愛響と私 渡邉康雄
第25回定期演奏会のプログラムでは、当日の指揮者の渡邉康雄先生が曲目解説を兼ねて「愛響と私」を書いて下さいました。どうもありがとうございました。
今回初めて実弟の規久雄の演奏を松山市の皆様にご披露させて戴くにあたり、熟慮の末どうしてもブラームスのピアノ協奏曲第2番を弾いて欲しく思いました。この曲は小生のピアニストとしての思い出のデビュー曲であり、東フィル、札響、日本フィルと、小生自身がソリストとして各オーケストラの定期演奏会で弾いた曲ですが、十数年前に規久雄が父の指揮にて誠に立派な演奏をした曲としても脳裏に深く刻まれております。大きな交響曲のような風格を備えたこの曲は、指揮者とピアニストの実力が互角にぶつかり含い、オーケストラの団員諸氏にとっても単なる伴奏とはまったく違う、正攻法の交響曲作曲家としての迫力を大いに堪能できる曲であります。
20分以上もかかる堂々たるスケールの第1楽章。「小さなスケルツォ」と作曲者が呼んだ、ピアノに超絶技巧を要求されるほとんど演奏不可能な箇所を多く含んだ第2楽章。
美しいチェロの独奏を多く含む、あたかも天国にでも昇るかのような穏やかな第3楽章。
その到達した天国にてあたかも戯れているような、しかし全曲中でピアノとオーケストラ両方共に最も演奏しにくい第4楽章と、全曲の演奏時間もピアノ協奏曲の歴史上で最も長い大きな曲です。
徳島市で、生まれて初めて指揮台に立った時のソリストが、やはり規久雄で、この時はラフマニノフの第2番を弾いてくれました。「指揮台が揺れる」だの、「熊が大暴れしているようだ」だの、散々に冷やかされたのがついこの間のようであります。
父が他界した翌年に、渡邉家のルーツである長野県諏訪市で、日本フィルによる迫悼音楽会があり、地元の含唱団とフォーレのレクイエムを致しましたが、この時には前半に弟がチャイコフスキーの協奏曲を弾いてくれました。
従って今回が3回目の共演となります。お互いに40代後半にさしかかり、社会の中枢にて責任を持たされるようになったのと同時に、音楽的にも一段と円熟の方向に向かっているのではと感じて載けるようでしたら、心から幸いに存じます。
ショスタコーヴィチ(1906〜1975)
交響曲第5番ニ短調作品47について
広大なるロシアの大地の、土の匂いの中から湧き上がってくるようなショスタコーヴィチの交響曲第5番は、アマチュアの皆さんが必ず一度は演奏すべき最高の名曲として推薦をさせて戴きました。
ポーランドのワルシャワで初めて開催された第1回ショパンコンクールに、ピアニストとして出場するために練習を重ねたショスタコーヴィチは、腹痛のため第一次予選で落ちて失意のうちにペテルブルクに帰ります。その後、ピアノを弾くよりもっと大切なことがあると気付いて作曲を始め、その作品の中に、当時のスターリンの恐怖政治に対する怒りと悲しみとを、あたかも封印をするように描き出します。
この交響曲が「革命」という名で呼ばれるようになったのは、当時のスターリン政府がソビエト連邦共産覚の機関紙「プラウダ」を通して煽動した結果だろうと推測されます。この「革命」という特別な名称が、当時の社会主義を鼓舞するために必要であったのであり、「簡潔、明確で真実、古典的な形式、民族的かつ社会主義的でなければならない」と、芸術作品全般についての規定がなされていた当時の状況で、4楽章形式で長調のフォルティッシモで終わる、いわばブラボーと叫びたくなるような曲しか政府が容認しなかったのです。この規定は、芸術が分からない人たちが勝手に作ったものでありましたが、しかし万が一これにそぐわないと判断された場含には、とても信じられないことですが収容所送りにされてしまうというような時代だったのです。「西欧かぶれ」、はては「人民の敵」とまでに痛烈なる批判を受けていたショスタコーヴィチが、社会的に葬り去られるのを恐れて最強音で終わるように書いたのがこの交響曲とされており、当時の政府は大喜びしたそうですが、本物の才能を持つ音楽家達には次のように感じられたそうです。
第1楽章
「苦しめられた汚濁と切望をともなった悲劇」
第2楽章
「外見は単純なユーモアであるが、非常に嘲笑的な皮肉に覆われたスケルツォ(冗談、気紛れ)」
第3楽章
「とてもゆっくりとした、静かな、深い悲しみの瞑想の音楽。それは生きていることの恐怖と、疑いと、問いかけを、聴く者の心の奥底に訴えかけてくる」
第4楽章
「フィナーレ(最終場面)だが、最後の勝利ではない、強制された歓喜。それは、鞭打たれ、「さあ、喜べ、喜べ、それがお前たちの仕事だ」と命令され、ふらつく足で行進を始めるような、果てしのない悲劇」
当時のショスタコーヴィチにとって、偉大な尊敬し愛する人々の墓碑を立てられるのは、音楽の中だけにしかなかったのであり、追悼の意すら公言できなかったような時代であったのです。ピアニスト上がりの指揮者である私には、ショパンをこよなく愛したピアニスト・ショスタコーヴィチが、鍵盤上で自作などを狂ったように即興演奏する姿が、この交響曲の随所から感じられてなりません。スコアの音符すべてが、彼の血と涙で書きつらねられたような感触すら覚えるのであります。
今回初めて愛響の定期演奏会の指揮をさせて載くにあたり、以上のような小生が一番心から愛し、また、小生の大きな節目にかかわってきたものを選曲戴き、まさに愛響と小生の純粋で真拳な関係を改めて感じる次第で、心からの熱い感謝の念が沸き上がるのを禁じえません。父がもし仮に存命をしていたら心から祝福をしてもらえるような、皆さんと心身ともに一体となったような最高の演奏に持って行きたいと強く念願するものであります。どうかよろしくお願い申し上げます。