自分がドキュソになった夢を見ました」。
op.14b。メーキング・オブ・幻想交響曲。ファングッズの一種であろう。
世界最長のびよら冗句。どのあたりが冗句かというと、ソロでびよらがあるのにオケにもびよらパートがあることが、である。
ジョルジュ・ビゼー(1838-1875)<作曲>
文部省御用達学校音楽鑑賞教材作曲家。
そんな曲があるなんて誰も考えなかったので、パリ音楽院の図書館に眠ったまま60年ほど忘れられていた。探せば「ブラームスのオペラ」とか「ヴァーグナーのヴィオラ協奏曲」とかも見つかるかもしれない。
『甲に含まれる曲の割合が75%を超えている場合「甲の組曲」を名乗ることができる』(品質表示法より)
フランスオペラ界最初にして作曲者最後の総天然色オペラ。タバコ工場をリストラされたカルメンが故郷でまき起こすどたばたと悲劇。初演のタイトル・ロールは高峰秀子の名役で知られた。
子供はこんなバカ曲みたいな遊びはしません。
vocal<楽器>
コーラングレやファゴットの、楽器本体とリードをつなぐ金属パイプ。「あのボーカルは音程が悪い」「ボーカルとリードの相性が悪い」「ボーカルがベースに踏まれて潰れた」などのように用いる。
アレクサンダー・ボロディン
化学専攻の音楽愛好家にとっての希望の星。どういう希望かというと、化学で駄目でも音楽があるし、音楽が駄目なら化学があるから、というものである。
筆頭著者がボロディン、指導教官兼主査がリムスキー・コルサコフ、実験補助がグラズノフ。ちなみに研究室の買い出し責任者兼宴会部長はベリャーエフで、実験室の火元責任者はキュイだった。後にショスタコーヴィチが追証論文を発表している。
今日まで禍根を引きずることになるロシアの中央アジア干渉を正当化する音楽。
ヨハネス・ブラームス(1833-1897)<作曲>
暑い。重い。暗い。基準点がそういうところだから、他の作曲家にとっては平凡な旋律でも、ブラームスが使うととても耽美に聞こえてしまう。メロディに恵まれない作曲家にとっての希望の星であり、故にメロディなんて前時代的なものが禁止された現代音楽界には暑くて重くて暗いばかりの曲が蔓延することとなってしまった。
マルクスの「ドイツ・イデオロギー」に影響を受けて書かれた曲だが、旧共産圏では修正主義的とされ、歌詞が「森の歌」ばりの体制賛歌になっていたことは全く知られていない。何故知られていないかというと、この項目が真っ赤な嘘だからである。
ハイドンの主題による変奏曲(op.56)。ピアノ四手版が先に書かれ、管弦楽版はop.56aという番号になる。テーマをいじり倒した挙げ句、最後にやっぱり主題がよかったですという内容。ハイドンを持ち上げているのか、失礼しているのかは不明である。
学校での吹奏楽がさかんなため必然的に増えてしまう管楽器と、膾炙しているメソッドが100年前のものであるため近現代の音楽にアレルギーがある弦楽器からなる日本のアマオケの妥協の産物としてだんとつの演奏回数を誇る。サヴァリッシュが言うように10曲もあったら他の作曲家の出番などなかっただろう、とマイナー作曲家マニアは寡作に感謝している。
ハ短調交響曲(1番、op.68)。俗称「Aカップ」。21年かけてやりたいことを詰め込んだ。詰め込みすぎた。詰め込みすぎて、最初やりたかったこととは全然異なる方向性で驚きの完成度を見せた。
ニ長調交響曲(2番、op.73)。俗称「Bカップ」。ブラ1に気をよくして、その方向性で気楽なものを書こうと努めた。その気楽さが幸いして、人口に膾炙する名曲になった。
へ長調交響曲(3番、op.90)。俗称「Cカップ」。今度は自分の望むような曲を書こうと頑張った。頑張ったから、望み通りの評価を得た。地味な曲であるという。
ホ短調交響曲(4番、op.98)。俗称「Dカップ」。あと一曲くらい書いてもバチはあたるまいと書かれた。最後にはネタがつきてバッハから借りてきた。そしたらウケてしまった。ロリコンでつるぺたマニアだった作曲者は納得がいかなかったという。
op.120-1および2の2曲。クラリネット奏者はクラリネットのための曲だと思いたがり、ヴィオラ奏者はこれぞヴィオラの曲だと信じきっている、ヴァイオリンでも演奏されることがある作曲者晩年の作品。
op.51-1/2とop.67の計3曲。ベートーヴェンを意識しすぎたおかげで「衒学四重奏曲」と化した。晩年の「女声合唱のための13のカノン(op.113)」「間奏曲集(op.119など)」などはベートーヴェンの後期の世界をも期待できる逝ってしまった音楽であるだけに、後年まで弦楽四重奏を書き続けてくれなかったのは残念である。
102 名前:名無しの笛の踊り 投稿日:04/05/06 22:28 だ〜らだ〜らで〜れだ〜りらん チャカチャカチャカチャカチャカ だ〜らだ〜らで〜れだ〜りらん チャカチャカチャカチャカチャカ で〜れで〜れだ〜らだ〜ららん チャカチャカチャカチャカチャカ で〜れで〜れだ〜らだ〜らだん チャカチャカチャカチャカチャカ チャララ チャララ チャララ チャララ チャララ チャララ んばーばっ チャララ チャララ チャララ チャララ チャララ チャララ んばーばっ チャリラリチャリラリチャリラリチャリラリ ジャラララララララ どんどんどん ピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキ んぱーぱっ ピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキ んぱーぱっ オーケストラだと思います。昔ラジオで聴いてから頭から離れません。 おながいします 103 名前:名無しの笛の踊り メェル:sage 投稿日:04/05/06 22:32 >>102 ブラームスのハンガリー舞曲第1番では?
※ひげの塩焼きより再転載
練習嫌いのワイン中毒がゆっくり弾かないと今日び流行んねーんだよ、ボケが。
ベンジャミン・ブリテン(1913-1976)<作曲>
たまに「Britain」と誤記されていることがある。
「青少年のための管弦楽入門」、正式名称は「パーセルの主題による変奏曲とフーガ」(op.34)。名のとおり公序良俗に反するので日本で演奏される機会はほとんどない。そのかわりハイドンの前期やモーツァルトのマイナー交響曲やマーラーやブルックナーで管弦楽入門してしまう青少年が後を絶たず、日本の音楽界はオタクが跋扈することとなってしまった。健全な音楽教育のための和製管弦楽入門曲、通称「わかん」の作曲が待たれる。
これといいヴュータンのエレジーといいヒンデミットの葬送音楽といい、何でヴィオラのオリジナルのソロ曲って辛気臭いのばっかなんでしょうね。
「児童虐待DQN逝ってヨシ」
アントン・ブルックナー(1824-1896)<人名>
元祖下手ウマ系。最大の持ち味はしつこさ。生前からマニアに支えられ、死後マニアックに賞揚されてきた。よってブルックナー愛好家はみんなマニアである。
という項目をわざわざ立てること自体が嫌味になりかねないことにおいてはマーラーと二大双璧。他には3曲あるミサが合唱団でよく取り上げられ、室内楽では弦楽5重奏曲(ヘ長調)が知られる。
七番の交響曲(ホ長調)なら「ブル7」などと略される。ブルとは英語の Bull のことで、曲の牛のよだれ度をよく表わしている。
4番(変ホ長調)。タイトルがついていると有名になるという法則を具現している(ラフ(Raff, Josef Joachim(1822-1882))の11曲のようにのべつタイトルがついていたら有難味も薄れてしまうが)。普通の人にはこれ1曲あれば十分。これで気に入らなければよし、気に入ったらマニアの素質あり。
ハ短調交響曲(1887/1890年改稿)。細部を音楽的に磨こうとすれば遅くなり、構成力で攻めようとすると恣意的なカットや引用が邪魔をする。オケにハイスペックを要求し何度校訂しても必ずどこかに不具合があるさまはまるで某マイクロなんとかの製品を見るかのよう。
ジョン・ケージ(1912-1992)<作曲>
プリペアード・ピアノの弦に挟むのは釘のかわりにゴルフのティーを使うと弦も傷つかなくていい、と聞きました。
「オケ版にアレンジしたら5分18秒になっちゃったんですよね」などという冗談を以前から言っているのだがいつも何故かウケる。そんなに面白いかなあ。
セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996)<演奏>
ミュンヒェン・フィルの指揮台に常備されていた楽器のようなもの。トゥッティの場所で「ティ、ティ、ティ!!!」という音を発するのが特徴。作動すると全盛期のカラヤン/ベルリンフィルの64倍くらいの音量と音楽的広がりを発生させることができる。
Cello<楽器>
「新世界交響楽」の練習で出が遅れるパート。獣医の素質はある。
Cello Ensemble<宗教団体みたいなもの>
まったく同じ音響特性を持つ完成された楽器による均質なアンサンブルは時にシンセサイザーによる合成音のように聞こえるものである。チェロやヴァイオリンなどと比べると音響特性的に色々と不具合の多いヴィオラが加わるだけで、弦楽合奏というジャンルがどれほど豊かな果実を手に入れることができただろう、などと色々想像してしまうものである。
Clarinet<楽器>
語源は「小さなクラリーノ(バロック時代に多く用いられた木管のトランペット)」。壊れるとピアノでいう黒鍵音しか出せなくなる変わった構造をしている。
C管、B管、A管、エス管とグレードが上がってゆく。
BCl と略記してしまい、B♭管クラリネットだの塩化ホウ素だのと区別がつかなくなる現象が多発している。
プログラムが不正終了するほどひどい音程/音色のクラリネットのこと。
プリペイド式クラリネット。一定時間演奏すると音が出なくなる。
倉敷風の。
classical music<名詞>
"classic music"だと「最高品質の音楽」。何が最高かというと録音機材の品質が、であり、DENONによるPCM録音の荒川文化会館での演奏などが該当する。
"classical music"になると原義どおり解釈すれば「一時代前の音楽」になり、ピンクレディから斉藤由貴あたりまでが相当すると思われる。
Cluster Cord<演奏>
完璧なクラスターコードは物理学上、実現不可能である。すべての周波数の音が均等に鳴っている、ということは、ある周波数の音を打ち消す周波数の音が必ず鳴っていることであり、結果として無音になってしまうからである。などという屁理屈を盾になかなか弾いてもらえない音響効果。
ニカラグアの反政府勢力。英語のcontract(対抗する、反する)と同義。
Contrabass<楽器>
某国民的マンガのし○かちゃんに代表されるような「上品」「きれい」「憧れの対象」といった弦楽器への既成概念を打ち破るために存在するジャイアン的楽器。実際、弦楽アンサンブルにおけるリズムや音程は、根音を担当するコントラバスの采配にかかってしまうのである。
Contrafagot<楽器>
音程という既成概念に対抗するために出現した。
アーロン・コープランド(1900-1990)<作曲>
平成になっても生きていたという事実。
真珠湾攻撃がなかったら生まれなかったかもしれない曲。日本が負けるのも道理といったところ。
second violin<演奏>
楽器屋で「第二ヴァイオリンありますか」と聞いた笑い話はもはや古典的なものである。実際はオケのマネージャーが知り合いのヴァイオリン教師を訪れて、「第二ヴァイオリン奏者いませんかね」と尋ねるのである。
high position<演奏>
ヴィオラの譜面にト音記号が出てくること。
alternation<演奏>
「あ、何か今日あのパート上手いな」と思ったら代奏なことがある。
プフィッツナーの交響曲やフルトヴェングラー名演集など、意欲的なラインナップを100円という非常な廉価で提供しているレーベル。
downlike<形容>
聞くと気分が落ち込む曲のこと。絶対に義務教育の鑑賞教材にはならないので、一般への知名度は低い。ベートーヴェンの後期四重奏、シューベルトの最後の3つのピアノソナタ、マーラーの交響曲、ショスタコーヴィチの晩年の作品など、多くの大作曲家たちが一刀入魂であなたの気分を引きづり降ろしてくれます。
ellipse(←それは楕円)<演奏>
いくつかの意味で、名演でなかったこと。
work<名詞>
一般に、名作以外のすべて。
クロード・ドビュッシー(1862-1918)<作曲>
ピアノに容易なことが管弦楽では困難であることの実証。
