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演奏曲目紹介

ここでは、2009年9月に開催した 千葉大学OBOGオーケストラ第3回定期演奏会で演奏した3曲について解説&紹介しています。


L.v.ベートーヴェン
交響曲第3番「英雄」

M.ブルッフ
ヴァイオリン協奏曲第1番
C.M.v.ウェーバー
歌劇「オベロン」序曲

『交響曲第3番 「英雄」 変ホ長調 Op.55』 L.v.ベートーヴェン

Eudiska Ostia

 「余の辞書に不可能の文字はない」の名言で有名なナポレオン=ボナパルト。改めて言うまでもないことですが、フランス革命の嵐の中から現れ、ヨーロッパ中を戦争と革命に巻き込んだ「英雄」です。当時ヨーロッパ諸国の知識人たちは、ナポレオンに占領されることによって輸入される「民主制」を歓迎し、ナポレオンを民衆の味方と考えていました。

 そんな知識人の1人に、聴覚を失い始めたベートーヴェンもいました。民衆のために音楽を作る、また、それぞれの作品に芸術的な意味合いを持たせることで音楽家という職業を芸術家へと高めていった彼には、ナポレオンの思想や政治には共感できるところが多かったのです。

 一般的には、ベートーヴェンはこの交響曲第3番をナポレオンに献呈しようと考えて作曲していたと言われています。「勝利の調性」とも言われる変ホ長調で書かれているのは、そのためとも言えるでしょう。

 この曲が完成したのは1804年1月でした。ベートーヴェンは表紙に「ボナパルト(ナポレオンの名前)」と書き、献辞も添えられていました。しかし曲の完成から間もない1804年5月、ナポレオンはフランス皇帝に即位してしまいました。古代から「皇帝」と言えば「ローマ帝国の皇帝」を指し、ナポレオンの時代では神聖ローマ帝国の皇帝のことです。「貴族」であるハプスブルク家が代々継いでいました。

ナポレオンは民衆の味方ではなかったのか?貴族の象徴「皇帝」に、しかも自ら「フランス皇帝」などと新しい帝位を作って即位するとは!(帝位簒奪と言います)―ナポレオン即位のニュースを聞いたベートーヴェンは「彼もやはり凡人に過ぎなかったか!」と叫んだと言われています。そのくらい彼にとって、ナポレオンが「旧体制(アンシャン・レジーム)」の象徴へ即位したことは衝撃的でした。

 ベートーヴェンは激怒し表紙を破り捨て、「英雄交響曲―ある偉大な人の思い出に捧げる」と改題しました。こうして交響曲第3番「英雄」が完成したのです。(「英雄」が誰なのかについては異論もあります)

 このように作曲にまつわるエピソードが有名な「英雄」ですが、革新的な英雄を礼賛した曲らしく、曲自体もこれまでの交響曲の枠組みから一歩も二歩も外に出た新しい試みがたくさんなされた曲でもあります。1楽章の主題が全楽章を通して現れる循環と呼ばれる作曲法、2楽章の葬送行進曲、3楽章のスケルツォ、4楽章の変奏曲など、伝統的な交響曲の慣習を打ち破った革新的な作曲技法や試みがふんだんに採用されています。そこでは「ハイリゲンシュタットの遺書」に書かれたような、耳の病気による死への願望は影を潜めています。ベートーヴェンが音楽の旧体制からの脱却を図った「英雄」は、「傑作の森」といわれる精神的にも最も充実していた中期作曲群の入り口にもなった記念碑的な交響曲になりました。

 そんな知識人の1人に、聴覚を失い始めたベートーヴェンもいました。民衆のために音楽を作る、また、それぞれの作品に芸術的な意味合いを持たせることで音楽家という職業を芸術家へと高めていった彼には、ナポレオンの思想や政治には共感できるところが多かったのです。

 一般的には、ベートーヴェンはこの交響曲第3番をナポレオンに献呈しようと考えて作曲していたと言われています。「勝利の調性」とも言われる変ホ長調で書かれているのは、そのためとも言えるでしょう。

 この曲が完成したのは1804年1月でした。ベートーヴェンは表紙に「ボナパルト(ナポレオンの名前)」と書き、献辞も添えられていました。しかし曲の完成から間もない1804年5月、ナポレオンはフランス皇帝に即位してしまいました。古代から「皇帝」と言えば「ローマ帝国の皇帝」を指し、ナポレオンの時代では神聖ローマ帝国の皇帝のことです。「貴族」であるハプスブルク家が代々継いでいました。

