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演奏曲目紹介

ここでは、2010年9月に開催した 千葉大学OBOGオーケストラ第4回定期演奏会で演奏した3曲について解説&紹介しています。


R.シューマン
交響曲第3番「ライン《

L.v.ベートーヴェン
交響曲第4番
J.ブラームス
悲劇的序曲

『交響曲第3番「ライン《 変ホ長調 Op.97』 R.シューマン

Eudiska Ostia

 全長1,200km超、スイスのアルプスにその端を発し、フランス、ドイツを通りオランダに入り最後には北海へと到達する。古代ローマ時代より現代まで商業、交通、軍事などあらゆる面でゲルマン人に恩恵を与え続けてきたその川は、今では支流の1つと一緒にこのように呼び習わされている。

「父なるラインと母なるモーゼル《

  1850年9月、革命に沸くザクセン王国の王都ドレスデンから最終的にライン河畔の街デュッセルドルフに指揮者として移住してきたシューマンにとっても、ライン川は計り知れない恩恵をもたらした。数年前から狂気とロマンティシズムの間を壊れた振り子のように行き来していたシューマンだったが、ライン地方の温暖な気候と気さくなラインラント人、そして愛する家族に囲まれることでほんの一時的にではあったが正気を取り戻し、最後の数々の吊曲を生み出していったのである。
 今回演奏する交響曲第3番「ライン《 は、シューマンの4曲の交響曲のうち最後に作曲された。「ライン《 とはシューマンが命吊したものではないが、やはりデュッセルドルフに来た喜びやライン川沿いで見聞きしたものから着想を得て書き上げられたことは間違いなく、伸びやかで開放感に溢れた吊曲といえよう。

第1楽章 Lebhaft 変ホ長調
 ソナタ形式。4分の3拍子で書かれているが、ヘミオラという技法により2拍子系の上思議な浮遊感のある第一主題が序奏なしに強奏される。それはライン川の滔々とした流れを感じさせ、また調性、拍子、ヘミオラが去年演奏会で取り上げた「英雄《 を想わせる。  第二主題は古典以来の伝統である属調(変ロ長調)ではなく、そのさらに平行調であるト短調で書かれている。その後提示部は変ロ長調になって終わるが、古典のように繰り返されることはない。

第2楽章 Scherzo : sehr massig ハ長調
 4分の3拍子。スケルツォと表記はされているが、ゆったりしたテンポでまるでレントラー(ドイツの民族舞踏の1つ)のようである。形式的にはロンド風と言えるが中間部を2つ持った構造をしている。繰り返される上向音形と下降音形の旋律は、ライン川にたゆたう波のようである。

第3楽章 Nicht schnell 変イ長調
 4分の3拍子。2部形式と3部形式が組み合わされているが(A-B-B-A)、A-C-B-C-B-Aと、見ることもできる。弦楽器と木管楽器で演奏されるこの楽章は、シューマンらしいメルヒェン的ロマン的旋律に彩られた美しい楽章である。交響曲全体でみると、間奏曲的な楽章と言える。

第4楽章 Feierlich 変ホ長調(実際の響きは変ホ短調)
 4分の4拍子。3つのパートからなる。ケルン大聖堂で行われた枢機卿就任式から着想され「厳かな式典の伴奏のような性格で《 と書かれていた(のちにシューマン自身により削除)。金管楽器がコラール風の旋律を奏で、これがカノンのように進行される。初めてトロンボーンが登場するが、3本のうち1本は「アルトトロンボーン《 と指定されている。ラヴェルの「ボレロ《 より高い音(ミ♭)を要求されるので、通常のテナートロンボーンで代用するとかなり奏者泣かせの楽章でもある。
 全体的に見ると最終楽章への序奏と見ることができる。

第5楽章 Lebhaft 変ホ長調
 2分の2拍子。これまでの3つの楽章とは打って変わって、まさに”Lebhaft(生き生きした)”な旋律で始まる。それは民衆の祝祭的な喜びのようでもあり、またシューマンの感情の迸りのようでもある。自由なソナタ形式で書かれていると考えられ、第二主題は1st Vn.と木管に現れるが第一主題の派生と見ることもでき、明確には示されない。 展開部では第4楽章の主題も現れながら祝祭的な気分を高める。コーダではファンファーレが鳴り響き、Vc.に再び4楽章の主題が現れ、この楽章の頂点へと向かっていく。
最後に”Schneller(Piu vivace)”となり、最後は全ての楽器による2つのsfで曲が締めくくられる。

