愛媛交響楽団広報誌「かのん」第28号
発行 : 2002年12月
編集 : ファゴットパート



目次(クリックで各記事へジャンプします)

1 渡辺康雄先生へのインタビュー
2 渡邉信一郎さんインタビュー
3 ニュージーランドのオーケストラ音楽事情
4 愛媛交響楽団創立30周年記念祝賀会
5 新入団員紹介
6 恐怖のふぁご吹き度テスト
7 編集後記

【渡邉康雄先生へのインタビュー】
◆ 15年、20年、25年、そして30周年とメモリアルな年に指揮をお願いしていますが、なにか感じられることがありますか。
○ まず、感謝の気持ちで一杯ですね。たまたま、父親が縁あって愛響を立ち上げ、ここまで育てる基礎を彼が作ってくれたんだと思います。それの恩義のようなものをみなさんが感じて下さっている部分があると思いますが、それを乗り越えて渡邉家一族とこれだけお付き合いいただけることに本当に心からありがとうという気持ちで一杯です。

◆ シベリウスの2曲について、何か思い入れは?
○ シベリウスの2番は、父が亡くなってもう12年になるんだけど、父の一番の十八番だった曲で年輩の皆様方は覚えていて下さっていると思うんですが、若いみなさんはご存じない方が多いと思うんですけどね。この曲は父があっちこっちで大成功し、また、父が世界的に有名になった曲なんです。あの曲にものすごくぶつかっていったんです。
彼はシベリウスの交響曲全集のレコードを2回作っているんですが、その1回目に作ったレコードの例えば4番、7番は名演奏だけど2番は良くなくて父は家ですごく悩んで2番はこれではと、それからはものすごく夢中になって勉強し、パート譜からスコアから全部音を一音一音チェックしてました。
この曲の直筆がフィンランドのトゥルクという所にあるんですが、それを見に行って、たまたま私も連れて行ってもらったんですけど、あの曲に賭ける情熱みたいなものが結実したんだと思います。
父が亡くなって随分経ってから岩城(宏之)さんが日本フィルの定期を振った時、彼はわざわざシベリウスの2番をやりながら、最初のリハーサルに来たとき『シベリウス2番の本場に棒振りに来ました。』と言ったそうです。おもしろいでしょ。ああいう百戦錬磨の世界を渡り歩く指揮者がシベリウスの本場に勉強しに来たと楽員に言ったということは本当にすごいことだと思いますよ。そうなったのは父のお陰(功績)だと思っています。
ただ、私は父とは別の演奏家だと自分では思って私が振るときはやりたいことをやって、別に父に反抗している訳では全くないんですけど。

◆ 愛響に今後、是非乗り越えてほしいことは?
○ 5年ごとにお付き合いさせていただいているんで
すけど、今回たまたま息子と共演させていただけるという幸運な機会をいただいて知ったんですけど、バルトークを初めてなさるということですが、バルトークという作曲家も実は父の十八番なんです。文献を紐解くと、父が本邦初演したバルトークの曲が随分あります。「弦楽のためのディヴェルティメント」とか、名曲解説辞典を見ると初演渡邉暁雄と書いてあるのがいくつもありますよ。
  バルトークという作曲家もものすごく大事なすばらしい作曲家で、何かみなさんぶつかっている音に違和感を覚えていらっしゃるようで、棒を振っていると伝わってきます。違和感じゃなくって親しみをもっていただきたいですね。バルトークをもう少しなさったらどうかなと思いますね。バルトークが今の世の中に与えた影響の大きさはまだ正当に評価されていないんじゃないかというくらい、途方もないくらあると思っています。それで変拍子が難しい難しいと愛響のみなさんから聞こえてくるんだけど、変拍子が難しいんじゃなくて、四で全部割って書くこともできるんだけど一拍目はここですよ、弱泊はここですよっていう、あれは彼の音楽そのものなんですよ。だから七拍子あり、五拍子あり、三拍子あり、四拍子あり、要するにいつも小節の頭が強拍だという彼の音楽観からでてる書き方なんです。それに皆さんが慣れるといいなと思います。(M)


