祝祭カンタータ真・善・美



1999年4月11日、作曲家の池辺晋一郎先生の指揮で、旧制松山高校創立80周年記念演奏会を
行いました。この「祝祭カンタータ真・善・美」は同校同窓会の委嘱により池辺氏自身が作曲した
もので、それぞれ真、善、美という題名の付いた3楽章から構成されます。

4月9日はオケだけの練習でした。会場は県民文化会館サブホール。
宴会部長(フルートに注目!)が花見の案内をしているところ。


練習の後は恒例の花見・・・の予定でしたが、あいにくの雨のため、いつもの
青緡(あおざし)で。中央は池辺先生の助手で作曲家の日高さん。


池辺先生と私。ほとんどミーハーの世界。


同じく愛響の2人のインペク。


4月10日の練習風景。第1ヴァイオリンは直前のリタイヤ者が相次ぎ
本番は4プルトで頑張りました。


右の方に写っている鐘は旧制松高で本当に使われていた始業・終業を告げる鐘。
曲の中で重要な役目を果たします。


木管パートは大健闘。5年前の初演のときよりずっと良かったと評判でした。
後方は愛媛大学合唱団の皆さん。


本番の写真がないため、いきなり終演後のロビー。
愛媛大学学生と松高同窓生が入り交じって輪になっての大合唱。
輪の中央にいるのは池辺先生。


真・善・美のスコアを手に自らも歌いながら指揮をされていました。


池辺先生の左隣は池辺先生の奥様です。
池辺先生、楽しい演奏会ありがとうございました。

以下は当日のパンフレットに掲載された池辺先生による曲目解説。


ふたたび、郷愁に寄り添って

作曲家 池辺晋一郎

 松山高等学校創立75周年記念大会のために祝祭カンタータ「真・善・美」を作曲し、私自身の指揮で演奏したのは、5年前の4月。そのあとかかった奇妙な音楽の(一種の)病を私は忘れない。このカンタータに使用した、松高のかつての寮歌のかずかずが耳から離れなくなってしまったのである。何をしていても無意識にメロディがふっと出て来てしまう。そのことをエッセイに書いたりもした。理由は簡単。いい歌が多かったがゆえ。しかしそのことを感じたのは私だけではなかったようだ。5年前のあの時、演奏後のパーティがそろそろお開きになりかけた頃、合唱パートを歌った現役の愛媛大生たちが集い、ロビーで歌い出したのである。誰も意図せぬ、自然な成り行きだった。その歌声の輸に同窓生の「おじいちゃんたち」も加わり、約半世紀の世代を越えて肩が組まれ、揺れた。感動的であった。
 このことは、私たちの国の近世をおおってきた「激動」と呼ばれる通念について考えさせてくれる。たしかにたくさんのものが時代とともに変わった。だが一方で「変わらぬもの」も在るのだ。変わらぬものは目立たないし、話題にもなりにくい。だがそれらを検証することは実はとても大切で、私たちに多くのことを教えてくれるのではないかそんな気がしてならないのである。
 全曲は約70分。三つの楽章から成る。使用した「歌」は別掲。
1.真:2度登場する校歌にはさまれて記念祭の歌などが年代順に。松高の理念を浮かび上がらせたい、と願った。
2.善:寮歌集。まず管弦楽のみでその歴史が年代順に描かれ、次いで合唱が加わって繰り返される。
3.美:運動部歌や応援歌等。若さ、そしてそれゆえの「美」。校歌が再登場し、もっとも愛された歌「暁雲こむる」が全曲をしめくくる。
 曲中の要所で鳴る鐘は、旧制松高に毎日響き渡ったまさにそのもの。この鐘のピッチが「変ホ]だったので、曲も「変ホ長調」になった。大作曲家ブラームスは、1879年ブレスラウ大学のために「大学祝典序曲」を作曲した。ドイツの学生歌が用いられている。「真・善・美」を作曲しつつ、私は不遜ながら自分をブラームスに重ねていた。5年前、この曲の演奏で初対面だった愛媛交響楽団とは、昨夏のコンサートを私が指揮するなどすっかり親しくなった。愛大合唱団も、むろん顔触れは変わっているが、私にとって親しい歌声だ。今回、仲間との「再演」が嬉しい。
 松山高校の80年の歴史に、小さな花を添える役目が果たせれば、私も幸福である。人生の大先輩諸氏の「郷愁」に私も寄り添い、きょう、その幸せを思いきり味わっていたい。


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