アマオケにサンバル・アンティカやハープ二台を駆使して、自らの泥くささを証明してもらうために作曲された。
多数のオーケストラがここで沈没している。
こんな編成の曲を書くなんて嫌がらせとしか思えない。やりたいと思ってもどうやって残りの奏者を集めればいいのだ。しかも後世の作曲家が同じような編成で真似してくれるからますます手のほどこしようがない。何とかしてほしい。
×子供の領分
○ガキの分際
アントニン・ドヴォルザーク(1840-1904)<作曲>
名曲から愛聴曲までを幅広くカバーする巨大…じゃなくて。完成度が高ければ「さすがドヴォルザーク」粗削りなら「さすがドヴォルザーク」構成力が弱ければ「メロディがきれい」旋律が泥臭ければ「チェコらしい」と、なかなかまともに評価してもらえない。
9曲。現在第一番になっている「ズロニツェの鐘」(ハ短調)は作曲者の死後発見された。その生前には現在の第5番(変ロ長調、op.76)以降が一般に知られ、一部出版社の譜面で「新世界」(9番、ホ短調、op.95)が「第5番」などと表記されていたりするのはそのためである。当時は出版社が昔の作品に最近の作品番号をつけて売り出してしまうといったことが平気で行われ(交響曲5番もそう)、ドヴォルザークの中期の作品に関しては作曲者自身が昔つけた作品番号との間で混乱がある。
ニ長調交響曲(op.60)。「ブラ2」のパクりであるとされる。
ニ短調交響曲(op.70)。「ブラ3」のパクりであるとされる。
イギリスの出版社から出版されたというだけの理由でそう呼ばれるト長調交響曲(8番、op.88)。前述のように8並びは狙ってつけられたものではない。
お雇い外国人として明治政府に雇われたドヴォルザークは1892年から3年の間、日本に滞在して音楽取調掛(後の東京音楽学校)の主任教授として日々を過ごすかたわら、日本各地の民謡を採取して過ごした。「新世界」はこの間、1893年に夕方の町内放送で採取された「遠き山に日は落ちて」の旋律にインスピレーションを受けて大阪で作曲され、今や世界に膾炙する名曲となったのである。
ロ短調、op.104。前述の日本滞在時に…もういいって。
亡くなった作曲者の初恋の人への思いがいっぱい詰まっている曲である。現代ではもうこういう曲は書けないであろう。ストーカーで逮捕されるだろうから。
op.1がピアノ五重奏(有名なのはop.81の方)というだけあって弦楽四重奏曲は計14曲、ただしよく演奏されるのは「アメリカ」(12番、op.96)をはじめ後の方の数曲のみ。若い頃の作品は聴いているうちにどれがどれだかわかんなくなってくる。そのくせ案外難しかったりするから、録音が少ないのはそういうことなのだろう。他に歌曲集「糸杉」から12曲ぶんの作曲者自身による編曲などがあり、これは有線などで耳にすることも多い。
多数。作品番号外のものも含めれば網羅できないほど。大規模なものは作品44の管楽(およびチェロ、コントラバス)のためのセレナーデで、モーツァルトの「グラン・パルティータ」とほとんど同じ編成なのにやけにクラい曲。ピアノ三重奏は4曲、「ドゥムキー」(op.90)が最も知られているがこれは「連作ドゥムカ」(Dumky は Dumka の複数形)と称すべき曲でありピアノ三重奏の範疇に入れていいものやら。
イ長調、op.81。ピアノと通常の弦楽四重奏の編成。聴けば覚えるような印象的な名曲だが、中村紘子がピアノを弾くレトルトカレーの宣伝で使用され、コリアンダーの匂いといういらぬ条件反射を引き起こさせる。
ペータース出版社<楽譜>
版権がいい加減だった時代に日本の出版社にピアノ楽譜をさんざんコピーされたことがある老舗出版社。あろうことか表紙の色までソクーリだった時代もある。
カルマス音楽出版社<楽譜>
音をなぜか一個だけ外したり、ダイナミクスを間違えたりすること。まれに影譜を吹いてしまったりリピートがごっそり抜けていたりと、その被害は甚大である。
Enka<進一>
旋律の一音ごとに抑揚がつくことで特徴づけられる、日本語の音韻構造に最も適した歌曲形式。
end pin<危険>
刺されたら人生がジ・エンドになる、チェロやベースに内蔵されている棒。ベースの方が長さが短い。
pencil<演奏>
譜面に指示を書き込む、譜面に指揮者の顔を落書きする、転がして今日は正パートが吹くかアシが吹くか決める、演奏中に譜面台から落として雅な音を立てるなどの用途に適している筆記用具。2Bくらいのが一番書きやすい。
pencil sharpner<演奏>
譜面に書くための鉛筆はチェロのエンドピンのように尖っている必要はないので、筆者のように100円くらいで売っている四角いのをぐりぐりするのを筆箱に放り込んでおけばいいのである。のであるが、持ってない人が多くてみんな借りにくるのはどういうわけよ。
ドイツの有名画材メーカー Stædtler の、日本だと 150円くらいで売ってる奴はなんと替刃が2枚もついている。ドイツ的完璧主義を実感する。
オイレンブルク社<楽譜>
ポケットスコア専門出版社、と思われているが少数ではあるが演奏譜も出している。古い曲には版下がすでに100年以上前のものも多数あり、持っているだけで歴史的重みとつぶれた印刷と多数のミスプリを味わうことができる。
Etude<演奏>
練習しないと弾けない曲。
Extra Member(s)<演奏>
手伝いできてもらう人たちのこと。「トラ」と略称され、エキストラ担当は「トラ係」、エキストラを探すことは「トラ狩り」、エキストラと一緒に食事に行くのは「トラに餌をやる」、エキストラを呼びまくって演奏会の体裁を整えるのは「トラの威を借る狐」という。
sound hole<楽器>
ヴァイオリン族の楽器の共鳴孔。f字の形をしている。こいつがなくても構造上、楽器は鳴るらしいのだが、胴箱に穴が開いていなかったらそもそも魂柱が立てられない。
Fagot<楽器>
→バスーン
タイユフェールと5人の男たちのこと。
Flute<楽器>
金属製の木管楽器。古楽演奏ではほんとうに木で作られたフルートが用いられることもあるが、そういう時は金管楽器であるとされているトランペットもまた木製のバロック・トランペット(クラリーノ)だったりする。
music stand<演奏>
楽譜ケースを破いて壊す最大の原因。
指を挟んで血豆を作ってしまう一番の原因。二番目の原因はパイプ椅子である。
独自の形を持つものが大量に考案され、結局一番使いやすいのが昔からある Wittner の奴であるという逆説。ただ、Wittner の譜面台も非常に使いやすいというものではなく、他が粗悪すぎるだけである。
flaggioletto<演奏>
筆者は数学屋なので、ピタゴラス学派が弦の長さがどうの、と議論しているギリシア哲学的有理数論をどうしても連想してしまう。整数比でない音程を出した奴はきっと抹殺されるのであろう。さらには合奏で濁った音程が聞こえるたびに、無理数のカーディナルが有理数のそれより大きいという事実を実感してしまう。
※何が何だかわからないという一般人にはスマソ
instrument<楽器>
エネルギー変換効率が平均1%未満という、人類史上希に見る無駄の多い、音を出すことに特化した道具。将来において人類が滅亡した場合、はるか未来に太陽系を訪れるであろう知的生命体によって「音楽に現を抜かしていたために滅びた」と記載されることは間違いない。更に彼らが「アリとキリギリス」の寓話を古文書から発見したりした場合、全宇宙の嘲笑の対象になることは疑う余地もないことと思われる。筆者のことだが。
音楽教室での定番。普段児童/生徒たちは楽器など見たこともないだろうという貧しい啓蒙主義により、各パートの奏者たちによって貧乏くさいウケ狙いが連発する。
宮本文昭がJTのテレビCMに出演したとき、全国のオーボエ奏者はこれでチャルメラの呪縛から逃れられる、と安堵の表情を浮かべたという。今井信子やタベア・ツィンマーマンが何かCMに出てくれないだろうかと期待を募らせる今日このごろである。
大学オケの合宿でバスを借り切って行ったところ、係が座席に乗せてあるチェロのハードケースの頭の部分を人間とカウントしてしまい、一人多いと大騒ぎになったことがある。
ジョージ・ガーシュウィン(1898-1937)<作曲>
井上靖の「あすなろ物語」などをつい連想してしまう生涯を送った。
たいていのクラシック音楽愛好家にとって、唯一通しで聞いたことがあるジャズのスタンダードナンバー。
G string<楽器>
ヴァイオリンの4番弦、ヴィオラとチェロの3番弦、コントラバスの3番弦。パート譜に「sul G」などと書かれている場所ではヴァイオリンの各プルトは対戦台と呼ばれ、ハイ・ポジションを競う奏者たちで白熱する。
筑波大学芸術専門学群のこと。
チャイコフスキィやクーセヴィツキーやバーンスタインばかり演奏している団体。
string<演奏>
「悪魔の辞典」の著者アンブロアーズ・ピアスは「猫の腸でできている」と記述したが、これはマクドナルの猫肉という都市伝説と似たような話である。実際は羊の腸か、より一般的にはただのナイロンやスチール線の複合体である。
筆者はナイロンにアルミ巻線という弦を使っているが、筆者の住んでいる街ではこれは「燃えないごみ」に分類されるらしい。手伝いで行った先で弦が切れたりした場合、どのごみ箱に捨てるべきなのかいつも迷う。
最近はナイロン弦は止めてスチール弦を使用している。これは合金からなるコアに各種合金を巻き線にしたもので、クロムやタングステンをはじめとする微量金属が含まれているらしい。都市鉱山という奴であろう。
弦が切れる原因はメンテナンスの不良(古くなった、隣の弦のペグが擦っている、などなど)や、急激な湿度の変化などであり、普段気をつけていれば、しょっちゅう舞台に乗っているわけでなければ本番中に切れることはほとんどない(まれに不良品の場合があるが、これはたいてい張った瞬間に切れる)。だから「切れたら大変だね〜、怖いね〜」というのは新人をからかってるだけである。
strings<演奏>
観客から管楽器が見えないよう前方で邪魔している烏合の衆。
string quartet<作曲>
ハイドンはC.P.E.バッハを真似し、モーツァルトはハイドンを真似し、ベートーヴェンはモーツァルトを真似し、後世の作曲家はすべてベートーヴェンを真似した。真似せずにいい曲が書けたのはヤナーチェクくらいである。
結婚式の披露宴での弦楽四重奏によるバック演奏という仕事をしばらく請けていたことがある。ピアノやエレクトーン奏者による演奏より人数の分値が張ると思いきや、そちらの場合は披露宴会場から楽器使用料が別途加算され、結局新郎新婦側にとってはあまり出費が変わらないらしい。当日空いていて、かつ仕事としてちゃんとアンサンブルができる人を手配するのが大変で結局止めてしまった。
アレクサンダー・グラズノフ(1865-1936)<作曲>
ロシア5人組の6人目。アル中に社会主義革命が追い打ちをかけ、ボケてしまった。
まとまった曲は「スラブ四重奏」(第3番に相当)を入れて7曲。他に「組曲」および「金曜日の夕べ」(ベリャーエフが主催していたサンクト・ペテルスブルクの音楽家による会合)で発表された小品が多数残っている。アカデミックな作風ではあるもののロシア臭い部分をきっちり押さえてあり、もうちょっと頻繁に取り上げられてもいいだろうと思われる。
いぜん先輩と5番をやろうとしたところ献辞に「L. Auer(当時ロシア随一のヴァイオリニスト)に」などと書かれており、案の定第四楽章で轟沈した。
エドワルド・グリーグ(1843-1907)<作曲>
音楽的説得力などより抒情性が好きだった人。
イ短調、op.16。シューマンのピアノ協奏曲(イ短調、op.54)の頭で考えた部分を全部忘れさったら結構いい曲になってしまった、という典型。
「二つの悲しき旋律」op34の2。グリーグには弦楽合奏の曲が多いが、これと「ホルベルク組曲」以外はどれも同じに聞こえる。感性だけで書くことの限界という奴であろう。
ストーリーのイメージがドラクエか何かとダブって困る。
ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)<作曲>
ベートーヴェンに逆破門された人。
交響曲という形式を模索するための試作品の山。例えば以下は試作品につけられた、いわば失敗したタイトルである。
○朝(Hob I-6(以下同様))
○昼(7)
○晩(8)
○さよなら(45)
○校長先生(55)
○火事(59)
○うすのろ(60)
○太鼓連打(103)
これ以降の作曲家が「運命」「新世界」など大仰なタイトルをつけるようになったのはこういったハイドンの試行の成果であるといえよう。