【渡邉信一郎さんインタビュー】このページの先頭へ戻る
◆ 以前あなたが小学生のとき、愛響に出演していただいたことがありました。何か記憶されておられるでしょうか。
☆ さすがに小学生時代ということもありまして、ほとんど覚えていません。でも岩井先生のお顔はもちろん覚えています。

◆ 今回、愛響に来ていただいて、感想は?
☆ 今回の演奏会のためにいろいろと勉強させていただいています。コンチェルトを弾かせていただくのは初めてなんですが、本当に幸せだと思います。

◆ バルトークの曲はあなたのお得意なんでしょうか。
☆ 得意も何も、この曲は絶対にやらなくてはいけない曲のうちの一つなんです。ヴィオラ奏者にとってヴィオラのコンチェルトはあまり種類がないんですね。バルトークかあと何曲かと、本当に有名なのは片手に収まるくらいしかありませんので。でもまあ、そのうちもっとしっかり勉強しなければと思っています。

◆ ヴィオラを弾こうと思われたきっかけは?
☆ それはまず、体が大きいからという理由もありますが、やはりヴィオラの音が好きで。ヴィオラに替わってから間がないんですが、大学3年の終わりまでずっとヴァイオリン専攻だったんです。4年からヴィオラに替わりまして、もちろん高校時代から室内楽としてはヴィオラもやっていましたけれど。

◆ ヴィオラは中間で弾いてあまり動かないというイメージがありますが、それは合奏のときであって、ソリスティックな曲は数少ないでしょうけど、ここがヴィオラのいいところだということをお感じになっていますか。
☆ オーケストラに関しては、やはりヴィオラというのはなくてはならない存在だと思いますね。ヴァイオリンがメロディを弾いていてチェロ、ベースも下で弾いている中で、ヴィオラは和音を変える
色づけみたいな、味付けのような感じがあるんで、なくてはならない存在ですね。その中でやはりソロに向いてないかなって、ソリストとしては。音域も狭いし。

◆ ずうっとさかのぼりまして、小さいときから音楽の道に進もうと思われていましたか。
☆ いや、やっぱり小さいうちは相当嫌々やっていましたね。いやもう、泣きながらやっていたのを覚
えています。高校の音楽学科に入ってから自分でやるようになりましたね。

◆ あの楽器は御祖父様(渡邉暁雄先生)のですか。
☆ いや、違います。今回の楽器は、ある会社から貸していただいているものです。

◆ とっても柔らかく、また張りのあるすばらしい楽器だと思って聞いていました。
☆ 楽器にも勉強させられています。

◆ しばしば弦は切れますか。
☆ そうですね。気候の状態とか、弾き方にもよりますが。

◆ あごにグーンとくると思いますが。
☆ 今の楽器を借りて初めて弾いたときに思ったのは、まず楽器が共鳴する振動、自分にくる振動が全然違うんです。こんなに鳴るもんなんだって思いましたね。

◆ バルトークの曲はオケでよくやられますか。
☆ たまたま最近1週間くらい前に僕の所属しているオーケストラでバルトークのヴァイオリンコンチェルトとオケコン(オーケストラのための協奏曲)をやったんですが、すごく楽しかったですよ。オケコンは本当にすばらしい曲だし、良くできていますし、しかもわかりやすい、親しみやすい曲だと思いますね。

◆ 今までにコンチェルト何回かやられましたか。
☆ いえ、コンチェルトというのは生まれて初めてなんです、ここが。リサイタルというのもいままでに数回しかないんで、これからいろいろと経験していきたいと思っています。 (聞き手:M)