ナポレオンは民衆の味方ではなかったのか?貴族の象徴「皇帝」に、しかも自ら「フランス皇帝」などと新しい帝位を作って即位するとは!(帝位簒奪と言います)―ナポレオン即位のニュースを聞いたベートーヴェンは「彼もやはり凡人に過ぎなかったか!」と叫んだと言われています。そのくらい彼にとって、ナポレオンが「旧体制(アンシャン・レジーム)」の象徴へ即位したことは衝撃的でした。

 ベートーヴェンは激怒し表紙を破り捨て、「英雄交響曲―ある偉大な人の思い出に捧げる」と改題しました。こうして交響曲第3番「英雄」が完成したのです。(「英雄」が誰なのかについては異論もあります)

 このように作曲にまつわるエピソードが有名な「英雄」ですが、革新的な英雄を礼賛した曲らしく、曲自体もこれまでの交響曲の枠組みから一歩も二歩も外に出た新しい試みがたくさんなされた曲でもあります。1楽章の主題が全楽章を通して現れる循環と呼ばれる作曲法、2楽章の葬送行進曲、3楽章のスケルツォ、4楽章の変奏曲など、伝統的な交響曲の慣習を打ち破った革新的な作曲技法や試みがふんだんに採用されています。そこでは「ハイリゲンシュタットの遺書」に書かれたような、耳の病気による死への願望は影を潜めています。ベートーヴェンが音楽の旧体制からの脱却を図った「英雄」は、「傑作の森」といわれる精神的にも最も充実していた中期作曲群の入り口にもなった記念碑的な交響曲になりました。

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『ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 Op.26』 M.ブルッフ

木が3つ

 マックス・ブルッフ( Max Bruch 1838〜1920)は、実は生まれ故郷ドイツではオラトリオや歌劇などの大規模な声楽作品で有名だという。そんな彼はその生涯にヴァイオリンと管弦楽のための曲を4曲残している。3曲のヴァイオリン協奏曲とヴァイオリンとハープと管弦楽のための“スコットランド幻想曲”である。今回演奏するこのヴァイオリン協奏曲第1番ト短調はそれらの中でも最も有名で演奏頻度も高い曲である。作曲されたのは1866年。ブルッフ28歳の時で、友人でヴァイオリン奏者のヨーゼフ・ヨアヒムに献呈された。初演の後に、ヨアヒムの助言をもとに書き改められ、1868年1月に、ヨアヒムによって決定版が演奏されている(ただし初演はヨアヒムではなく、オットー・フォン・ケーニヒスロウがソロを弾いている。指揮はブルッフ自身)。

 曲は通常の協奏曲と同様3つの楽章により成り立っているが、その内容は伝統的な形式などに囚われることなく、非常に自由に書かれている。そのことが、この曲の魅力の一つになっている。しかし忘れてはならないのは、この曲の、全曲中に溢れる豊かな旋律美と情熱的音楽であり、また独奏部の技巧的部分と曲の美しさのバランスの良さが、この協奏曲を今日まで引き継がせる最大の要因、魅力と言えるのだろう。


第1楽章 Vorspiel. Allegro maestoso g-moll
 通常の協奏曲ならソナタ形式の楽章が置かれる第1楽章だが、この曲では“Vorspiel.(前奏曲)”となっていて、形式にとらわれていないこと、冒頭に置かれたティンパニソロと独奏ヴァイオリンのカデンツァ風のソロなど、それまでの協奏曲と比べると斬新なアイディアが随所に織り込まれている。

第2楽章 Adagio Es-Dur
 第1楽章から切れ目なく入ると、独奏ヴァイオリンが美しい主題を提示する。主題の美しさ、教会の賛美歌を思わせるコラール風の進行などが、聴く者の気持ちを暖かく、そしてどこか切なくさせる。過去の良き思い出に浸っているシーンが頭に浮かぶ。

第3楽章 Finale. Allegro energico G-Dur
 第2楽章が“過去の思い出”ならばこの楽章は“明るく希望に満ちた現在から未来”、といったところか。主題の断片が、遠くから聞こえてくるように始まる。徐々に近付いてくるに伴って断片もあちこちから聞こえその緊張がピークに達したとき、独奏ヴァイオリンによって完全な姿を現す第1主題は大変力強くエネルギッシュ。第2主題は対照的に流麗。最後はテンポをPresto(急速)に速めて、力強く全曲を終える。

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『歌劇「オベロン」序曲』 C.M.v.ウェーバー

J.T.