arrangement<演奏>
「変曲」のこと。よく音を間違えて弾いた奏者が「編曲しちゃったよ」と言うが、原作曲者に対して失礼であるという意味において正解。
パウル・ヒンデミット(1895-1963)<作曲>
マイナー楽器協奏曲製造装置。鉄道マニアで、東海道線の電車特急「こだま」(まだ新幹線ができる前の奴ですよ)に乗りたいがためにウィーン・フィルと来日したりしていた。
1943作曲の管弦楽曲。第二曲目冒頭はNHKの「素人のど自慢」に直接の影響を与えた。
Ouverture zum Fliegenden Holländer wie sie eine schlechte Kurkapelle morgens um 7 am Brunnen vom Blatt spielt
ネットで日本語で書かれた情報を調べると「村の井戸端で…」とあるが、これはSchottで出ている演奏譜などの英語版の解説にある英訳「at the Village Well」をそのまま和訳したものと思われ、この英訳じたい誤訳すれすれの、あまり適切ではない訳であると思われる。Kurkapelleを辞書で引くと「Spa orchestra」つまりバーデンバーデンのような温泉地のオーケストラ、という意味であり、だから「Brunnen」は井戸ではなくて温泉、という意味になる。ドイツ人がイメージする温泉、というのは日本では温水プールつき保養施設のようなものであり、朝からオーケストラが演奏しているといった状況は日本人や英語圏の人々にはにわかにイメージしづらいところがある。なので、ヒンデミットならではの皮肉なタイトルをわれわれがイメージしやすいように意訳すると『つくば学園都市オーケストラが春日公民館で午後7時半から弾いている“さまよえるオランダ人”序曲』となる。
たまには語らしてくんねえ。4曲。後の方、op.31-4の奴と1937年の作品番号つけなくなった頃との2曲は近年まで出版されていなかった。作曲者じしんもあまりよい出来だとは思っていなかったらしい。最もよく演奏されるのはop.25-1で、またこれは作曲者ご自慢の一曲。第四楽章のテンポは四分音符=600-640、発想指示は「Rasendez Zeitmaß. Wild. Tonshönheit ist Nebensache」(猛烈な速さで、荒く、音色は重要じゃない)で、譜面にはやたら速いテンポの四分音符の重音が変拍子で並んでいる。なんでもひたすら破壊的なものを書きたかったらしいのだが、オケな人にはなんだか大音量きざみの練習にしか見えない。
グスタヴ・ホルスト(1874-1934)<作曲>
アマチュアの天文学者でもあった、なんて書いたら9割くらいの人が信じそうである。
アルチュール・オネゲル(1892-1955)<作曲>
CDショップで「O」の棚を血眼で捜している人を見かけることがある。
JR東日本の省エネ、軽量、メンテナンスフリーを目指した次世代通勤/近郊電車の形式名はE231といいます。それだけですけど。
「サッカー」だったらもっと演奏されたかもね。
Horn<楽器>
語源はドイツ語のHorn(角)である、牛の角笛が起源の金管楽器。
a Horn
練習に出てみたらホルンが一本だけだったこと。
ショスタコのチェロ協奏曲第一番のこと。
Basset Horn
ホルンの仲間と勘違いされ、屈辱のあまり絶滅した。
English Horn<楽器>
英国紳士にふさわしい節度を備えるため、木管楽器に移籍しました。
Mellophon<楽器>
狂牛病に罹った牛の角から作られた。
Natural Horn<楽器>
ナチュラル・ボーンにゴーイン・マイウェイな音程と音色をつっぱしる楽器。
French Horn<楽器>
「ハレンチホルン」の間違い。「ハレンチな音程」「ハレンチな音色」「ハレンチなリズム」「ハレンチな私生活」などなど。
Matterhorn<地名>
ヨーロッパアルプスの最高峰。語源は「またホルンが云々」。
Waldhorn(独)<楽器>
英語で言うと「ワイルドホルン」、日本語にすれば「野生の角」。
チャールズ・アイヴス(1874-1954)<作曲>
新大陸なんかで破壊衝動を発動したために「これだからアメリカの作曲家は」と馬鹿にされる原因の張本人になってしまった。その後、ヨーロッパでヴァーレーズを筆頭とする本格的な伝統破壊が進行し、故に今となっては案外まともな曲になってしまった。
元祖 P.D.Q.Bach。
交響曲という言葉に伴ういろいろなニュアンスをぜんぶ休みにしてしまった曲。
セントラル・パークに立ち入りたくなくなる曲。観光客に対する治安維持のため米国政府観光局より委嘱作曲された。
第二楽章「TSIAJ(=This Scherzo Is A Joke)」を逆に書くと北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)になるのですが、誰か関連性を教えてください。
いくつかある断章を除くと2曲。大学のときに先輩とやろうとしたことがあるが、作曲者もびっくりなことになってしまい日の目を見なかった。
Jazz<名詞>
「クラシックとはここが違うのだ」と言葉で言われなければ違いを認識できない音楽形態。あと200年もたてば音楽史年表で後期ロマン派の後くらいで涼しい顔をしているものと思われる。
traffic jam<名詞>
ショスタコーヴィチの第五交響曲の終楽章などに見られる作曲技法。東京行の高速バスがあと五キロというところで小菅や江戸橋の渋滞につかまった気分である。
opera<演奏>
男と女が出てきて、最後に両方死ぬか、男が先に死んで女が後を追うか、女だけが死ぬか、両方とも生き残るかという筋の、音楽劇。人間の男女のかわりに神が出てくると「楽劇」に進化する。演じる人間が男性か女性かは特に問われないらしいが、男だけ、というのは寡聞にして知らない(男だけのバレエ団にはモンテ・カルロバレエ団などがある)。
brass<演奏>
吹奏楽と管弦楽の共通部分。よって指揮者やコントラバスは管楽器である。飲み方もたいてい派手だしね。
Kanon<名詞>
枕詞は「パッヘルベルの」。
shoulder rest<楽器>
ヴァイオリンの持ち方の変遷を忍ばせてくれるアタッチメント。ブリッジ型の奴と、エアークッション式のものがある。安物の奴は裏板の縁にひっかけ、反対側をコーナーに輪ゴムでかけてあるだけなので、演奏中に外れるとカタパルト射出よろしく前方に飛んでゆく。
Katsushika Symphony Hills<葛飾区>
下町のど真ん中にあり「丘」だと思って捜し歩くと迷子になるホール。最寄り駅の京成青砥駅高架下にはヨハン・シュトラウスなのであると主張する怪しげな金色のモニュメントがあり、周辺の下町の風情に対して新古典主義的な不協和音を奏でている。
茨城の田舎にある某国立総合大学のオケがここで出張定期を行ったあと、青砥駅にやってきた上野行きの特急に乗るのを何故かみんな敬遠していた。特急といえばJRのものしか知らない田舎出身者が多いのだなと実感した次第である。
cut model<ホルン>
先日新宿のへんを歩いていたら「カットモデル募集」という看板があったのでツーピースのホルンを集めて何をするんだろうと思ったら美容コンテストでの髪の毛提供者の募集だった。
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)<演奏>
コンビニでも売っているビニールテープの商標。演奏者を恣意的な演奏に対してしばり上げるために使用する。
Casals Hall<中央区>
最近では、日大オケがパー練してそうなホール。シューボックス形で筆者の好きなタイプの響きがするいいホールなのだが。
指揮者やソリストとの打ち合わせ、エキストラの手配などに格段に威力を発揮する文明の利器。移動中、食事中、ベッド・イン中、さらには舞台での演奏中でも構わず仕事の話ができるとは「モダン・タイムス」のチャップリンもびっくりな世の中になったものである。
Kimigayo<外圧のネタ>
プッチーニがパクっても問題にはならず、忌野清志郎がアレンジすると発売禁止になる、土下座外交を具現するための、れっきとしたイオニア旋法の音楽。ロック風が駄目なら吉田秀和が書いていたようなロシア・オケのコラール風超爆裂演奏など国辱ものだろうに、新しい歴史を捏りたい人たちなどには是非がんばってほしいものである。
カルロス・クライバー(1930-)<演奏>
CDの帯に「ここでカルロス火を噴いた!」などと煽りが書かれる指揮者。三菱製なのだろう。
School Song<名詞句>
筆者の出身校の校歌の作曲者は三善晃だった。やけに雅な響きのまともな音楽だったが、筆者が現代音楽にまるで抵抗がない遠因はそのへんにあるのかもしれない。
symphony<名詞>
名詞に重ねると意味深になると思われている単語。「地球交響曲」「FIFA交響曲」「鈴木宗男交響曲」など。
たいていの作曲家にとって、書くことによって魂の1/10程度が削り取られるもの。
中学の音楽の鑑賞授業で交響曲をいくつか聞かされた時、筆者は見やすいようにとノートに1から100いくつまで番号を振り、まず「99」「104」の下にハイドン、次に「5」のしたにベートーヴェンと記入した。こういった曲は作曲者に関係なく誰か(音楽学者とか)によって通し番号が振られていると思ったのだ。ははあ、モーツァルトの交響曲は40番台前後に割り振ってあるんだな、などと思っていたので筆記で赤点を取ったのは言うまでもない。電車の形式じゃあるまいし、でも今でもハイドンが何だか苦手なのはそのせいではないかと思っている。
symphonic poem<名詞句>
代表的な標題音楽の形態。シェイクスピアやワーズワースや荒川洋治の詩をプロットに用いた管弦楽曲、というわけでもなく、本当に文才のある作曲家ならまどろっこしいことをせずに自作台本でオペラだの歌曲だのを書いてしまうものなので、いまいち存在意義がぱっとしない音楽ジャンルである。
symphonic dance<名詞句>
指揮者が踊るための音楽。オケのレベルが指揮者の音楽性に勝ると「指揮者が踊らされる」になる。
copy controlled CD<業界>
トラック部が74分を超えていてふつうのプレイヤーにはかからず、パソコンでないと再生できない輸入CDがうちにはごちゃまんとあるのだが、どういうことだろうか。
sound post<楽器>
「このがっきのなかにはねぇ、こんちゅうがすんでるんですよ」と知らない人をだまして遊ぶことができるもの。
concerto<演奏>
伴奏であるオーケストラと完全に協調して演奏されるとつまらなくなる音楽の一形態。「競争曲」くらいがちょうどよい。「狂騒曲」にできれば名演となる。1962年9月のバーンスタイン/グールドのように演奏前に指揮者の言い訳が入っちゃったりすると絶品。
exercise book<演奏>
楽器演奏に関しての絵空事が書いてある本。作曲家などが読むと真に受けてトンでもない音符を並べてくれるので、見せるのは厳禁である。
master<名詞>
長いこと音楽活動をやっていたが、晩年になるまで芽が出ませんでした。
Laser Disc/k<業界>
実際は Large Disc であり、対義語が Compact Disc である。
mouce piece<楽器>
金管楽器は振動増幅機能つき超長いパイプにすぎない、ということを実感できる器具。ホルンなどにクラリネットのマウスピースを無理やり接続して吹いたら…鳴らないだろうなぁ。
ヴァイオリン族(など)で、胴箱の内部に楽器ケースから出る綿埃と松脂の粉が堆積し、それが入り込んだ細かい松脂の破片や髪の毛などを核にして成長したもの。チェロやベースはどうか知らないが、ヴァイオリンやヴィオラでは楽器の振動につれて丸く成長し、揺らすと転がっていくのがf字孔のすき間から見える。雑音の原因になったり、湿気を吸い込んで楽器のコンディションに悪影響を及ぼしたりするが、楽器内部やf字孔周辺を傷つけるおそれがあるので無理に取り出さないこと。筆者が以前使っていた楽器は白の布で包んでいたので、「まっしろしろすけ」がいた。
グスタフ・マーラー(1860-1910)<作曲>
交響曲しか書けなかった作曲家。ベートーヴェンやブラームスが聞いたら噴飯ものである。
カンタータ。「嘆きの壁」に題材を得たユダヤ教的作品かと期待して聴いてみたら中世民話とロマンチックな妄想が混ざったただのドイツ・ロマン派の曲なのであった。
2、3、4番の交響曲の元ネタが歌曲集「子供の不思議な角笛」(正確には、同時進行で作曲/管弦楽編曲された)であることから。1番は角笛シリーズではなく、「さすらう若人の歌」交響曲とでも称されるべきである。