ニュージーランドのオーケストラ音楽事情 このページの先頭へ戻る
Chris Spragg

 大学時代、私はそれまでに全く聴いたことのなかった旧いスタイルの音楽と出会い、お年寄りたちと共に演奏しました。彼らは無声映画時代、劇場がピアニストや弦楽合奏団やオーケストラを抱えていた頃に演奏していた人たちでした。テレビや映画、あるいはラジオさえもなかった頃は皆自分達で楽しむ術を心得ており、ピアノ伴奏に合わせて一緒に歌ったりしていました。何か楽器ができる人なら、演奏する機会はいくらでもありました。音楽にとっても音楽家にとっても、この世の春でした。 そうして1926年映画に音声映画が登場し、1929年からは大恐慌、1939年には第2次世界大戦が始まりました。映画館にはもう音楽家が不要になり、オーケストラも消え去り、演奏の機会はなくなりました。 けれども戦争中ニュージーランドへやってきた亡命者達の中に、天賦の才に恵まれた音楽家、ピアニスト、指揮者らが含まれていたのです。大平洋をVIPをのせて飛んだ一人のアメリカ人パイロットもいました。彼は自身が音楽家でもあり、ニュージーランドで出会った音楽家達とラジオオーケストラでともに演奏し、あるバイオリニストと結婚してニュージーランドに定住しました。その彼が私の先生です。彼はクラリネット奏者でしたが、あらゆる管楽器を指導し、彼の生徒には、国立オーケストラの第1ファゴット奏者となった演奏家や、ロンドンのコベントガーデンオーケストラで終生、第1ファゴット奏者であった演奏家がいます。私は明らかに彼の不出来な弟子の一人でした。 

 戦後、国立オーケストラが首都のウェリントンで結成されました。当初は楽器も足りず、指揮者がコールアングレのパートを歌わなければならなかったというエピソードもあります。オークランドでは『ストリングプレーヤーズ』というオーケストラがあり、管楽器が加わったときには『拡大ストリングプレ−ヤ−ズ』と呼ばれていました。

 私の母は少女時代ピアノを習っており、父は弾くことはできませんでしたがチェロを(受け継いで)持っていました。母はそのチェロを始め、オーケストラで演奏し、父は合唱団で歌っていました。私は高校でクラリネットを始め、大学でも続けました。音楽の教授がファゴットを吹く機会を与えてくれ、ユースオーケストラに入団しました。しばらくのあいだ、誰かに「君がファゴットを吹いていたとは知らなかった」といわれると、私は「ああ、僕は本当はクラリネット吹きだから」と答え、「君がクラリネットを吹いていたなんてね」といわれたら「うん、僕は本当はファゴット吹きだからね」と答えることができたものです。

 その頃、オークランドオーケストラには二人のファゴット奏者がいましたが、二人とも私より若く、あと40年はそこにいそうに見えたので、私が入団するには、違う楽器をやってみるしかないと思いました。そこで私はコントラファゴットを注文しました。東欧で作った楽器なので(手続きが)何かと厄介で、鉄のカーテンをくぐり抜けやっとニュージーランドへ出荷されました。

 ところが、その楽器が到着する前に、ファゴット奏者の内の一人が病気になってしまったのです。オーケストラでの演奏とエンジニアの学位取得の両立は大変だと考えた彼は、オーケストラを辞めてしまいました。町で他のファゴット吹きといえば私だけで、しかもやっと18ヶ月習ったばかりでした。大抵はまず楽器を演奏できるようになってからオーケストラに加わるものですが、私の場合はオーケストラで楽器を吹くことを覚えました。指揮に合わせ、音色を合わせ、他の演奏者達とのバランスを取り、指を正確なホールとキーに置かなければなりませんでした。第1ファゴット奏者が根気よく私を叱咤激励し導いてくれました。
 ちょうどその頃一人の新しい指揮者が引き継ぎ、私たちのオーケストラをアマチュアオケから、年に5、6回のコンサートを行う小さなプロオケへと脱皮させてくれました。私はよい機会に入団したのです。団の成長とともに私の演奏も徐々に上達しました。大学を卒業後は3年間クライストチャーチに住み、別の指揮者がそこのオーケストラに同じようなことをしてくれました。そこからまたも私は恩を受けることになりました。

