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演奏曲目紹介

2007年9月に開催した 千葉大学OBOGオーケストラ第1回定期演奏会の演奏曲目3曲について、解説&紹介しています。


L.v.ベートーヴェン
交響曲第1番

R.ヴァーグナー
ジークフリート牧歌
W.A.モーツァルト
交響曲第38番「プラハ」

『交響曲第1番 ハ長調 Op21』 L.v.ベートーヴェン

この交響曲は快活で憧れ心地に満ちている。われわれはまことに大きな感動をもって、やがてきたるべき天才的精神のひらめきを、この若い姿の中に感取する!
 ―ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生涯』片山俊彦訳(岩波書店、1983)より30頁

 偉大な作曲家・ベートーヴェンについてここで長々と語るなどという無粋な真似は致しません。そろそろ演奏も始まってしまいますし・・・ということで、曲の時代背景などを簡単に説明させていただきます。

 交響曲第1番は1799年から1800年にかけてウィーンで作曲されました。ピアノソナタ第8番「悲愴」や6つの弦楽四重奏曲などともに、ベートーヴェンの初期の代表作として知られています。当時のベートーヴェンはまだ30歳。いや、モーツァルトの神童っぷりと比べると「もう30歳」といった方が適切でしょうか。ちなみに当楽団員における長老は30+x歳です。平均年齢は20歳代半ば。音楽も人生も、まだまだ、これからです。
 さて、ベートーヴェンの当時の作品を理解するには、彼が20歳代後半から感じていた「難聴」が一つの鍵となります。音楽家にとって、耳が聞こえなくなることは死に等しい。そのような「死」を内に抱えつつ、絶望の底で表現しようとしたもの・・・それが、彼の作品の核となったのです。
 例えば、ピアノソナタ第8番「悲愴」等には悲劇的な悲しみが顕著に現れています。では、明るく快活な雰囲気に満ちた交響曲第1番に現れているものは?・・・それは、故郷や少年の日への追憶と微笑です。

 第1楽章Adagio molto - Allegro con brio
序奏つきのソナタ形式。ハ長調、4/4拍子 - 2/2拍子
序奏と生き生きとしたアレグロが楽しめる楽章。古典的な交響曲の第一楽章である、と言ったらそれまでであるが、ピッチカートの使い方や調声の変化はベートーヴェン独自のものである。

 第2楽章Andante cantabile con moto
ソナタ形式の緩徐楽章。ヘ長調、3/8拍子
古典的な響きを持ったメロディーが弦楽器によって紡がれる。ティンパニが初登場するが、その音は静かながらも印象的である。

 第3楽章Menuetto: Allegro molto e vivace
複合三部形式。メヌエット、ハ長調、3/4拍子 
スケルツォ的である。このような急速調のメヌエットは、ベートーヴェン以前には誰も交響曲に取り入れていない。弦と管の対話が楽しめる楽章である。

 第4楽章Adagio - Allegro molto e vivace
ソナタ形式、ハ長調、2/4拍子
出だしから、ユーモアの利いた楽章である。ハイドンになりきったベートーヴェンはそれ以上の快活さを見せ付けてくれる。

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『ジークフリート牧歌』 R.ヴァーグナー

 曲名の「ジークフリート」という名前は、楽劇《ニーベルングの指環》の《ジークフリート》との関連性を誤解しがちで、確かに幾つかの動機が《ニーベルングの指環》から取られてはいるものの、楽曲としては独立したもので、そもそもジークフリートとは直接的にはヴァーグナーの長男ジークフリート・ヴァーグナー(1869〜1930)のことを指している。

 ヴァーグナーは1864年からミュンヘンに於いて歌劇の上演を行う機会を得ていたが、そこで助手を務めていたのがハンス・フォン・ビューローであった。ヴァーグナーはこのビューローの妻であったコージマ(リストの娘)と恋に陥り、そして同棲するようになってしまう。
 2人にはやがて女児が2人生まれ、続いて男児がひとり生まれた。56歳にして初めて得た長男にヴァーグナーは当時作曲中だった楽劇《ジークフリート》から名を付けた。