4曲からなる管弦楽歌曲集。シューベルトの「冬の旅」を湿っぽくしてみました。
ニ長調交響曲(1番)。「マーラーもこれくらいなら…」とアマオケがこぞって手を出す、国民的交響曲。永遠に不滅である。
ハ短調交響曲(2番)。朝比奈/大フィルでこれをやると終演後に道頓堀に飛び込む熱狂的な音楽ファンが見られたという。
ニ短調。ギネスブックに載る長さは天上での生活がいかに退屈かを物語る。
ト長調。3番だけでは足りませんでした。ちなみにトロンボーンパートはばててしまったので今回は降り番です。
嬰ハ短調。冒頭を結婚行進曲と取り替える技は「となりの山田君」で採用されてしまった。矢野顕子の悪知恵に違いあるまい。
※かと思ったら「猫の恩返し」では「巨人」が出てきました。
イ短調交響曲。舞台強度測定用交響曲。あるいは打楽器奏者筋力測定用交響曲。
なんかマンドリンとかもあるし。2楽章分揃って「ナハトムジーク」か、おめでてーな。
お前なぁ、ニューヨーク・フィルの常任やるからアルマ・マーラー寄越せと。
そこでまたぶちきれですよ。お前は本当に交響曲を書きたいのかと問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。お前なあ、オペラ書くのが怖くて交響曲に逃げてるだけちゃうんかと。
今、最新流行はやっぱり東洋思想。これ。
これ最強。
しかしこれを書くと死んでしまうという、諸刃の剣。
お薦めできない。
まぁお前は、自演用のアレンジでもしてなさいってこった。
Art Tower Mito<水戸市>
泉町1丁目の常陽銀行の…ではなくて、晴れた日には筑波山からも見えることで知られた変な形の、毎年水戸市の税金の1%を吸収してぴかぴか光っている塔。水戸室内管弦楽団などと言いながら東京の人間ばかりで構成された演奏団体を擁し、最近までアマチュアにも使わせてもらえなかった。「小澤と水戸室内管バックによる市議のカラオケ大会開催予定」などと陰口を叩かれることもしばしば。
実は天井設計に欠陥があり、千波湖の花火大会の時には爆音がホール内にこだまする。
Mito Public Hall<水戸市>
壁に「張紙禁止」の張紙が張ってあることで有名です。
この間行ったら張紙はなくなっていました。誰かが突っ込んだのか、壁に張紙ができるようになったのかは不明です。
minimal music<演奏>
必要最小限のフレーズを練習すれば本番に臨めるだろう、との予測のもとに作曲され、実際には数える練習をしなければ演奏できないのだということを実証した作曲技法。ベートーヴェンの第九の第2楽章が最初の作品。
ダリウス・ミヨー(1892-1974)<作曲>
「ミヨーを見よ」などという駄洒落と同じくらいどうでもいい曲が多いのは困ったものである。
「ある朝のこと、庄屋さんが庭に出てみると何と、牛小屋に入れておいたはずの牛が納屋の高い屋根の上に乗ってモーモー鳴いている。急いで小作人どもを呼び集めて何とかしようとしたがそこは昔のこと、クレーンだって消防のはしご車だってあるわきゃない。一体どうやって上がったのか、どうやって下ろすべきか皆目見当もつかない。牛がどたどたと足を踏み鳴らすたびに屋根は今にも抜けそうにがたがたきしむし、今にも足を踏み外して落ちてきそうだ。皆のものは庭で大騒ぎすれどどうにも手のほどこしようがない。と、そこへ村の頓智者のキッチョムがのんびりと散歩してやってくるではないか。『キッチョムどんキッチョムどん、あのとおり屋根の上に牛が乗っちまってるんだが、どうしたらいいかい』キッチョムも訊ねかえす。『そりゃあ、牛を屋根の上に乗せた奴に聞けば下ろし方も知っちょるだろうよ』『そりゃあそうだが、わしらとて誰があんなことやらかしたのか、皆目見当がつかんのでな。キッチョムどんの頓智でここはひとつ、何とかしてもらえないだろうか』キッチョム首を傾げるなりすぐ『ふむ、庄屋さんの納屋には筵が山のようにあっただろ』『あったあった。で、それがどうしたんだい』『そいつを納屋の脇にどんどん積み上げてって、屋根に届いたところで牛を引き連れてそいつの上に乗せるといい。あとは筵を一枚一枚と剥いでいけば、牛を地べたに下ろすなんざ造作もないわさ』『おお、そりゃ名案だ!キッチョムどん、ありがとうよ』大急ぎで人を呼び集め、納屋から筵をじゃんじゃん出してきて積み上げようと見るとどの筵にもくっきりと牛の足跡が残っている。『は、はては、こりゃあキッチョムどんの仕業に違えあるめえ』と思っても当のキッチョムどんはもはやどこかへ立ち去った後。『今回もまんまとしてやられたわい』とぶつぶつ言いながら筵を積み上げる村の衆であった」
(ジパング国キュウシュウ・ナカツ国のとんち民話より)
Nationalistic group<業界>
「大学祝典序曲」「グリーンスリーブスの主題による幻想曲」などがご当地でどう受容されているかの考察に際して参考になる類の音楽。よくわからない?fffでがなり立てる八木節を想像してみよう。
フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ(1809-1847)<作曲>
その恵まれた生涯のみが多く伝えられ、第二次大戦中にドイツ国内で多くの自筆譜が焚書に逢ったことなどはあまり知られていない。基礎資料が欠落してしまったため、海外に版があった一部の有名曲以外は現在でも某Kalmusなどのテキトーな譜面しか入手できず「スラーが」「アクセントが」「ダイナミクスが」などと色々混乱することになる。
ホ短調ヴァイオリン協奏曲(op.64)コンプレックスのこと。ス○キ・メソードで最終巻まで辿りつけなかった人や、学オケで同期のコンマスから降り番食らった初心者などが発症する。
筑波大学男声合唱団メンネルコールのコンサートのこと。
op.21。英語で書くと「A Severewinter Nightmare」。
変ホ長調、op.20。5曲ある弦楽四重奏曲に手を焼いた四重奏団2団体による共同戦線だが、たいてい第4楽章の途中までで仲たがいする運命にある。
レオポルド・モーツァルト(1719-1787)<作曲>
「おもちゃの交響曲」でヴィオラを使わなかったり「ヴィオラまたはトロンボーンのための協奏曲」を書くなどヴィオラをなめきったことをしてくれた。バチが当たって息子はグレてしまった。
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)<作曲>
ショパンと並び、善良な市民がクラシックで教養を偽装するための符丁。「そうそう、モーツァルトの「亡き子をしのぶ歌」っていい曲ですよね」などと嘘並べて騙すのにはうってつけである。
M.Haydn のシンフォニアのモーツァルトによる編曲(Kv.425a)。Breitkopf版のパート譜がアカデミアで売ってるのを見たことがあるのだが、誰が買ったのか気になる。
Kv.271a。M.Casadeus による偽作。もちょっと前か後の作曲、ということにしておけば少しはバレなかったのかも。
オーボエ協奏曲ハ長調のこと。
三枝成彰の代表作。
新全集版では通し番をふるのを止めてしまったから「パリ」も「ハフナー」もみんな「交響曲ニ長調」である。同全集では「シンフォニア」まで交響曲に軒並み分類しているから、多分20曲はあるだろうと思われる。
Kv.552。現代音楽がみんな悪い冗談であることを看破している。さすがは天才アマデウス。
オブジェクト指向化しすぎた一例(Kv.516f)。
Kv.617。ガラスのふちが欠けていたらと思うと怖くて夜も眠れなくなります。
Kv.4。マリー・アントワネットをナンパしたガキらしい、初期作。
Kv.588。周囲の女性の目が怖いので何も言えません。
モデスト・ムソルグスキー(1839-1881)<アル中>
19世紀ロシアで、音楽だけで生きていこうとするとホモかアル中になるということ。江國香織のようにきらきら光ったりはしない。
冷凍保存したものを脂抜きして三枚に下ろして保存料と着色料を加え、化学調味料で味付けしたものは「はげ山の一夜」と呼ばれ、江戸城でさんまと一緒に出される。
冷凍保存したものを脂抜きして三枚に下ろして保存料と着色料を加え、化学調味料で味付けしたものは「展覧会の絵(ラヴェル編)」と呼ばれ…しつこいって。
mute<演奏>
伊 sordino/-i、独 Dämpfer。意味的には和訳は「変音器」が正解。弱音にする道具、と解釈してしまうのは「変な音なのはミュートつけてるからだよ〜ん」と責任転嫁する度胸を持ち合わせていない日本人の恥の意識のなせる美学である。
unaccompanyment<演奏>
「無伴奏ピアノソナタ」「無伴奏管弦楽のための音楽」などが存在しないように、自力では曲を構成できないと思われている楽器の自助努力を囲い込む言葉。「女流作家」「未婚の母」などと同じ差別のラングを持っているものと推察される。なお、例えばクロイツェルの42のエチュードなどは「無伴奏ヴァイオリンのためのエチュード」などとは呼ばれない。練習は一人でやれ、ということなのだろう。
NHK交響楽団(1926年創団)<団体>
譜面の音符が全部見えるような演奏をするオーケストラ。近年デュトワという完璧主義者を音楽監督に得て、曲の不出来なところが一目瞭然になるような演奏を提供している。
と喜んでいたら今度の音楽監督はアシュケナージになってしまった。どうせピアノ弾きの知名度しか高くならない音楽後進国ですよぐすぐす
略称:ニチフ<安物買い>
中学の吹奏楽部の楽譜棚に大抵2、3冊転がっているオレンジ色のこと。勢い余って「正しい音階」などを購入してしまった場合は「神」と呼ばれる。
brain is fine today<大部嘘>
何も考えていない曲。バラキレフの交響詩「チェコにて」シャブリエの「スペイン」など対象をバカにしてるとしか思えないような曲、ケテルビーの「ペルシャの市場にて」ギルバート=サリヴァンのオペレッタ「ミカド」のようにほんとうにバカにしているものなど多数で、これが反動として20世紀における民族主義の台頭を引き起こした。
Nova Hall<つくば市>
出来た当時は日本でめずらしいシューボックス型ホールと喧伝されたものの、バブルに伴ってもっといいホールが各地に林立し、袖が狭くて演劇ができないは音響設備が貧弱で学会には使えないわで最近稼働率がめっきり減った。壁にご当地御影石などが使用され「風呂屋」「じゃじゃ馬」など一般的なホールに慣れた人には評判が悪い。逆に音量で観客を凌駕したいという場合には最適である。
Oboe<楽器>
オーケストラ用のチューナー。オーボエ奏者の生涯の1/3はリード削り、1/3はチューナーの調整、残り1/3は神経性胃痛で寝込む、に充てられる。
Music<音楽>
音楽星人の発する毒電波を受信しているさま。
Music Program<業界>
ホルスト・シュタインの横顔や内田光子のどアップ、クレーメルのよだれなどを放映しても放送事故にはならないらしい。
Musician<業界>
自然科学を例にとると例えば「物理学者」は Phisicist、「化学者」は Chemist、「生物学者」は Biologist「地球科学者」は Geoscientist であり、「数学者」は Mathematician である。このことはすなわち、音楽は数学や手品(Magician)と同じ程度にいかがわしいものであることを意味している。ちなみにモーツァルトは数学が得意だったとか。
Organ<楽器>
教会の内部などに存在するたくさんの管の束からなる「内臓」の意味。「オーガニック野菜」と銘打たれていたので買って帰ったらレーガーやメシアンのオルガン曲を聞かせて育てただけのただの野菜だったりすることがあるので注意しよう。
music part<演奏>
スコアに書いてあってパート譜に書いていない細かい指示は、演奏するときには大抵役に立たないことである(必要ならパート譜にも書くであろうから)。
レンタル譜を借りると、パート譜の落書きを眺めて楽しむことができる。先日借りたブルックナーの譜面では、ヴィオラの後ろの方のプルトで、めくりごとに残りページ数がふってあるものがあった。最後のページには「To home」などと書いてあった。びよら冗句のネタが増えるだけなので止めてほしいものである。
アマオケ文化の一つ。パー連。楽器と奏者の性格が場の雰囲気によく現れてくる。筆者はマターリしているのは時間の無駄だと思ったので思いきりスパルタなパー練を行ったところみんな来なくなってしまった。
Percussion<楽器>
叩かれるためにある楽器。
Q.電球を替えるのに打楽器奏者は何人必要か?