 私はよく行きつけの音楽店で楽譜を買っていました。カウンターの向こう側の若い女性にいつも私の名前と住所をいうわけですが、私が住んでいた通りにはマオリの名前がついていたため、かならず綴りをいうようにしていました。彼女は子どもの頃その通りに住んでいたことがあったので、どう綴るかは完璧に知っていたのですが、私が客であったため、知っているとは言えなかったのです。少なくとも私たちが結婚するまでは。
 二人はオークランドへ引っ越し、私はそこのオーケストラでまた演奏することになりました。ときたま夜9時か10時になると国立オーケストラの第1ファゴット奏者から電話がかかってくることがありました。そこの第2ファゴットが病気になり、コントラファゴット奏者が第2ファゴットを代吹きすることになるというのです。国中でコントラファゴットを吹くのはもうあと私一人だけでした。私が吹くんですか?コンサートはいつ?土曜日。どこで?南島のずっと南のダニディンで。リハーサルはいつですか?明日の朝。どこで?ウェリントンで。かくして私はスーツケースとファゴット(ダブルで吹く場合)とコントラファゴットを持って空港へ向かい、飛行機に乗ったものでした。

 オーケストラの音楽はそれ以降発展していきました。国立オーケストラ(現ニュージーランドシンフォニーオーケストラ)とオークランドシンフォニーオーケストラは完全なプロ集団になりました。またオークランド市にはおよそ8つのアマチュアオケがあります。この10年間くらいで、オーケストラ音楽はやっと1925年頃の段階まで到達することができました。

 私がニュージーランドで演奏していたオーケストラは大体小さめのオケでしたし、愛媛交響楽団が演奏するような大曲にトライすることは不可能でした。この3年間ニュージーランドではかなわなかったような曲の演奏機会を持てたことに心から感謝しています。


愛媛交響楽団創立30周年記念祝賀会 このページの先頭へ戻る

 去る9月15日、松山国際ホテルにて、「愛響」創立30周年記念祝賀会が華やかに行われました。この記念祝賀会には、愛媛県副知事矢野順意氏をはじめ「愛響」育ての親である故渡邉暁雄先生の奥様や、息子さんであり今回の定期演奏会を指揮してくださる渡邉康雄先生など、多数の方をお迎えして行われました。

 また、ちょっとしたサロンコンサートの場でもあり、「愛響創立30年」の感謝の気持ちを込めて、オーケストラやアンサンブルなど数々の演奏をしました。そして、渡邉康雄先生にも「ベートーヴェンのピアノソナタ」を弾いていただき、私たちの「愛響」を大変祝福していただきました。加えて、南海放送の提供による「愛響30年の歩み」というVTRが放映され、楽しみながらも真剣にみていました。その中でも過去の演奏が聴けたことは大変貴重なことだったのではないでしょうか?!その演奏はどれも統率力があり、訴えかける力の多い演奏。果たして今こんな演奏ができているのだろうか?と少し焦ってしまいました。

 最後に、団長の河野国光氏をはじめ9名の方々が団員表彰をうけられました。創立からすっと「愛響」に在籍してこられただけでなく、多方面にわたって私たちを導いていただけたことに深く感謝を申し上げます。本当にありがとうございます。そして、全員で新たに40年目を目指して前進していきましょう。がんばれ「愛響」!(IK)


〜新入団員紹介〜 このページの先頭に戻る
1 名前 2 性別 3 星座 4 出身地 5 パート 6 血液型 7 特技 8 必殺技 9 楽器歴 10 楽器を始めたきっかけ 11 入団したきっかけ 12 好きな指揮者 13 好きなオケ 14 好きな曲 15 演奏してみたい曲 16 愛響の印象 17 自由意見(コメント等) 18 お酒はどう?