 実はシューマンがロマン派の薫りをかいだのは文学からだった。そしてそれは出版業を営んでいたシューマンの父親がいたからこそできたことだったともいえる。若き日のシューマンは父親の数千もの蔵書を読み、古典やロマン世界への空想に存分に耽ることができたからである。その他にも父親は息子をウェーバーに師事させようとするなど、シューマンの詩的才能、音楽的才能をできる限り伸ばすことに努めてくれた。この子煩悩な父親なくしては、私達はロマン派音楽家ロベルト・シューマンに出会うことはなかったかも知れない。
 なおこのシューマンの父親はシューマンが16歳のときに死んでしまい、それがシューマンの鬱病発症の引き金を引いてしまう。父親はシューマンの人生における輝かしい部分だけでなく、結果として影の部分でも重要な役割を果たしたのである。

 1854年2月、シューマンは父なるラインに身を投げた。その理由についてはさまざまなことが考えられるが、前日に妻クララに自分を精神病院に入れてほしいと懇願している。このことから一般的には、シューマンは狂気によって身投げをした、精神が正常なとき自身の精神疾患を憂いて自殺を図ったなどと言われており、私もそう捉えるのがもっともだと考えている。結局入水後すぐさま助け上げられ、ボン近郊の精神病院で2年半の余生を過ごした。
 しかし今、この自殺未遂の理由を「詩的音楽的才能と狂気の道、これら2つを自分の人生で最も愛した2人の人物、すなわち妻クララと父親(父なるライン)に返そうとした《 と言ってみたらどうだろう。シューマンはライン川に飛び込むとき、まず結婚指輪を投げ入れてから後を追うように身を躍らせたのだ。断っておくと、もちろんこれは私の勝手な空想に過ぎないし言葉遊びの範疇を超えるものではない。だがそう考えたとき、彼のロマン派文学と音楽に彩られた人生の最後の結実を見ることを禁じ得ない。”ROMA”を逆さに読むと”AMOR(=愛)”である(もちろんこれも言葉遊びに過ぎない!)。この正気を失いながら愛の死を求める様子は、彼の死後わずか3年を経て完成したロマン派音楽の最高峰、楽劇『トリスタンとイゾルデ』にも見出される。

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『交響曲第4番 変ロ長調 Op.60』 L.v.ベートーヴェン

木が3つ

 「2人の北欧神話の巨人の間にはさまれたギリシアの乙女《

 この言葉はシューマンがこの曲を例えた言葉と伝えられている。「2人の巨人《 とは、この作品の前後の交響曲、第3番(英雄)と第5番(運命)である。この2曲は何れも、ベートーヴェンの代表作というばかりか、交響曲史上における奇跡とすら言われるほどの傑作にして大曲であることはもはや周知の事実であろう。そんな巨人的2曲の交響曲に挟まれて存在するこの第4交響曲に「軽くて小さな交響曲《 というイメージがついてしまう
のも無理ないのかもしれない。
 なるほど確かに第3番と比べれば曲の規模や編成は小さく、第5番のような計算し尽された構築美もない。むしろ自由な即興さ、幻想的な雰囲気すら感じさせる。ベートーヴェンがこの曲に独自の世界を切り開いていった姿が見えてくるとも言えるが、しかしよくよく聴いてみれば、和音の使い方、念を押すように書かれたf(フォルテ)やsf(スフォルツァンド)、レガートの美しさ、モティーフの徹底使用、強弱など瞬間的に変わる対比のつけかたは、やはり紛れも無くベートーヴェンの音楽だなと思わされるのである。このようなベートーヴェンらしさと、それまでに無い自由な即興性や幻想的雰囲気が合わさった結果、この曲はオンリーワンの魅力を持って輝くことになったのだろう。

