I.作曲された時期
本年2010年はマーラー生誕150年、来年2011年は没後100年にあたる2年連続のマーラー・メモリアル・イヤーということになります。
そのメモリアル・イヤーまっただ中の本日演奏される交響曲第7番は、前作第6番を1904年に書き上げた直後から実質的な作曲が開始され、同年中に第2楽章と第4楽章、翌1905年に残りの第1・第3・第5楽章が仕上げられて、全曲が完成しています。
マーラー45歳の作品です。この1905年という年は、昨年の当団プログラムでも記述したとおり、マーラーにとっては人生のピークともいえる幸福な時期が継続していた頃であったと考えられます。
すなわち、1897年にウィーン宮廷歌劇場の音楽監督のポストを得た後、1902年3月にアルマと結婚。同年11月には長女マリア、翌6月には次女アンナが生まれ、以後1907年の長女マリアの急死という衝撃が起こるまでは、指揮活動にしても作曲活動にしても、もちろんプライベートの家庭生活も忙しくも充実した日々が続いていた時期に当たります。
波乱万丈のマーラーの生涯の中では、数少ない安定した暮らしの中で生まれた曲ということもできそうです。
ちなみに、全曲初演は、1908年9月19日、プラハにて、グスタフ・マーラー自身の指揮で行われています。
II.副題の問題
本日演奏される曲は、交響曲第7番「夜の歌」、という副題を付けた作品名で紹介されることが一般的です。
その理由の一つは、第2楽章と第4楽章にマーラー自身が「Nachtmusik(ナハトムジーク)」(夜曲)という副題を付けているからで、さらに注目すべき点として、作曲に着手された楽章の順序が第1楽章からではなく、この第2楽章と第4楽章からであったということが挙げられます。
比較的安定した生活の中で、前作の「悲劇的」と呼ばれる交響曲第6番とイメージの点で対極にも見てとれる「夜曲」をマーラーが交響曲第7番の中心テーマに据えたと考えれば、確かに、ブラームスが非常に厳しい楽想の交響曲第1番を書き終えた後、一転してのどかな幸福感を伝える交響曲第2番を書いたこととうまく対比して語ることができます。
しかしながら、それがマーラーの意図した本質であったかどうかは極めて不確かです。
まず、マーラー自身がこの交響曲第7番全体を、「夜曲」ないし「夜の歌」という副題で呼んだ例は一度も確認されていないことに加え、この交響曲で他楽章と明らかに楽想の異なる第5楽章のイメージは、およそ「夜曲」とはかけ離れているものです。
アルマの回想によっても、「第2楽章と第4楽章以外にはこの交響曲は何らのプログラムも持っていない」と語られています。
交響曲第7番の難しさは、むしろ、全体を「夜の歌」であれ何であれ、一つの概念で括り出すことが非常に困難であるというところに尽きるかと考えられます。
そこで、本日の演奏会においても、一般的に用いられる「夜の歌」という副題は敢えて付けず、もっと自由な視点からこの交響曲の新しい側面を描き出すことを目指しています。
III.交響曲第7番の風変わりな特徴
(1)ギターとマンドリンの使用(第4楽章)
数あるクラシックの交響曲の中でも、ギターとマンドリンをオーケストラ内の一楽器として使用する曲はほかにはまず思い出せません。
どちらかというと音量の小さなこれらの楽器を大オーケストラの中で用いる場合、近年では、複数人の奏者で演奏させたり、特にマイクで音量を増強したりする例もあるようですが、マーラー時代にはマイク使用など考えられないので、一体、作曲家自身はどのような響きの効果を期待していたのでしょうか。
(2)他楽章と一見まるで脈絡のないようなドンチャン騒ぎ風の楽想(第5楽章)
この交響曲を語る上で常に問題となるのが第5楽章の解釈です。
第4楽章まではドイツの後期ロマン派の延長線上にある幻想的(ときによっては怪奇的)な音楽(それこそ「夜の歌」)と理解できるものの、第5楽章に入るとまるで異次元の陽気な世界に踏み込んだアンバランス感に誰しも戸惑ってしまいます。
「パジャマ姿のまま突然、カーニヴァルの喧騒の中に放り込まれたような真昼のドンチャン騒ぎ」(村井翔「マーラー」音楽之友社刊より引用)といった表現がピッタリです。
かつて、指揮者のチェリビダッケが「マーラーの音楽には始まりはあるが終わりがない」としてその音楽的価値を認めず、生涯ただの一度もマーラーの交響曲を演奏しなかったのは、あるいはこのような突出感、アンバランス感に音楽構成上の決定的な違和感・拒絶感を抱いていたからかもしれません。
しかし、第5楽章は本当に「ドンチャン騒ぎ」風に演奏するしか方法はないのか、例えばブルックナーの交響曲に見られる要素が何かしら汲み取れないか等々、本日はさまざまな試行を心に留めながら演奏を行う予定です。
もっとも、これを聴いてチェリビダッケがマーラーを指揮する気になるかどうかは別の話ですが…。
IV.本日演奏する総譜
現在、国際マーラー協会全集版の譜面としては、次の2つのバージョンが存在します。
(1)エルヴィン・ラッツ(Erwin Ratz)による校訂版(1960年、ベルリンのBote&Bock 社刊)
(2)ラインホルト・クビク(Reinhold Kubik)による新校訂版(2007年、ロンドンのBoosey&Hawks社刊)
このうち、(2)は国際マーラー協会が現在刊行中の新クリティカル・エディションに当たるものですが、残念ながらまだスコア(総譜)は刊行されておらず、やっとパート譜の貸譜体制が整ったという状態にあります。
そのため、練習も当初(1)を使用して開始しましたが、その後、5月になって(2)のパート譜を借りることができるようになったため、本日の演奏会では、(2)の譜面を使用して演奏を行います。
