この作品は、伊福部昭の2作目の協奏曲として(1作目は1941年「ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲」)戦前の札幌時代からデッサンを進め、戦後上京後、1948年に「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲」のタイトルで脱稿、同年6月18日に東京日比谷公会堂に於いて、江藤俊哉のヴァイオリン、上田仁指揮、東宝交響楽団(現、東京交響楽団)のメンバーで初演された。そしてこの初演後、自ら幾度かの改訂を行っているが、そのプロセスを紹介すると、まず初演の3年後1951年に一度改訂し、その版がジェノバ国際作曲コンクールに入選。さらに二度の改訂を経て、これが本日演奏される1971年の現行版スコアであるわけなのだが、この幾度もの改訂から察するに、作者が如何に本作に愛着を感じていたかが想像できよう。
そもそも伊福部昭とヴァイオリンとの関係は既に少年時代から始まっており、当時かなりの腕前であったことは、その証として、本作のソロパートや管弦楽作品の弦楽器セクションの巧みな書法に裏付けられている。さらに準えるなら、パガニーニやサラサーテらヴァイオリニスト兼作曲家などのヴィルトゥオーソ達のポジションに、似ていなくもない。
さて本作のコンセプトとして、余りにも洗練され切った、西欧のヴァイオリン音楽に対して、ジプシーヴァイオリンに近い書法で、よりアジア的感性でもって作曲されている。(もっともこのコンセプトは伊福部作品全体に通じるものなのだけれど)よって西洋音楽とは全く別のテクニックを要し、演奏にはかなりの難度を伴う。曲は二楽章形式で、第1楽章は旋律的、第2楽章は律動的な側面に主眼が置かれている。余談だが先述した初演版には、この両楽章の中間部に緩叙楽章があったが、作者の判断で削除された経緯がある。両楽章ともに、伊福部独特のアクの強い個性が満ち溢れている力作であり、ハチャトゥリアンのような民族性を有するヴァイオリン協奏曲にも匹敵する、日本人作曲家の傑作であると思う。
(*本稿は第2回定期演奏会パンフレットに掲載されたものです。禁無断転載)
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