第1楽章 Adagio-Allegro vivace
 冒頭弦楽器が弱奏で奏する旋律は後に出てくる第2主題を暗示している。長い序奏は極めて幻想的であり早くもこの曲の真髄が出てきたような感じだが、主部のAllegroからはガラリと空気が変わり、軽快なテーマが楽しい。シンコペーションの後に木管により奏される第2主題は先ほどの序奏で暗示されたものとは打って変って可愛らしさが満ちている。展開部は主に第1主題を軸に書かれている。

第2楽章 Adagio
 冒頭第2ヴァイオリンによって示される律動がこの楽章を一貫して支配している。さらにこの楽章ではメロディはただの「美しい歌《 ではなく、何か瞑想的な雰囲気を感じさせる。特に第2主題部のクラリネットの響きは聴いているものを幸福感に満ちた世界へと誘ってくれる。後半では主題をフルートが変奏したり木管やホルンによる即興的な部分も見られる。

第3楽章 Allegro vivace-Trio:un Poco meno Allegro
 普通ならここはスケルツォ(A)とトリオ(B)で3部形式(ABA)を形成するところだが、ベートーヴェンはここで敢てそれまでの慣習を捨て、ロンド形式風(ABABA’)とした。スケルツォ主題が勢いよく曲を開始する。所謂「ヘミオラ《 という独特のリズムで構成されている。トリオは一転テンポも少し落ち着いて、木管の流れるようなメロディにヴァイオリンの可愛らしい合の手が入る。

第4楽章 Allegro ma non troppo
 ヴァイオリンによっていきなり示される主題は驚異的とも言える運動性を持つ主題で、演奏者にもかなりの技量が求められる難曲。この運動的性質は最後まで続く。一回皆で主題を強奏で反復した後、クラリネットの軽快な伴奏に乗ってオーボエやフルートで第2主題が奏される。展開部もこの運動的第1主題が止むことはない。極めつけの再現部に入るときのファゴット・ソロは超絶技巧の難所として有吊。クライマックスを作り上げてか
ら、穏やかに落ち着いていくが、最後はやはり例の第1主題が低音部によって勢いよく奏され、全楽器によって力強く曲を終える。

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『悲劇的序曲 ニ短調 Op.81』 J.ブラームス

Cl. sdu

 今から130年前の1880年、ブラームスはブレスラウ大学から吊誉博士号を与えられた礼として、明るく喜ばしい「大学祝典序曲《 (作品80)とほぼ同時期に、全く性格を異にする「悲劇的序曲《 を相次いで完成させた。
 両者は双子の序曲とも称されており、それぞれ「笑う序曲《 「泣く序曲《 と本人は語っていたという。

 余談であるが、ベートーヴェンも「運命《 と「田園《 という正反対な曲を作曲している。先人を模して、という訳では無いのであろうがドイツの偉大な作曲家の些細な共通点が興味深い。

 「大学祝典序曲《 が幾つかの学生歌を引用しているのに対し、「悲劇的序曲《 は何らかの具体的な出来事や文学作品を想定しているわけではない。

 ただ、ブラームスは次のように告白している。
  「私は、学生歌をふんだんに詰め込んだ、大変陽気な序曲を書かない訳にはいきませんでした。そしてその際、私は自分の憂鬱な気持ちを満たすことを我慢出来なかったのです――悲劇の序曲も書くことを。《

  曲は、アレグロ・ノン・トロッポ  ニ短調  2/2拍子の大がかりなソナタ形式である。 

 劇的な第1主題部分に始まり、推移主題(トロンボーンの祈るようなコラールが美しい)を経て優しい第2主題につながり、第1主題と同様に激しい結尾主題に向かう。

 この曲は、「悲劇的序曲《 でありながら、題吊から予想されるような「悲痛さ《 を特に強調しているものではないし、かといって悲しみにあふれた陰鬱な曲でもない。どちらかと言えば、男性的な悲劇色が濃く、人生の暗部に打ち勝とうとする力強い意志を感じさせる。

 これこそ、この曲を作曲した頃のブラームスの姿だったのではなかろうか。

 当団が初めて本格的に取り上げるブラームス、ご期待下さい。

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 第3回定期演奏会の曲目紹介
 第2回定期演奏会の曲目紹介
 第1回定期演奏会の曲目紹介