このバージョンでは、細かい指示や演奏すべき具体的な音に従来版との相違が結構あるため、最新の研究に基づく交響曲第7番の響きをお聴きいただくことができるはずです。
なお、この新校訂版については、別稿の解説記事をご参照下さい。
V.楽章毎の解説 −他作曲家との関連・引用を含めて−
第1楽章:アダージョ〜アレグロ・リゾルート・マ・ノン・トロッポ
冒頭、マーラーがボートに乗っていたときにアイデアが浮かんだといわれる弦と木管楽器の揺れ動くような伴奏音型に乗ってテノール・ホルン(トロンボーン奏者が担当)が主導的なソロを吹く箇所がまず最初の聴きどころです。
この序奏部が終わり、続いて第50小節からホルンの奏する第1主題によって始まる主部は、闘争的・男性的な表情を強調する点で前作第6番第1楽章の続編といった見方も可能です。
しかし、この楽章(あるいはこの交響曲全体)の最も美しい部分は第317小節以降の緩徐部分ではないかと思われます。
このあたりは、ワーグナーの楽劇「ワルキューレ」第1幕との関連も指摘されています(金子建志「マーラーの交響曲」音楽之友社刊184p.参照)。
また、第1楽章も終盤に近付いた第471小節からの数小節は、まさにリヒャルト・シュトラウスの楽劇「サロメ」に登場する音型以外の何物でもありません。
偶然の類似なのか、どちらかの引用なのか、真相は何ともよく分かりませんが、同時代に生きたこの2人の大ライバル作曲家たちが互いに影響を及ぼしあっていた事実の傍証にはなりそうです。
第2楽章:「夜曲」アレグロ・モデラート〜モルト・モデラート〔アンダンテ〕
「夜曲」といっても、動物や鳥たちが潜んだ森の中を進む「夜の行進曲」といった趣のある楽章です。
2本のホルンの応答で始まる印象的な冒頭部。続いて、モルト・モデラート(アンダンテ)でテンポが安定した行進曲風の部分となります。
この行進曲は第222小節以降の再現部において再び登場しますが、その前の中間部第164小節から2本のオーボエによって奏される物悲しいメロディは、リヒャルト・シュトラウス「家庭交響曲」中の子守歌からの引用との記述(前述の金子建志著)もあります。
しかし、さらに、マーラーの「大地の歌」にも繋がる嘆きの歌のようにも聞こえます。
また、この楽章では特殊楽器としてカウベルも使用されており、前作第6番と時期的に連続して作曲されたことからも、第6番の楽想を最も色濃く残した楽章であるとも考えられます。
第3楽章:「スケルツォ」影のように:流れるように、だが急がず
504小節からなるスケルツォ楽章で、全5楽章のうち演奏時間の最も短い楽章ですが、それでも10分以上は要します。
トリオを挟んだABAの三部形式で、一貫して3拍子のワルツのリズムを刻んで進むものの、着飾った男女の華麗な舞踏会の雰囲気はなく、サン=サーンスの「死の舞踏」やベルリオーズ「幻想交響曲」第5楽章の「ワルプルギスの夜」を意識した死霊たちの舞踏会というイメージが横溢します。
また、譜面には「klagend−嘆き訴えるように」、「kreischend−金切り声を上げるように」、「grell−どぎつく」といった激しい指示が多用されるほか、中間部でも「Piu mosso (subito)」(急に早くする)の指示でしばしばテンポを急転させ、集結部(コーダ)に至るともはや音楽の流れ自体が崩壊の体を見せるなど、マーラー特有の不連続性や突発性の連続する楽章だけに、演奏技術的にも大変至難な個所の多い手ごわいワルツです。
第4楽章:「夜曲」アンダンテ・アモローゾ
第2楽章に続いて「夜曲」という副題が付けられた楽章ですが、決定的に違うのは「夜曲」は「夜曲」でも、月の夜に恋人の部屋の窓辺で楽器を片手に愛をささやく「セレナード」の音楽であるということ。
だから、ギターやマンドリンが登場するわけです。
冒頭の短いヴァイオリン・ソロは、まるで「これからお話しを始めるよ。昔々あるところにね…」と始める語り部の常套文句のような一節。
しかし、愛の歌を歌っても歌っても、何かしら不安を抱かせる不安定なフレーズや和声があちらこちらから聞こえてくる不可思議な楽章でもあります。
第5楽章:「ロンド−フィナーレ」アレグロ・オルディナリオ
(3)項目目にすでに記述したとおり、これまでの全4楽章から一転した「陽」の世界が出現します。
ロンドの主部はワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲、53小節目からオーボエの奏する第2の主題はレハールの「メリー・ウィドー」のパロディと考えられます。
また、さらに進むとモーツァルトの「後宮からの誘拐」さながらのトルコ音楽風の場面も突然現れます。
曲想やテンポ感が二転三転、四転五転するこの楽章のアンバランス感がこの曲の理解を難しくすると同時に、現代音楽への架け橋となる音楽史上の重要作品とまでの評価を後世の識者に論じさせる要因となったことは確かです。
しかし、この終楽章は、マーラーがここまでの生涯で体験し耳にした数々の音楽的要素・背景の多くが実に巧みにちりばめられた創意豊かな音楽と解釈することもまた可能です。
バッハあるいはハイドン、ベートーヴェン以来の伝統の形式を明らかに破壊しながら、しかしある意味での再融合も企図した、マーラーを語る上での「問題の」楽章を是非お楽しみ下さい。
(*本稿は第8回定期演奏会パンフレットに掲載されたものです。禁無断転載)
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