1 露口 猛(つゆぐち たけし) 
2 男性
3 みずがめ座 
4 重信町
5 トロンボーン
6 A型
7 昼寝 
8 冷たい態度
9 6年
10 中学校の吹奏楽部 
11 中学校時代の後輩に誘われて
12〜13 −
14 ブルックナーの交響曲 
15 交響曲第9番(ブルックナー) 
16 みなさんお上手なので、邪魔にならないようにしたいと思います。
17 下手くそですが、あたたかく見守ってやって下さい。
18 普通





1 富士原 洋子(ふじわら ようこ)
2 女性 
3 うお座
4 今治市
5 トロンボーン
6 A型
7 〜8 −
9 13年
10 中学校の吹奏楽部
11 恩師にすすめられて 
12 小澤征爾
13 サイトウキネン
14−
15 チャイコフスキーの曲 
16 とてもあたたかいオケです。
17 よろしくお願いします。
18 嫌い


1 池内 里絵子(いけうち りえこ)
2 女性 
3 かに座 
4 松山市
5 ホルン
6 B型
7 どこでも寝れる
8 − 
9 10年
10 −
11 オーケストラで吹いてみたかったので(今まで吹奏楽だった)
12〜15 − 
16 明るくて・優しくて・気さくな方ばっかりです。 
17 いつもやらかしてばっかりでスミマセン。これからもご迷惑をおかけすると思いますがよろしくお願いします〜。
18 好き




〜ご協力ありがとうございました(IN)



 ふぁご(ファゴット)のHPは閉じてしまいましたが、HP運営当時「やばいほど当たってる」とふぁご吹き連中に恐れられていた「恐怖のふぁご吹き度テスト」を載せてみます。是非皆さんもチェックしてみてください。

**恐怖のふぁご吹き度テスト**     このページの先頭へ戻る

質問を読み、「はい」か「いいえ」を選んでください。

Q1 なんだかいつものほほんしている。
Q2 面倒なことは嫌いだ。
Q3 だから相談されても冷たい。
Q4 実は変にマニアックな趣味がある。
Q5 お酒に強い。
Q6 わりと努力家だと思う。
Q7 危機感が少ないと思う。
Q8 恋は百戦錬磨?
Q9 人前で激昂したり泣いたりすることがほとんどない。
Q10 常識にはあんまりうるさくない。(手段よりも結果重視)
Q11 単位はほとんど落としたことがない。(学校の勉強はわりと得意)
Q12 結構胃が弱い。
Q13 時々本気で外してしまう。(マジボケする)
Q14 先頭に立って何かをすることが多い。
Q15 わりと疑り深かったりする。
Q16 異性の友人よりも同性の友人の方が多い。
Q17 演技派。人を担いだりするときはこっそり好演している。
Q18 ファゴットの音色もフォルムも役柄も全部好き。
Q19 外してる人(どこかボケてる人)はかっこ悪くて嫌い。
Q20 お金には結構うるさい。(実はしっかり貯め込んでいる)

「はい」を1点、「いいえ」を0点で数えてください。
ただし3・8・14・19については「いいえ」に1点、「はい」に0点です。

**診断結果**
20-18点:むちゃむちゃふぁご吹きです。まだの人は諦めてファゴットを始めましょう。
17-12点:ちょいとやばそうです。わりと我が道をいく人のようです。
11- 7 点:あなたはごく普通の人です。あと五年くらいはふぁご吹き独特の雰囲気には毒されないでしょう。
6- 0 点:社交的でつきあい上手、美しいもの・イケてるものしか興味ないあなたには、ふぁご吹きのツボを理解するのは難しいかもしれません。


どうでしたか?
18点以上のあなたは問答無用でふぁご吹きになりましょう。
新メンバーお待ちしております('-'*) (T)



編集後記

 今回の「かのん」、いかがでしたでしょうか?今回、ファゴットパートが担当ということで、"ひとり一文"を目標に原稿を集めたところ、このような力作が出来上がりました。最後まで読んでいただければ大変うれしく思います。
 なお、クリスさんの原稿については第2ヴァイオリンの重松映子さんにご協力いただき、日本語に訳していただきました。
 この場をお借りしてお礼申し上げます。(O)


(編集 池田、稲荷、大野、クリス、高橋、森田)
(イラスト 稲荷)


                          このページの先頭へ戻る





 愛響アラカルトへ戻ります。
ホームページへ戻ります。