 作曲者ウェーバー(Carl Maria von Weber , 1786-1826) は、ドイツ・ロマン派初期の作曲家、指揮者であり、特にバロック後期から古典期に隆盛を極めたグルックやモーツァルトらによるイタリア・オペラに代わり、ドイツ語による 「ドイツ国民主義のオペラ」 を開拓した作曲家として、ワーグナーの「楽劇」に至るドラマティシズムの発展に寄与した重要な存在として今日記憶されている。

 ベートーヴェン(1770-1827)と同時代を生き、その後のロマン派を代表するワーグナー(1813-1883) やベルリオーズ(1803-1869)らは、ウェーバーの代表作「魔弾の射手」がきっかけで作曲家になったと言っている程、後の世に多大なる影響を与えた。
 プラハ劇場の指揮者を経て1817年に31歳でドレスデン宮廷劇場の楽長として指揮者として大成する一方、古典からロマン派をつなぐ「初期ロマン派音楽の開祖」として、ドイツ音楽史に燦然と輝く偉大なる作曲家である。

 そして、演奏する歌劇≪オベロン≫は、40歳で亡くなったウェーバー最後の遺作である。

 彼の代表作である35歳の時の作品「魔弾の射手」、そしてその2年後の作品、歌劇
「オイリアンテ」によって彼の名声は一気に高まり、ロンドンのコヴェント・ガーデン劇場(ロイヤル・オペラ・ハウス)は彼の成功を見て新たな歌劇の作曲を依頼した。

 ウェーバーの死後、50年ほど経った19世紀後半頃から、ようやくフランス語、ドイツ語の上演も増えてきたロイヤル・オペラ・ハウスだったが、当時の彼は歌劇の台本としてヴィーラント(Christoph Martin Wieland, 1733〜1813)の叙事詩<オベロン>の英訳を選ぶとともに英語を勉強してこの歌劇を制作したという。この逸話からも彼がこのロンドンからの楽曲依頼に対して並々ならぬ思いで力を注いで取り組んでいたことが想像できる。

 この頃ウェーバーは健康が優れず、医師より静養を進められていた。しかし、父が音楽家で劇団持ち主であったことで、幼少期より各地を放浪としていた彼にしてみれば、35歳にしてようやく幸せな家庭生活に落ち着き、希望に満ちあふれた生活を安定して送っていくための願ってもないオファーだったろう。

 抱えている肺病が悪化する中、なんとか楽曲を完成させ1826年4月12日、コヴェント・ガーデン劇場において彼自身の指揮で初演が行われ大絶賛を博す。しかし、この作品初演の2カ月後、彼は郷里の妻子を懐かしみながら40歳の若さでロンドンにて永眠してしまうこととなる。

 死期の近づいた人の筆致とは思えない活気と彼の思いを少しでも表現できるよう、私たちも精一杯演奏したい。


◆歌劇概要
 ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『夏の夜の夢』で知られる妖精の王オベロンは、妃のティターニアと男女の愛について口論となり、いかなる困難にも耐えて愛を貫く恋人たちを見つけるまでは絶対に口をきかないという夫婦喧嘩に陥ってしまう。オベロンは、寵臣パックと相談し、フランスのシャルルマーニュ大帝に仕える騎士ヒュオンを真摯な恋人候補として選び、魔の角笛を彼に授けることにする。騎士ヒュオンとバクダッド太守の娘レツィアは、オベロンの魔法により互いの夢を見て相思相愛の仲となる。レツィアを連れて帰る途中に船が難破し、テュニスの太守に捕らわれて苦難に遭うが、ヒュオンの吹く角笛によりオベロンが現れ二人を救う。そうして若い二人は結ばれ、固い愛の絆による理想の男女の愛を見たオベロンとティターニア達も和解し、物語はハッピーエンドを迎える。

 ウェーバー「オベロン序曲」をお聴きになられた後、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」でシェイクスピア、そしてロマン派音楽の系譜に思いを馳せるのも、お洒落な楽しみ方で時間を忘れていつまでも楽しむことができるかもしれません。

 冒頭に始まるホルンソロは妖精の王、ヒュオンが吹く妖精王オベロンの角笛、木管のキラキラしたパッセージは取り巻く妖精達の様子、そして金管トランペットはフランスのシャルルマーニュ大帝を示す王のファンファーレ等を容易にイメージすることができる。これらは彼のロマンティックオペラ曲に共通する、情景描写が得意なウェーバーの手法である。

 第1主題で突然のフォルテシモ後、急にテンポが変わって弦の上昇系のパッセージ。そして第2主題、第1句でゆったりとクラリネットが独奏し、第2主題、第2句ではヴァイオリンのきわめて印象に残る楽句が展開される。最後に、弦がクレッシェンドでかけ上がってようやく幕が上がって本日の歌劇のはじまりはじまり、となるのだが、今回の私たちの演奏会では、石亀協子さんソロによるブルッフ<ヴァイオリン協奏曲第1番>とベートーベン<交響曲第3番 英雄>への期待をいざなっていただき、さあ、いざ千葉大学OBOGオーケストラの記念すべき第3回演奏会のはじまりはじまり〜。

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 第2回定期演奏会の曲目紹介
 第1回定期演奏会の曲目紹介