 当時ヴァーグナーはスイスのルツェルン市の郊外にあるトリープシェンに住んでいたおり、ここに3人の子供とコージマも暮らしていた。1870年コージマはビューローと正式に離婚して同年の8月25日にヴァーグナーと正式に結婚した。そしてその嬉しさと、また長男ジークフリートを産んでくれたねぎらいと感謝を込めて曲を作ろうと考えたのである。

 12月25日のコージマの誕生日プレゼントにするためにこの曲の作曲のことは秘密にされた。そのために12月4日、出来上がった総譜はこっそりハンス・リヒター(《ニーベルングの指環》の正式初演[1876]の指揮者)に渡された。リヒターは直ぐにこれを筆写し演奏者を選び、そしてその練習ももちろん内密に行われた。
 当日はクリスマスであり日曜日でもあったが、朝早くにルツェルンからやって来た15人の楽員たちは、足をしのばせてコージマの寝室に通じる踊り場や階段に陣取り、演奏の準備を行った。リヒターはヴィオラを受け持っていたが、トランペット(13小節間)も奏することになっていた。
 演奏は午前7時30分に最上段のヴァーグナーの指揮につれて始まり、突然の演奏にコージマは驚き喜んだ。そしてその日、コージマと子供たちはこの名曲を「階段の音楽」と呼んで何度も何度もアンコールしたという。

 この初演の後に1871年12月30日マンハイムにおいてヴァーグナー指揮で私的演奏が行われ、1877年3月10日にマイニンゲン公の宮殿で公開演奏が初めて行われた。
 楽曲は1878年2月に出版され、最初は《フィーディー(ジークフリートの愛称)の鳥の歌とオレンジの日の出をもったトリープシェン牧歌》と名付けられていた題名はこの時に《ジークフリート牧歌》と改められた。
 曲は、ヴァーグナー自身の《ジークフリート》第3幕の「愛の平和」の動機や《ヴァルキューレ》の最終場面の「まどろみ」の動機などといった、楽劇からのライトモティーフが多くふまえて構成され、全体的に穏やかで温かく、ヴァーグナーの私的な幸福感に満ち溢れたものとなっている。

 最後にヴァーグナーの言葉を記しておく。

コジマ・ワーグナーへ
 お前の我が身をかえりみない尊い意志が、私の作品に発展のありかを見出してくれたのだ。お前によって、俗世を離れた静寂に捧げられ、今や私たちの作品は、そこに芽生え、力つよく私たちを蘇らせた。英雄の世界は私たちを魅了しつつ牧歌になる。親しいふる里にははるかな太古の牧歌。
 そこには楽しげにひとつの叫び声が私たちの歌へと鳴り響く。
 「息子が生まれた!」と。― 彼はジークフリートと名付けられるのだ。
 彼とお前のために、私は楽の音によって感謝しなければならない。愛の業にはやさしい報いはいかにして在りえようか?
 私たちは愛の業を、わが家の内にはぐくみ、静かな喜びは、ここで響きとなったのだ。ためらいなく、私たちに誠を示すものは、ジークフリートには優しく、私達の息子には親しくあってくれ、お前の愛情とともに、今こそ彼等に示すのだ。かつては響きわたる幸福として私たちがひそかに楽しんでいたものを。

―海老沢敏:訳―  

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『交響曲第38番 ニ長調 K504 「プラハ」』 W.A.モーツァルト

