ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」


 死を覚悟したはずのトリスタンとイゾルデが、侍女ブランゲーネの「作為」によって愛の媚薬を飲んでしまったばかりに、死よりも救いのない禁断の愛の世界に踏み込んでしまう。ワーグナーの代表作であるばかりでなく、全てのオペラ、楽劇の究極の音楽表現とも評される、この類まれな芸術作品は、実は、ワーグナーと人妻マティルデ・ヴェーゼンドンクとの燃えたぎるような不倫の恋が背景にあることを見落とすわけにはいきません。 しかし、そんな肉欲的な愛の姿が、これほどまでに崇高に描かれた事実を、我々は一体どう理解すればよいのでしょう。「前奏曲」では、「トリスタン和声」とも呼ばれる半音階進行で展開する弦楽器や木管楽器の何とも研ぎ澄まされた美しさ。そして後半の「愛の死」では、現実からひたすら乖離(かいり)してゆく愛の浄化ともいうべき神々しさと静寂さ。 本来ならば、楽劇冒頭の「前奏曲」と最終場面の「イゾルデの愛の死」の間には、3時間半以上の音楽が連綿と続いているはずなのに、このわずか20分強の間に前場面の情景を彷彿とさせるワーグナーの音楽の魔術。まさに19世紀の最高芸術と呼ぶに相応しい音楽が今ここに歴然と存在しているのです。

■本日の聴きどころ
 「前奏曲と愛の死」は管弦楽のみで演奏されることがほとんどですが、本日は後半の「愛の死」をオリジナル通りソプラノ独唱付で演奏いたします。しかもソリストは、新国立劇場のワーグナー「ニーベルンクの指環」公演でジークリンデやグートルーネを熱唱し、大喝采を浴びた蔵野蘭子さん。彼女の生涯初の「イゾルデ」を本日の演奏会で披露してくださいます。我々のオーケストラとしても夢のような出来事です。なお、蔵野さんが歌われる「イゾルデの愛の死」(亡骸となったトリスタンを前にして、彼が宇宙と合一する至福の姿を歌い上げる場面。歌い終わった後イゾルデも天上へと旅立ってゆく。)の訳詞は次の通りです。(オペラ対訳ライブラリー「トリスタンとイゾルデ」(音楽之友社刊より高辻知義氏の訳を引用)

穏やかに、静香に、彼が微笑む、その眼をやさしく開く―みなさん、ご覧になれますか?見えていますか?
しだいに輝きをまし、彼がきらめくさま、星たちの光りに囲まれ、昇ってゆくさまが?見えていますか?
彼の心臓が雄々しく高まり、ゆたかに気高く胸うちに漲るのが?
その唇から、喜ばしくも穏やかに、甘い息吹がやわらかに洩れるさま―みなさん、ご覧なさい!それが感じられ、見られませんか?
私にしか、この調べは聞こえないのですか、奇蹟にあふれて、かすかに、
歓喜を嘆き、すべてを口にして、穏やかに和解をもたらしながら、彼の口から響いて、
私の胸うちにしみいり、羽ばたき昇る、情愛ふかくこだましながら、私を包む調べが?
響きの輝きを増しながら、私をめぐり包む、
それは、さざなみとなって寄せるそよ風でしょうか?大浪となって打ち寄せる歓喜の香気でしょうか?
そのさざなみが、大浪が高まっては私を包んでざわめくさま、私はそれを呼吸し、それに耳を澄まし、
それをすすり、そこへ身を沈めたらよいのでしょうか?香気のなかへ甘く息を吐き切ったらよいのでしょうか?
この高まる大浪のなか、鳴りわたる響きのなか、世界の呼吸の吹きわたる宇宙のなかに―
溺れ、沈み―我を忘れる―こよない悦び!

(*本稿は第3回定期演奏会パンフレットに掲載されたものです。禁無断転載)

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