A.最低5人。一人が電球を替え、一人がティンパニを叩き、一人がスネアドラムを叩き、一人がシンバルを叩き、一人がバスドラムを叩く。
Patrone<業界>
法でいうところの「有体物」を産することのない非生産的な音楽芸術にとって、いつの時代にも必要なもの。民主主義と平等な啓蒙主義が席捲する現代日本においては、音楽家の最大のパトロンは人民の代表である行政機構である(べきである)。ヨーゼフ二世やフリードリヒ二世、メック夫人に匹敵する地方自治体の出現を渇望するものである。
Piano<楽器>
「こんな大きな楽器でも小さな音が出せるのだ」と驚きのもとに命名された、トロンボーンやバスドラムに見習わせたい楽器の優等生。鍵盤楽器の代表格として、♯や♭が苦手な人を大量養殖した。
pit<演奏>
日本のたいていのホールで最も稼働率の低い舞台装置。オーケストラなどといった非日常風景を囲いの中に閉じ込めて舞台上に仮構世界をくり広げられる便利なもの。欠点として音がこもる、舞台上での「サロメ」の裸踊りを奏者が堪能できない、チャップリンが降ってくるなどがある。
フランシス・プーランク(1899-1963)<作曲>
よくクープランと間違えそうになる。
本来ならここでいくつか曲の紹介が入ったりするわけですが、筆者があんまり知らない上に、プーランクじたいの面白いエピソードがあまり伝わっていないようで、ネタがない状態です。たまにこういう人がいます。「エピソードなき巨匠」マグリッドみたいなもんでしょう。
セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953)<作曲>
10月革命の結果米国に移住する途上、日本を経由してリサイタルなど開いていたらしい。大正9年のことであり、どこで何を弾いたのか気になる。ソヴィエト・ロシアに里帰りしてしまった彼をラフマニノフなどの亡命作曲家はどういう気持ちで見送ったのだろう。
マグリッドの絵みたいなのしか想像できないタイトル。
現在有名になっているロシアのバレエ曲は初演時にすったもんだがあるのが通例となっている。このことは逆に、揉めれば揉めるほど名曲になるということを意味するのであろう。作曲家諸氏はこのことを念頭に置かれたし。
1番(op.25)。ホンモノの古典派の交響曲の方が音楽的には難しいことを証明した。
op.131。完成された最後の作品だが、エンディングをあんなにしてしまったのではベートーヴェンの16番のカルテットのパクりにしか聞こえないのである。
ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)<作曲>
ヴェルディと混同している人多数。
日本は米国の忠実な妻である、という現状を100年前のイタリア人に皮肉られる、という、典型的なヴェリスモ(=写実主義)・オペラである。
大阪の歌姫「トスカ」は熱狂的な阪神ファンであった。警視総監に扮した某在京球団オーナーに迫害されたりしながらも最後にはセ・リーグ優勝を勝ち取り、トスカは道頓堀に飛び込む。「虎に生き愛に生き」「マジックは光りぬ」などの名アリアで知られる。
多大な開発料をぶん取ることで知られる悪徳ソフトハウスが、クライアントから逆に無理難題をふっかけられ右往左往する話。納期直前で歌われるアリア「誰も寝てはならぬ」は有名(ちなみに結局未完成)
pult(独)<名詞>
原義は譜面台。「同じプルトの仲」というのはめくりが遅すぎるだとか動きが目障りだとかの怨恨に塗られたニュアンスを持っている。
よく知らない人にステージセッティングを頼むと、弦の椅子一個につき譜面台一つ立ててくれて足りませんとかなったりする。椅子も放射状に直線的に並べるから、指揮台から観るとまるで凱旋門からパリ市街を見渡すかのよう。
セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)
鬱病にでもならないとマトモな曲が書けなくなった20世紀の困難を具現する作曲家。チャイコフスキーとブルックナーを融合したくどい作風が特徴。
1の主治医です。この度、このような交響曲(op.13)を1が書くに至ったことは(以下略)
op.29。作曲後にカラーで実物を見てみたら全然印象が違いました鬱出汁脳。
モーリス・ラヴェル(1875-1937)<作曲>
手先が器用とされる日本人に、どういうわけだかラヴェルに匹敵する作曲家が出ていないのはエスプリ不足ということか。舞台作品から歌曲まで、各ジャンルで一定レベル以上の曲を残しているのはさすが。
ヘンな曲であることが有名さの条件になっている類いまれな曲。
英語に直すと「ザ・ワルツ」。P.Manoury のオペラでワルツがどうの、という個所で露骨に引用されていた。フランス人にとっては自国文化で消化されたものでないとどれも駄目なのであろう。
「プーランクの馬鹿」のアナグラム。
ピアノ曲「シャブリエ風に」「ボロディン風に」についで書かれた三作目「ムソルグスキー風に」の管弦楽編曲版。
比較的若い頃に書かれた1曲のみ。弦楽器のみのための室内楽作品はほかに「ヴァイオリンとチェロのためのソナタ」がある。楽器の使い方がドビュッシーに似ている上に出版社まで同じで製版の上がり具合がそっくりなので、譜面を見ていてもどっちがどっちだったかたまにわからなくなる。両者の楽章を入れ替えて演奏してもみんな気づかないかもしれない。
マックス・レーガー(1873-1916)<作曲>
日本において通常演奏されるのは、ネタの少ないヴィオラ奏者がとりあげるヴィオラソナタや無伴奏組曲だけである。
op.132。正確には「モーツァルトの主題を使ったブラームスの『ハイドンの主題による変奏曲』の様式による変奏曲」。ギャグの一種なのであろう。
Hire Material(s)<楽譜>
出版社がパート譜を貸し出すことで利益を上げるビジネスモデルが普及しはじめた頃、楽譜への書き込みが問題になった。特にボールペンで書き込みをされた場合は楽譜を痛めることなしには消去しようがなかった。このためアメリカ楽譜出版協会では巨額の費用をかけ、楽譜に書き込んでも消しゴムで消すことができる特殊なボールペンを開発し、全米のオーケストラに配布することにした。
一方ソ連では鉛筆を使った。
ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844-1908)<作曲>
バリカンであの髭を思いきり刈ってみたらすっごく気持ちがいいだろうな、と思わせる元ロシア海軍士官。軍人が作曲する国だからこそ、バルチック艦隊が日本海の藻屑と消えたりもできたのであろう。
op.35。このテンションを余計なオペラだの何だのに回さないで1001楽章分書き続けてもらえたら、ロシア音楽において他の作曲家が出る幕などなかったろうに。
rotary<楽器>
「ロリータ」の間違い。例:ロリータトランペット
スターリン、フルチショフ、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ。ゴルビーはソ連崩壊をひきおこしたので、入れてもらえないらしい。
カミーユ・サン=サーンス(1835-1921)<作曲>
中文では「サンサーンス」を「聖桑」と書く。「聖桑・大提琴協奏曲」なんて大仰な文字列がレコード屋に躍っているわけだ。
音楽教室用教材曲。当初は「ピアニスト」のかわりに「びよりすと」という曲が入っていたが、教育的ではないため削除された。
op.61。私事になるが、この曲をはじめて聞いたのはかなり昔、毎音の最終選考のFM放送でのことだった。刷り込みというのは恐ろしいもので、ものすごく上手い演奏より、「頑張って弾いてますね」という方がなんだかいい曲であるように聞こえてしまう。
op.78。地方オケのサントリーホール出張演奏御用達交響曲。作曲家の他の交響曲(特に第二番)などを聞くと、ちょっと変わったことをするだけでずいぶんと扱いが変わるのだなと、知名度と音楽的内容は一致しないのだという音楽業界の現実を実感することになる。
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│あ、どうもスイマセン、お騒がせしました・・・
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(●.●) )/ |: | すぐ連れて逝きますんで・・・
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и .i N /⌒ ヽ) >>E線を半音下げ忘れたコンマス
λヘ、| i .NV | | |
V\W ( 、 ∪
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∪∪
a georgeous set of Japanese Soloists(1991年創団)
フィリップスからのCDリリース枚数が最も多い在日オーケストラ。余談だが、デュトワのN響への音楽監督就任の際、CDリリースが復活してN響の音がまた聞けるようになった、と喜んだ在外邦人も多かったという。
zàihùi(中文)<名詞>
=再見(さようなら)。
指揮がわかりにくいの意。
クレンペラーの実生活を垣間見るような音楽性の持ち主であること。
性格がパガニーニそっくり。
大抵の場合、音楽家としての寿命がモーツァルトの実寿命程度であることを意味する。
エリック・サティ(1866-1925)<変人>
サティが素敵という人はサティが好きなのではなく、シャンソンが好きなのである。
1924年のバレエ。初演初日が諸般の都合で本当に休演してしまったらしい。変な映画映像が混ざるなど、一度舞台を見てみたいものである。
中学の音楽の授業でこれをブロックフレーテのアンサンブルでやらされたことがある。まだブームが始まる前であり、先生が古楽専門の人だったから、しばらくサティというのはバロック時代の作曲家だと思っていた。
Saxophone<楽器>
クラリネットが本性をむき出しにした楽器で、カルテットで加わろうものなら弦楽器が吹き飛んでしまう。ために吹奏楽へのアレンジでは弦のかわりを勤めることもしばしば。
何も知らない人にまず木製フルートと金属製フルートを見せ、次にクラリネットとソプラノサックスを見せるととても面白いことになります。
アマオケの場合、演奏者の親族。ホール最寄りの花屋を儲けさせたり、舞台がよく見える場所を満席にしたり、楽章間での咳払いなどの効果音を入れたり、終演後に袖に押し寄せて黄色い声であたりを埋めたり、カードを集めて帝都を守ったりする。
Suntory Hall<港区>
酒造会社のホールがその国で一番いい、という評判はとりもなおさず日本の洋酒が世界水準に比べてばか高いことを証明するものである。発泡酒の税率を引き上げてもらって新国立劇場のとなりに国立のオペラホールでも作ってもらいたいものである。
Hymn<名詞>
和声学の課題用のアンチョコのこと。
ドミトリ・ショスタコヴィッチ(1906-1975)<作曲>
亡命してアメリカに渡ると潰されるが、本国に残っても決してある程度以上メジャーにはなれないことを身をもって証明してみせた。
国策映画の伴奏音楽から内面まる出しな室内楽にいたるまで、手堅く真摯な作曲技法をもって応じることができた、現代における作曲家の鑑である。
計15曲。無闇な破壊衝動からはじまり、交響詩、興奮曲、社会告発派、半端な12音技法や歌曲化を経て打楽器アンサンブルに帰着する、現代音楽の混乱を絵巻物にしたような作品群。全編を通じて流れる唯一のコンセプトは「ネクラ」である。
15番のラストのあの静謐な部分は「塹壕にしたたり落ちる水の音」なのだ、ととある人から聞きました。あまりに鮮烈なそのイメージにショックを受けたものですが、出典をご存知のむきはお教えいただきたく思っています。
師であるグラズノフに年齢において二年負けました。
交響曲第5番ニ短調(op.47)。革命記念の何かイヴェントの折りに初演されたのでこの俗称があるだけ。音楽的内容は「あいかわらず」で、革命だろうが独裁政権だろうが派手ならウケるという普遍的事実を露呈する。
スターリンに翼賛するためにはスターリンが好きそうな曲をネタにすればいい。言い換えると、自分に忠実であるためには自分が好きな曲をネタにすればいい、ということ。月光大好き作曲家のベートーヴェンへのオマージュ。