Eudiska Ostia

 この交響曲をモーツァルトが完成させたのは1786年の12月だった。もっともそのときはまだ「プラハ」の名前はなく、モーツァルトはこの曲をウィーンの冬シーズン向けにと考えて作曲したようだ。しかし結局この交響曲は、1787年1月19日に『フィガロの結婚』の大成功で沸き返るプラハでモーツァルト自身の指揮によって初演された。そこからこの「プラハ」という愛称がつけられたのであり、だから決してこの曲はプラハのために書かれたり、またはプラハをイメージして作曲されたわけではない。

 ザルツブルクに1756年に生まれたモーツァルトは、その名が示すとおり神に、殊更に音楽の神に愛されていた(彼のフルネームは長く、Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart。”Theophilus”は「神に愛された」という意味のギリシャ語で、”Amadeus”はそのラテン語)。幼くしてその天賦の才を発揮した彼は、よく知られているように35年の短い生涯の3分の1ほどを演奏旅行に費やした。そしてそのうちプラハには4度訪れている。当時のプラハは、そしても今も変わらずだが、中世の黄金時代の面影を残した文化都市で、モーツァルトはこの街を非常に気に入っていた。

  ―プラハ―美しい街である。春江一也が『プラハの春』でその美しさをこう讃えている。「ブルタバの黒い流れがきらめき、たゆたい、ライトアップされたカレル橋の橋塔がくっきり浮かび上がっていた。…旧市街ティーン教会の双塔が黒々とそびえ、取り囲む家並みの小さな窓に点々とともる灯、淡い街路灯に照らされる路地と大通りが、幻想的な光景を構成していた。なにかしら物憂く、寝つかれない人のためいきがこもるかのような闇の中にプラハは静かに横たわっていた。たしかにこの街は幻想の街だった。」
 冒頭に書いたように、この交響曲はプラハを描写したものではない。しかしこの曲がプラハの華やかさ、静かさ、闇の深さや街全体の、そしてそこに住む人たちの美しさをよく表していると思えないだろうか。

以下に簡単に各楽章の解説を述べる。

第1楽章 Adagio~Allegro  D-dur ソナタ形式 4分の4拍子
 長い序奏を持つソナタ形式で書かれている。明快で華やかな印象を与える第一主題と、A-durで奏される柔和で優しい第二主題が非常に美しい。また展開部が短いモーツァルトからは想像もつかなかった複雑な対位法が用いられた展開部が特徴の楽章である。それはこの第38番に続く後期3大交響曲を思わせる。

第2楽章 Andante G-dur ソナタ形式 8分の6拍子
 第一主題のあとの推移に見られるスタッカートで演奏される音形が、ゆったりと流れるメロディーと好対比をなす美しい楽章である。展開部でもそれは基本的に変わらず、第一主題と推移での素材が交互に現れる。

第3楽章 Finale,Presto D-dur ソナタ形式 4分の2拍子
 この交響曲は、メヌエット楽章なしに最終楽章へと進む(一般的な協奏曲と同じ構成)。ここでは『フィガロの結婚』でスザンナとケルビーノが歌うアリアによく似た楽句が採用されている。

 さて、この記念すべき第一回演奏会で何故「プラハ」なのだろうか?それは音楽の神に愛された作曲家と、過去、現在、そして未来までもが変わらぬ姿でそこにある、まさに幻想の街、夢見る街との組み合わせがこの曲だからである。神にまでとは言わないが、我々の音楽がみんなに愛され、未来へとゆるぎなく流れ、そして常に夢を見ていられるようなオーケストラでありたい、そしてそういう演奏でありたい。そう願いながらこの曲を第一回で取り上げるのである。今日はその想いを少しでも感じ取っていただければ、それは我々にとって最大の幸せである。

 ところで私事で恐縮だが、先日プラハに住む私の友人が結婚式を挙げた。知的で美しく、私が勝手に形容するところの「プラハのような」女性で、幸せそうに新郎と収まった写真が送られてきた。祝福の言葉と共にこの曲を心の中でこっそりと彼女の結婚に捧げたい。

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 第3回定期演奏会の曲目紹介
 第2回定期演奏会の曲目紹介