交響曲第7番を彩る特殊楽器
Guitarre (ギター)
今回演奏する交響曲第7番には、マーラーのスコアで唯一「Guitarre」のパートが書かれている。つまり「ギター」。
クラシックギター(この稿では以下、「モダンギター」と呼ぶ。写真右)が登場する一時代前に普及していたのが、「ロマンティックギター」(日本では「19世紀ギター」と呼ばれることが多い。写真左)。
今回の演奏会では、ロマンティックギターを使って演奏する。理由は後述するが、その前提として「ギター史」をごく大雑把にではあるが俯瞰しておきたい。
ロマンティックギターは「手軽なリュート」的な楽器として誕生した、と言われることがある。 ヴィヴァルディもギターのための曲を書いているので、その当時には少なくともロマンティックギターの原型となる楽器はあったと思われる。 が、当時はまだ音域・チューニング・弦の本数などさまざまなバリエーションがヨーロッパ各地にあり、統一的な仕様は確立されていなかった。
時代は下り、19世紀初頭には現在と同じ「六単弦」、つまり弦の通り道が6コースあり、1コースに1本の弦が張られている(例えばマンドリンは1コースに2本の弦。 このような状態が「複弦」、これに対してギターなど、1コースに1本の弦が張られている状態が「単弦」と呼ばれる)楽器がギターの統一的な仕様としてある程度確立していたと思われる。 この楽器がヨーロッパを席巻したのが19世紀前半。シューベルトやベルリオーズが親しみ、パガニーニも自作の曲を演奏していた時代である。 楽器として標準となる仕様は確立されたものの、楽器そのものは本質的には変わっていない。 ソルやジュリアーニ等、ギタリストやギターファンにはお馴染みの作曲家たちも皆ロマンティックギターで作曲し、この楽器で演奏していたということになる。
19世紀も半ばから後半に入ってきて、ロマンティックギターは衰退する。 そんな時期に一人の製作家が現れた。アントニオ・デ・トーレス。 そのギターはサイズ、材質、内部構造すべてがそれまでのギターと異なり、必然的な結果として音質も大きく変化した。 トーレスの音は張りがあり、強く輝かしい。 おそらく当時、他の楽器でもみられた変化、チェンバロからピアノへ、バロックヴァイオリンからモダンヴァイオリンへという動きも同心円状にあったのではないか。 時代が求める音、といってよいだろう。
トーレスとその追随者の作る楽器は、最新鋭のギターとしてプロの演奏家を中心に次第に拡がり続けた。 これが今のモダンギターに繋がる。
実質的には「別の楽器」と言ってよい2つの楽器、「ロマンティックギター」と「モダンギター」の併存は長く続いた。 一説によると、第2次大戦期までロマンティックギターの演奏者人口はそれなりに多かったとも言われるのだが、そういう状況にとって致命傷になったのが第2次世界大戦の戦火と、戦後の交通手段と録音技術の進歩。 伝統ある工房の多くが再起不能に追い込まれた一方で、セゴヴィアなどの著名な演奏家はツアーや録音でモダンギターの音を世界的に普及させた。 ロマンティックギターは一時期ほとんど姿を消したが、ここ2、30年の古楽復権の流れに乗ってようやく再び光が当たり始めた、というところだろう。
ようやくここで、マーラーが7番で書いた「Guitarre」がどちらの「ギター」だったのか、という疑問に辿り着く。
だが、ここまでの論考から導き出される解答はそう難しくないだろう。
古き良き時代を回顧するような第4楽章全体の曲想、そして318、319小節にある、現在のギターでは低すぎて出せないC音の存在。 このCが出せるのは19世紀以前の、つまりギターの統一的仕様が固まる以前の楽器だということを考え合わせると、当時最新鋭のモダンギターをマーラーが想定していた、というのはやや考えにくい。
マーラーの頭の中で鳴っていた音が、ロマンティックギター(あるいはさらに時代をさかのぼった楽器)のそれだったと考えるのは、あくまで推論の域を出ないが、それなりに妥当性を持っていると思う。
初演時やそれに近い時期の演奏が実際にどうだったのかは知る由もないが、少なくとも最近の演奏では、この曲でロマンティックギターが使われた例は寡聞にして知らない。 (写真の楽器は、2001年黒田義正氏製作。今回の演奏会では、この楽器を使って演奏する。)
今回の演奏がどんな響きになるのか。それがマーラーの想定した響きに少しでも近づければ、幸いである。