今死んだらまるでスターリンのために死んだみたいだという自己弁護の産物。
交響曲第12番ニ短調(op.112)。チャイコフスキィの「1812年」より偉大でなければならぬという政治的理由によりひどく長くなった。将来のロシアにおいて「1991年」などが書かれたら4時間くらいの大作になるだろうと予想される。
交響曲第13番変ロ短調(op.113)。「ユーモアは不滅だ」などと生真面目に歌い上げる。
交響曲第14番ト短調(op.135)。たいていの人は死なないとこの音楽を理解できないので、ひどくマイナーな曲である。
op.77。知り合いのヴァイオリン弾きの車に乗っていたところ、この曲の第4楽章をリピートしながらアクセルべた踏みしてくれて非常に怖い思いをしました。シェリングかグリュミオあたりが安全運転な演奏を残してくれなかったので車内でかけるのは禁止です。
初演後に楽譜が散逸し、現存するのは弦とピアノソロとトランペット1本分のパート譜だけである。当時のソ連邦におけるライブラリアンの事務能力を窺わせる悲劇の名作。
オケの本番中、たまにこいつの冒頭主題を左手で弾いています。音程確認のためにね。
計15曲。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲をずっと初演し続けてきた「ベートーヴェン四重奏団」によると、彼はバッハやショパン、ショスタコーヴィチ本人もピアノ曲でたまに用いた作曲技法である「すべての(長短あわせて24の)調による四重奏」を書こうという計画を持っていたらしい。それは結局叶わないものだったのだが、つまりは無茶だったということだろう。正真正銘、本家本元のダウナー系作品で、へ短調(11番、op.122)以降の曲などにまともに向き合おうものなら部屋から出たくなくなること請け合い。まさに「室内楽」(って楽しくはないけどさ)である。
フランツ・シューベルト(1797-1828)<作曲>
トーキー映画時代の傑作の一「未完成交響楽」(1933)において、主人公であるシューベルトが「ボクの曲は覚えやすいから、楽譜が売れない」という場面がある。なら覚えにくい曲を書けばよかったのに。現在となってはシューベルトの曲は沢山ありすぎて、どれがどれだか覚えきれない。
編成がピアノ+弦楽四重奏ではなく「ピアノとヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ベース」であるのはベース弾きの陰謀であるとされている。
小学校でこの曲が鑑賞教材になった時、たしか「鱒はおいしかった、という曲なのだ」と感想を述べた奴がいた。西洋人は牧場に放たれた牛を見て「旨そう」と思うのだ、という話を思い出させる。
こういうタイトルだと娘が美しいのに、「美しき水車小屋の老婆」などと書くと美しいのは小屋かなと思ってしまう。「みにくいアヒルの子」もみにくいのはアヒル全体だとすれば自らのアイデンティティに悩むこともなかったろうに、などと妄想してしまうタイトルである。
さて、どれのことでしょう。
現在では絶滅してしまった珍しい楽器アルペジョーネのために書かれた(D.821)。ほんとだってば。
さて、どれのことでしょう←しつこい
シェジ(H.v.Chezy)のメロドラマ(ロマン派劇)「ロサムンデ」の劇伴音楽の序曲(D.797)。であるが、劇の序曲じたいは別のオペラの曲が転用され、現在「ロサムンデ」序曲として知られる曲はそれらともまるきり無関係な序曲である。きっとみんな曲を覚えてくれていたので「あれ使うね」「ああ、あれ」で通じてたのが伝言ゲーム状態になったのであろう。
上記劇伴曲中、第三幕への間奏曲。アンコールでよく演奏されるが、長いはシマらないはでよほどの演奏でないと盛り上がらないことおびただしい。観客に対する嫌がらせの一種であろう。
上記劇伴の旋律が第二楽章に使われている弦楽四重奏曲(13番、D.804)。中間楽章に歌曲が元ネタの変奏曲がつく室内楽曲の形式はシューベルトお得意のもの。600曲を越えるといわれる歌曲を全部室内楽曲のネタに使ったらと考えると恐ろしい。
ニ短調弦楽四重奏曲(14番、D.810)。第二楽章に引用されている元の歌曲を知らない人が多数であるが故に膾炙した名曲。
フラれるほど弱気のくせに髪に霜が降りるまで歩きつづけるなど、根性があるんだかないんだかわからない内容。主人公は「脳内革命」でも読むべきであろう。
D.957の歌曲セット。死後、知人の出版屋によって「白鳥は死ぬ前、美しい声で一声鳴く」という慣用句からタイトルをつけられた。シューベルトが「歌った」わけでもないのに、さらにはそれ以前の曲が美しくないのかといった、色々と疎外の問題をはらんだタイトルである。
亢鬱剤の一種。作曲者が亡くなる数ヶ月前に書いた音楽。初冬の弱々しい朝日のもとで布団にくるまって引きこもる時に聞く音楽。
以前聞きすぎて本当にヒキコモリになるところでした。ご注意ください。
アーノルト・シェーンベルク(1874-1951)<作曲>
12音技法の理論を読んだとき脳裏に浮かんだのは小学校の給食での「三角食べ」であった。
op.4の弦楽合奏曲。フロイトからユング派に転向した精神分析家が大喜びしそうな内容である。
シェーンベルクはこれを書いた後文字どおりグレてしまう。
op.23の室内楽伴奏歌(?)曲。シュプレッヘシュティメの声色で曲調ががらりと変わってしまうことまでは予想できなかったらしい。「禿頭をヴィオラの弓で撫でる」などという歌詞に祟られて作曲者は禿げてしまった。
op.42。指より脳味噌の方がよく回るピアニストのための曲。
ロベルト・シューマン(1810-1853)<作曲>
適当な有名旋律を全部16分音符のきざみにして「シューマン風」とか言ってみるとオケの弦楽器な人にはやたらウケる。
4曲。浮かれたり病気になったり転勤したり旧作が気に食わなくなったりした時に書かれた。当時のオーケストラは弓の返しを増やせば増やすほど音量が増したのであろう。ブルックナーの演奏などに是非応用したい技術で、音楽史家による当時の奏法の解明が待たれている。
変ロ長調交響曲(1番、op.38)。何が春かって、作曲者の頭の中が。
ハ長調、op.61。いぜんはシューマンの交響曲の国内版スコア(Philharmonia版の日本語版翻刻)は2番だけ出ていなかった。というエピソードに象徴されるような曲。
ピアニストと管楽器奏者と弦楽器奏者でめずらしく話が合う作品であるが、深く突っ込みはじめると重大な齟齬が存在していることが発覚する。グリーグの「抒情小品集」なども類似の問題を抱えている。
op.41の1〜3の3曲。第一番の動機が第三番に出てくるなど、構造に凝りすぎて名曲になり損ねた。
ショット株式会社<楽譜>
日本支社(日本ショット株式会社)にも出版部があるのに、武満徹の譜面はマインツの本社の方から出ている。レンタル譜を頼んだらクリスマスカードを送ってくれたり、そういう方面でちゃんと営業しているなという印象があったのは知る限りこの出版社だけ。
fan<演奏>
スヴェトラーノフ用通奏低音。
senza(伊)<演奏>
=without
指揮棒と関係なく、の意。指揮者を無視して自発的に演奏しろ、ということを意味する。
(意訳)弱音器を楽器ケースの中に忘れてきました。
ジョージ・セルの演奏風景が収録されたビデオのこと。
上からいきみ声、汗、タクト、スコア、指揮者本人などが降ってくる。弦の1プルト目の譜面台には「頭上注意」の張り紙がしてある。
takt(独)<演奏>
羽田か成田あたりの空港の展望台の外れに立ち、離陸してゆく飛行機にむかって「ウィンガーディアム・レヴィオーサー」などと叫びながら振りかざして悦に入ることができるもの。
ジャン・シベリウス(1865-1957)<人名>
蘂璃臼、とか書くと樺太あたりの地名みたいである。ファーストネームを「ヤン」と読むのはドイツ語/スウェーデン語読みということになってしまうらしい。
7曲。第七番(ハ長調、op.105)を書いてから蘂璃臼、もといシベリウスの創作の筆は絶え、以後亡くなるまでほとんど作曲は行われなかった。生前は「第8番を書いている」という噂が立っては消えしていたらしい。音楽の贅肉をどんどんそぎ落としていくとこうなるという見本。アブトロニックでも使っていたのだろう。とすれば書けなくなったのはその副作用に違いあるまい。
ホ短調(op.39)。終楽章でイケイケになるかと思ったら暗く終わってしまう。当時のフィンランドはよほど抑圧されていたのであろう。
ニ長調(op.43)。よく演奏される。聞きばえもするし、客受けもする。でも、細かく見るその音楽は現代のそれである。かなりの曲者であることがわかる。
変ホ長調(op.82)。最初4楽章形式で作曲され、後に第1楽章と第2楽章が融合された。マニアな話になるが、地方のローカル私鉄では乗客の減少にともなって、車両を工場で切り継ぎし、編成を短くしたりすることがある。それと同じ合理化という奴なのであろう。
ハ長調(op.105)。まるで交響詩のような単一楽章の曲。合理化のすえに、ついに一両編成になってしまった。
op.11。ちなみにカレリア地方は第二次大戦でソ連に占領され、現在もロシア領である。
ニ短調(op.47)。アガり性を克服できずに転向した元ヴァイオリニストの面目躍如たる名曲。もしハイフェッツやシゲティが作曲家になっていたらさぞやすばらしい協奏曲を書いたであろう、と思うと夜も眠れない。
ベトルジーハ・スメタナ(1824-1884)<作曲>
耳が聞こえなくなった衝動を交響曲に仕上げていたらもっと演奏されたであろうものを。
連作交響詩。「高い城」「モルダウ」「シャルカ」「ボヘミアの牧場と森から」「ターボル」「ブラニーク」の6曲からなる。日本になぞらえると「江戸城」「利根川」「巴御前」「武蔵野の養豚場と里山から」「本能寺」「関ヶ原」といったところ。ちなみに熊本県になぞらえると球磨川や細川ガラシャ夫人や田原坂が登場し、スメタナが佐賀県出身だったとしたら「干潟のムツゴロウ養殖場から」「鍋島の化猫騒動」などといった交響詩が書かれていたことになる。郷土愛という奴の面白いところであろう。
2曲。1番「わが生涯より」は非常な名曲であるが、同じテーマを使用した2番は迂闊に創作力が衰えている時に続編を書いてもダメという見本である。
soli←solo(伊)<複数形>
弦の1パートや、同種管楽器二本などの複数奏者で演奏される「ソロ」。用例:「ソリが合わない」
solist<演奏>
独身主義者のこと。協奏曲においてオケを入れ食いする。二重協奏曲は独身貴族が二人で荒らしまわり、三重協奏曲では三人、合奏協奏曲ではそれが多数と、あまりに風紀が乱れるのでバロック以降はこういう形態の曲はあまり作曲されなくなった。
sonata form<演奏>
「再現部のないソナタ形式」「展開部のないソナタ形式」「主題が7つあるソナタ形式」など、大抵の楽曲形式を無理矢理枠に押し込めることができる構造。作曲者がそういう構造を意識していたかどうかはたいてい永遠の謎である。
soprano(伊)<名詞>
sopra は英語で above の意味。donna sopra i 90 kg だと「90kg以上の女性」、garanzia sopra i 500 mille なら「50万以上のギャラ」。対義語は sotto (例:gioco tempo sotto i 5 verbale = 5分以下の演奏時間)。¥
Sougakudou<台東区>
室内の調度が札幌時計台や足尾の掛水会館、猪苗代の野口記念館や長崎グラバー亭など明治洋風建築のそのままである東京の演奏会場。自分がどこにいるか一瞬わからなくなるという心理体験は全国各地で同じ店舗、同じ店内放送、同じ品揃えを用意するセブン・イレブンやマクドナルド、デニーズにいるかのよう。
ソワレともなれば上野公園を爆奏ならぬ爆走するバイクの音が壁を通して聞こえてくる。これも、全国どこにでも走り屋がいるのだということを実感させる風物である。
ヨハン・シュトラウスII世(1825-1899)<作曲>
ドイツ・オーストリー併合下のヴィーンで、ナチスが最も手を焼いたであろうと目されるユダヤ人。
リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)<作曲>
リヒャルト・ヴァーグナーとヨハン・シュトラウスの合いの子。
「DQN Juan」の間違い。
op.28。「しへん」と略するとストラヴィンスキーの交響曲(詩編交響曲)になってしまうので気をつけよう。
将来においてテンプ式のアナログ時計が身近でなくなった暁には演奏理解が困難になりそうな音楽。
続編として「影の薄い女」「化粧の濃い女」など。
「ミスター・リリアン」の異名を持つ剣道部の(止めなさい)
初演時は冒頭のベッドシーンが物議をかもした、ウィーン風にっかつロマンポルノ。
オクタヴィアンは通常女声で歌われるが、逆に全員男性歌手という「薔薇の騎士」な演出まだ現れていないものと思われる。
「カプリッチョ」の序曲のこと。フラマンが書いたのが「英雄の生涯」ばりの巨大管弦楽曲だったらどんなプロットになっていたことやら。
2曲。難しいところはみんなソリストが吹いてくれるので、下手なアマオケでも手が出せる。
イーゴル・ストラヴィンスキー(1882-1971)<作曲>
ピカソに描いてもらった自画像を持って国境を渡ろうとし、咎められたというエピソードで有名らしい。ピカソの画風のせいか、モデルじしんに原因があるのかは不明である。
あちこちの大学オケのトップやコンマスなどを集めて行われる一発オケでよく演奏される、通称「オケの祭典」。真面目に取り組もうとすると「オケの採点」になってしまうのでプロには嫌がられる。
第一次大戦で疲弊しきった時代に経費節減のために、奏者7名という最小限の編成で書かれた曲であるが、現代日本の地方のオペラ公演はあらかたピアノ一本での伴奏であることを考えると、当時のヨーロッパの方が7倍は豊かだったのだという結論を得る。
stretto(伊)<作曲>
音楽で表現された伝言ゲーム。だんだん情報量が落ちていく。
tacet(伊)<演奏>
弦楽器の人が知らないオケ用語の筆頭。日常生活に色々と応用が利くイタリア語。「仕事がタチェット」「脳味噌がタチェット」「財布の中身がタチェット」など。
徹・武満(1930-1996)<作曲>
邦画の音楽担当で見かけたり、国語の教科書でエッセイを読まされたり、合唱団で取り上げたりされることによって日本国内に膾炙した、世界では有名な作曲家。晩年は大江光のプロデューサとして知られた。
トータル・セリーの技法によるパロディ作品「ディセンバー・ステップス」などがホフヌング音楽祭やP.D.Q.バッハで取り上げられるのではと関係者をひやひやさせている。
昨晩から喉が痛い。今朝起きたら咳が止まらず、頭がくらくらしている。食欲はなく、熱を測ったら37,8度ある。昨日、変な編成の現代曲なんか聞いたからだろうか。
※それは「風邪」
Takemitsu Memorial<新宿区>
東京オペラシティ内のコンサートホール。内装は天井が四角錐でピラミッド内部を模しており、客席下に武満徹のミイラが安置されているとの噂である。生前からミイラみたいだった人物がホンモノのミイラになったらどう見えるのか、興味深々である。
Takt(独)<名詞>
指揮棒、ないしは小節。だから指揮者は小節内の細かいアゴギグについてまでは手が出せないことになっている。
Theremin<楽器>
最近は知名度も上がり、宴会芸の一発ギャグで「テルミンのチューニング」などというネタが使えるようになってきた。
※類似品:銅鑼のチューニング
Timpani<楽器>
英語で書くと「Kettle Drum=やかん太鼓」。ロシア語では「サモワール太鼓」になる…かどうかは知らない。コントラバスと並び、折畳式の開発が切望されている。
ピョートル・イリィチ・チャイコフスキー(1840-1893)<人名>
生前の人気によって死後、同性愛者の差別解消に貢献した。
6曲および「マンフレッド交響曲(op.58)」。「冬の日の幻想(op.13)」「小ロシア(op.19)」「ウクライナ(op.29)」の前3曲だけならただのロシアの作曲家だったのだが、へ短調(4番、op.36)あたりから本格派を指向しはじめたため大変なことになった。同じく本物コンプレックスのあるアメリカで大ウケしたことにより一躍メジャーに。前三曲および「マンフレッド」を演奏すると入場者数が減り、後3曲をかければどんな演奏でも満足してもらえてしまうさまはあたかもトランジスタ回路を見るかのよう。
習作を除いて3曲。有名な「アンダンテ・カンタービレ」はへ長調(1番、op.11)の第二楽章。全楽章にわたってシンコペーションが多い割にアンダーカウントのパートがなく、実はリズムが取りにくかったりする。筆者の出身大学のオケでは、第四楽章の旋律に当時団員が行きつけだった定食屋のメニューや定休日を歌いこんだ歌詞がつけられていた。
いわゆる三大バレエの組曲ではなく、4曲ある管弦楽組曲のこと。ほんの十数年前までは日本では知る人もいなかったが、最近はけっこう取り上げらているようである。来日予定だったシェリングが亡くなったとき、N響が代わりの演目で3番(op.55)を取り上げたのがブームの火つけ役だったと筆者は目している。権威といったところか。
誤:コーラングレで奏されるジュリエットの可憐なテーマをヴィオラが彩る。
正:コーラングレで奏されるジュリエットの可憐なテーマもヴィオラによって滅茶苦茶にされてしまう。
CMなどでよく冒頭が使われる弦楽合奏のためのセレナーデ(op.48)。どことは言わないが「悲愴」のアンコールでこれの第三楽章(15分)をやった馬鹿団体がいた。その後更にショスタコーヴィチの「祝典序曲」(10分)が続いた。これ以上ぶっ飛んだアンコールを筆者はいまだ知らない。
op.50のピアノ三重奏曲。誰かが死ぬとピアノ三重奏が書かれるのはグリンカ以来のロシアの伝統。シュニトケが死んだのでそろそろ誰か書いていそうである。
op.70の弦楽六重奏曲。俗名「フィレンツェの恥ずかしい思いで」。バカっぽい旋律が延々とたれ流され、意味もなく盛り上がって終わる、おバカな名曲。
op.20のバレエ。通称「白鳥湖」。伊豆沼や瓢湖の風景を見慣れている日本人は冬の物語のように錯覚してしまうが、ロシアに白鳥がいるのは実は夏なのである、という生態学的事実を感じさせるバレエ曲。
ホ短調交響曲(第5番、op.64)。以前「チャイごって難しいよね〜」という会話を耳にしたのでそうそうあれ真面目にやると結構大変なんだよチェリビダッケのLDでミュンヒェンの管楽器が以下略と聞いていたら大学の中国語の授業の話だった。
op.66のバレエ。ヒッキーのお姫様を救ったのは王子様からのメールでした。不用心に添付ファイルを開くとあら不思議マシンが再起動(以下略)
op.71のバレエ。ブルジョアがそんな雅なもんで胡桃なんか割ってたから革命が起きたりするのである。
ロ短調交響曲(6番、op.74)。タイトル("Pathetiqué")の由来は初演時の第一楽章冒頭でのヴィオラパートの惨状から。
平均百年以上前に作曲された音楽を今だに演奏しつづけるクラシック音楽というジャンルにおいて、演奏中に鳴り出して自己主張を行う現代の申し子。ハイドンの交響曲の演奏会ではプロコフィェフの古典交響曲、ヴァーグナーを演奏中の歌劇場においてはシェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」、バルトークの管弦楽のための協奏曲第四楽章演奏中にはショスタコーヴィチの交響曲第七番第一楽章中間部の主題を流すのがマナーというものである。
Tiara Koutou<江東区>
半地下構造のため、前の道路下を走っている都営地下鉄の音が聞こえてくることで知られる江東区のホール。電車の時間にあわせて「パリのアメリカ人」などをやると趣深いものと思われる。
tenor(伊)<名詞>
2ちゃんねるの有名なコピペ「万引きモナー」の中のセリフ「モナーは治外法権なんだよっ」という叫びが、音楽畑での「テナーは治外法権なんだよっ」という既成事実のパクリであることは意外と知られていない。この場合何が治外法権かというともちろん、女性に関してである。
Tokyo Bunka Kaikan<台東区>
壁の模様にどういう規則性があるのか気になって気になって仕方がなく、演奏に集中できません。何とかしてください。
serié totale(仏)<作曲>
「バベルの音楽図書館」などというギャグを実現しようとした作曲技法だが、微分音音楽の前に野望は焉えた。
Trumpet<楽器>
聖書によると、最後の審判の時に高らかに鳴り響くらしい。本番に向けてハイ・トーンを必死で練習している天使の姿を想像するにつけ、終末はまだ遠いだろうとおぼろげに予感する。
Trombone<楽器>
同じ直管の金管楽器でありながら、トランペットのイタリア語である Tromba/-e は女性名詞、こちらのイタリア語は男性名詞(Trombone/-i)である。楽器の性格をよく表わしていると思う。
Tsukuba Science City Orchestra<1985年創団>
昭和60年創団のこのオーケストラは、もとは科学博のイベントのために結成されたという、
つくば市で最大の市民オーケストラである。
研究学園都市内。常陸野の面影を未だに濃く残している緑だらけのこの地区で、
モーツァルトからバーンスタインまでの多彩なプログラムを取り上げる管弦楽団。
時代が移り変わり、元号が平成に改まった今日でさえ、
三年ほども顔を出していればいつのまにか古株になってしまう
という人の入れ替わりが激しい団体である。
Tuba<練習後の会話>
「音楽用語集、見させて頂いたんですけど、チューバがなかったんですよね」
「あ、そうでしたね。じゃ、ユーフォニウムの仲間ということで項目を」
「違いますっ。あれはチューバの方が先なんですっ」
「はいはい。では今度ヴァーグナーチューバとして記載いたしま」
「てぃがうんだぁぁぁぁ」
tuner<演奏>
平均律洗脳機。オケでは周囲がやかましくて自分の音が分からなくなるので、ヘッドギアを装着し脳に直接電気信号を伝えて音程を調節する。
audience<業界>
ライブ演奏において、最大の雑音発生源。
グレン・グールドがいち早く見捨てた存在。
筆者が今まで聞いた聴衆の声でもっとも共感を覚えたのはとある田舎町での「第九」演奏会で、第一楽章おわり頃で舞台の上にまで聞こえてきた子供の叫び「ママー、第九もう飽きたぁ」であった。
bowing mark<演奏>
少なくとも、ブルックナーに教えてはいけなかったものだと思われる。
レイフ・ヴォーン=ウィリアムス(1872-1958)<イングランド臭>
こんなフィッシュ&チップスと馬糞の臭いが混ざった煉瓦敷きの路地裏みたいな音楽好んで聞く奴なんて筆者のようなマニアくらいだと思っていたんですが、妹(ソプラノ歌手のはしくれ)が知らないうちにイギリス音楽に傾倒してしまい、歌曲「無慈悲な美女」とかの譜面が練習室に転がってたりするのでひそかにびびっています。血筋ってあるのかしら。先日「乞食オペラ」の音楽のCDを聞かせたところいたく称賛しておりました。どうすればいいんだ。
先日話していたところ「最初に「ウェンロックの断崖にて」とか聞かせたのはお兄ちゃんでしょう!」とかゆわれました。俺のせいなのか。
好きな人にしか存在意義がない合計九曲からなる管弦楽曲。好きな人むけに説明しますと(以下3GB略)
2曲。第一番(ト長調)は若い日のフランス留学前後に書かれ、ラヴェルおよび(例外的にラヴェルの弦楽四重奏曲と酷似する)ドビュッシーの四重奏に似たひびきを持つ、演奏効果のあがる作品。フランスものはいいけどうちら泥くさい方が得意なんだよなーという日本人演奏団体にはうってつけであり、もっと演奏されてしかるべきである。第一楽章の楚々としたひびき、新古典ふうのメヌエットの第二楽章、第三楽章の5拍子の民謡でさんざん歌ったあとにフィナーレのフーガでリピドーを発散してください。
第二番(イ短調)は作曲者晩年の作で、一転してショスタコヴィッチかと思わせる静謐なひびきが支配する、ひびき優先系音楽。この差異はときに国民楽派、ときに新古典主義と逍遥したRVWの作風を象徴している。作曲者の最高峰に数えられるべき曲で、「友人」である人妻のヴィオラ奏者に捧げられ、彼女の所属する四重奏団で初演された。「友人」と括弧でくくってみたが、実際、音楽を聴いてみるとその「友人」がどういう意味であったか色々邪推できるかもしれない。もちろん音楽じたいはそんな下世話な思考など即座に拒絶されなければならない静謐さで構成されていて、その深淵性は例えばM.エンデの「鏡の中の鏡」の世界などを彷彿させる(RVWじしんはキリスト教神学でいう「不可知論者」だったらしい)。全曲の白眉は2楽章「Romance」で、バグパイプを模倣する響きが支配する中に何か、極限状態での感情とでも表現するべき異世界が広がる。3、4楽章はそれぞれ自作のオペラなどからの旋律の引用がヴィオラを中心に奏される。
この他、バリトンとピアノと(ad lib.の)弦楽四重奏による歌曲集「On Wenlock Edge」がある。もの好きな歌うたいと音色が透明で伴奏が得意なピアノ奏者が見つかったら一度やってみるのも一興だろうと思われる。
しかし、あたしゃなんでRVWのカルテットでこんだけ書けるんだろう。
Viola<楽器>
ビオラです。
楽器かついで歩いてたら「それ、ギターでしょ」って言われたとです。
ビオラです。
「運命」第四楽章冒頭でうちのパートだけ最初からきざみだったです。
ビオラです。
ト音記号やヘ音記号が未だに読めません。
ビオラです。
一曲全部、後打ちだけだったことがあります。
ビオラです。
全力で弾いてたらアンケートに「第二バイオリンのお兄さんが一生懸命弾いてました」って書かれました。
「ヴァイオリン(Violin)」は文法的には「ヴィオラ(Viola)」の指小辞である。このことから判るように、ヴィオラは現在、弓奏弦楽器界において一世を風靡しているヴァイオリン族の、もともとはプロトタイプだった楽器である。改良型の方がすぐれているのは世の常だから、現在のヴィオラの立場は例えば「新世紀エヴァンゲリオン」のアスカに対する綾波のそれであろう。というわけで某オーケストラではヴィオラが弾ける綾波を絶賛募集中です。いやほんとに人足りないんだってば。
Viola Part<野菜の一種か何か>
三人のびよりすとが、何故自分はオーケストラを馘になったのか話していた。
「俺は指揮者より出が遅れて、それで馘になったんだ」
「俺は指揮者より飛び出して、それで馘になったんだ」
「俺は指揮者とぴったりに弾きはじめて馘になった。ばよりにすとの経歴を隠していたということで」
Violist<単細胞生物>
面接官「特技はびよらとありますが?」
学生 「はい。びよらです」
面接官「びよらとはどういう楽器ですか?」
学生 「スカッドミサイルです」
面接官「え、ミサイル?」
学生 「はい。不正確で暴力的です。聴衆全体にダメージを与えます」
面接官「・・・で、びよらを弾けると当社において働くうえで何のメリットがあるとお考えですか?」
学生 「はい。銀行で構えるだけでお金を出してくれます」
面接官「いや、当社では銀行強盗は雇っていません。それに音程が悪いのは犯罪ですよね」
学生 「でも、座っているだけでいいんですよ」
面接官「いや、座るとかそういう問題じゃなくてですね・・・」
学生 「舞台が水平かどうかを測定できるんですよ」
面接官「ふざけないでください。それに『びよら』という表記は何ですか。だいたい・・・」
学生 「『びおら』とはちょっとニュアンスが違うんです。ブラッチェとも言います。なぜブラッチェと言うかというと・・・」
面接官「聞いてません。帰って下さい」
学生 「あれあれ?怒らせていいんですか?弾きますよ。びよら」
面接官「いいですよ。弾いてみて下さい。びよらとやらを。それで満足したら帰って下さい」
学生 「運がよかったな。今日の曲目はおもちゃの交響曲みたいだ」
面接官「帰れよ」
※Special thanks to びよら冗句 & イオナズンのガイドライン
Viola Concerto<音楽の冗談>
ウォルトンのヴィオラ協奏曲の初演時の批評:
第一楽章:雑音だ。
第二楽章:ひどい雑音だ。
第三楽章:やっと雑音が収まった。
※言うまでもないが、元ネタは有名なロシアン・ジョークである。
Violin<楽器>
全く弾けない者、少しだけ弾ける者、とてもよく弾ける者の3種類に人類を区別するための楽器。一番目と三番目は人類にとって特に益にも害にもならないが、二番目は雑音を撒き散らして周囲に迷惑を振りまく。
茨城県に鹿島鉄道という小さな鉄道がある。ご多分にもれず自治体が補助金を出すの出さないのという議論をはじめるほどの赤字ローカル鉄道だが、ここにキハ600型という昭和11/12年製造の古いディーゼルカーが2両走っている。エンジンは製造当時積んでいたガソリンエンジンからディーゼルに伸せ替えられ、旅客流動にともなう用途の変遷にあわせて運転台まで改造しATSをつけクーラーをつけワンマン運転設備をつけ、床はいまだに木張りのオンボロにもかかわらずきちんとメンテされながら齢60をとうに過ぎた今もわずかの高校生やジジババを毎日、輸送している。そんなもんを後生大事に使ってるから赤字になるんだ、という議論はさておき、こういうのは指板を張り替えネックを新調し欠けた部分を作りなおしニスを何度も塗り直してなおも使い続けられるヴァイオリンと実は同じスタンスなのではないだろうか。鹿島鉄道の車両整備担当の人がヴァイオリン職人に転職したらきっとすごくいい仕事をするんだろうな、と思う。茨城までお越しの際は、小さなヴァイオリン工房の雰囲気ただよう同線を是非ともよろしく。
と思っていたら存続運動も空しく廃止になってしまいました。地方ローカル線を大切にしないのは音楽後進国ってことです。ぷんぷん。
アントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)<作曲>
同じ協奏曲を750回余りも書き直したとされている。ブルックナーもびっくり。
「お子さんもコンチェルトのソリストに!」などの文言で騙しこみ、高額な楽器やレッスン料、発表会負担金を請求できる音楽。別名「調和の霊感商法」。
地中海気候というのを彷彿とさせてくれる協奏曲集。ヴィヴァルディが日本生まれだったらもっと繊細で表現力豊かな音楽になっていただろうに。
ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)<作曲>
どこかの日本の強くもないサッカーチームに冠するなんて烏滸がましい、イタリア人の誇りである作曲家。
ヴァーグナーに対抗して構想された4部作「英雄の力」「運命の力」「田園の力」「合唱の力」のうち実在する唯一のもの。
伊豆大島に駐留中のイタリア海軍士官アルフレートと地元の少女「すみれ」との悲恋の物語。すべては東アジアに植民地を持ちそこねたイタリア人の願望が生み出した妄想というオチは各地で悔し涙を呼んだという。
ボードゲームを題材にした最初のオペラ。
リヒャルト・ヴァーグナー(1813-1883)<人名>
慶應の学オケであるワグネルソサエティの語源にもなった、ロマン派を代表する作曲家。早稲オケが対抗してブラームスゲマインシャフト、などと名乗ったという話は聞かない。
一般にはブラームス派と対立し、標題音楽およびオペラの優位性を示した人物、として知られる。しかしながら、現代日本におけるオペラ受容の現状および対するシンフォニー・オーケストラによる交響曲の普及を鑑みる限り、この対立は日本においてはブラームスに圧倒的に利が挙がっているように思える。もちろん、そんな対立には今や何の意味もない。
現首相が好きなオペラ。いっておくが最後は民衆に殺されてしまうという悲劇なんだぞ。
婚礼の行進曲で有名である。同時に、オペラじたいは破局で終わることがまるで知られていないことも物語っている。
※KEK-Bは以前は「トリスタン加速器」という施設でした。KEKの某教授が熱烈なワグネリアンであり、実際に「トリスタンとイゾルデ」から取られた名前です。後継施設の名前は絶対「ヴォータン」とかになると思ってたのになあ。筆者も対抗して自分の管轄のサーバマシンに「明るい小川」とか名前つけようかしらん。
キセルのこと。全曲の演奏時間を平均4時間、こちらを15分として計算すると1/16ほどになり、また分単位でJRのキロ数として計算すると3,890円の区間を前奏曲190円+愛の死180円のきっぷで乗ってしまったことになる。
「ニュルンベルク裁判」なんてものがなければもちっとナチナチした香りがしなかったであろうものを。
Q:作曲家と指揮者はどちらが強いか?
A:誕生日に嫁さんに自作曲を献呈できるかぎりにおいて、作曲家。
類題に「作曲家と画家ではどちらが強いか」「ユダヤ人とギリシャ人ではどちらが音楽性が豊かか」「ヴァイオリニストとびよら弾きとどちらがびよら冗句が得意か」などがあります。
トールキンの「指輪物語」の…じゃなくて。DVD屋で並んで置いてあったりするので紛らわしいことこの上ない。何とかしてほしい。
惜しむらくは題材がヨーロッパ偏狭な割に大掛かりすぎて、東洋の島国などではちょっと全容を把握しかねることである。「トリスタン」やR.シュトラウスの「サロメ」もびっくりな音楽による三日と一晩の間加虐的快楽の限りをつくす「首輪」などが書かれていたらもっと人気が…出ないか。
「おーい、仕事も終わったことだし、浅川君、一杯やらんかね」
「あ、いーですねぇ。やっぱ明日が休みってのは気が楽でいいですね。天沢もどうだ」
「あ、すいません。これ、明日休出して仕上げないといけないんでちょっと…」
「君も仕事熱心だねぇ。あっはっは」
※それは「花の金曜日」
wagnerian<ヲタ>
現代日本になぞらえると、宮崎駿や庵野秀明の監督作品、ぢたま某や樋上いたるの絵に入れ揚げる人たちのこと。触発されて二次創作に熱を入れてしまう人たちはさしずめブルックナーといったところである。
Wagner Tuba<自己顕示欲の固まり>
作曲家として知られる名前がついた楽器で現在残っているのは他にスーザフォンくらいしかない。単に人の名前がついた楽器としては大正琴、単に人の名前がついた楽器でないものには神武景気、平成不況などがある。
※人になったのは昭和天皇からだろうという突っ込みはご容赦を_(_ _)_
アントン・ヴェーベルン(1883-1945)<作曲>
無機的な音楽を書いた人間でも生臭い死に方をするものである。
一般人がお化け屋敷のファンシーな入り口だけ眺めてそこで引き返すという曲。
op.1の管弦楽曲。ブラ4のフィナーレに差し替えてこちらを演奏し、アタッカで「不思議なマンダリン」などを聞かせると聴衆にPTSDを発症させられそうであるが、20世紀初頭の西洋音楽界は実際、そんな感じだったのであろう。全体主義が抬頭するのも道理である。
op.21 の1曲のみ。と、これだけしか書かなければみんな聴いてみたくなることであろう。
op.26のカンタータ。スペシウム光線について書かれた最初の音楽。
X<遊星からの物体>
パート譜の弾けない段につけるばってん印。つけただけで練習した気になることもしばしば。
file<工具>
アクションを削ったりエンドピンを磨いたり実際に演奏で音を出して使ったりするためのオーケストラの必需品。一生懸命楽器の手入れをしているのを見ると、音程や音色にやすりがけした方がいいような気になることもしばしば。
the Yamanote line<JR>
「新世界」第三楽章コーダのヴィオラの六連〜五連〜四連〜三連のリズムを揃えるために「高田馬場、池袋、大塚、巣鴨」などと歌ったりする。合奏になると目白に停まっちまったり西日暮里まで乗り過ごしたりするびよりすとが必ずいるので注意。ちなみに神戸市営地下鉄山手線でやるときは「大倉山、湊川、上沢、長田」とか。
bow<棒>
弓道をやってる人と話をしていると会話が混乱する原因になる。なにしろ持つ手からして逆なのだ。
Königin der Nacht<夜の蝶とはちょっと違う>
ザラストロ、モノスタトス、タミーノらは腹を切って死ぬべきだ。
また、彼らはただ死んで終わるものではない。
唯一夜の女王が復讐の炎の中に投げ込む者達だ。
我が娘タミーナも同様だ。
理由は彼らにたぶらかされ実の母を裏切ったからだ。
詳しい理由はアウフ・デア・ウィーン劇場等で熟知すべし。
魔笛<W.A.モーツァルト>
鬼が勝利する桃太郎のこと。
アレクサンダー・ツェムリンスキー(1871-1942)<作曲>
"Z"の項が物足りないと思う音楽用語集編纂者の隠し玉。
ベルクが「抒情組曲」に引用した、という事実によって知られている作品。
Last modified: Wed Feb 27 03:47:55 LMT 2008
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