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ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラとは
 ジャパン・グスタフ・マ−ラー・オーケストラはベルティーニ、チェリビダッケに学び、当時アルメニアを中心に活躍していた注目の若手指揮者、井上喜惟(ひさよし)の提唱により、2001年春に発足したオーケストラです。 ウィーンの国際マーラー協会から承認を受け、年一回マーラーの交響作品を中心に採り上げます。
 また、マーラー以降の重要な作品で我が国ではほとんど演奏されていない作品を積極的に採り上げていきます。 メンバーは学生から一般社会人まで幅広く参加を呼びかけ、また弦の主軸他、複数のプロ音楽家が共同参加しています。
 デビュー・コンサートにおけるマーラーの交響曲第6番をはじめ、日本初演となったハチャトゥリアンの交響曲第3番「交響詩曲」、作曲者に直接教えを乞うた伊福部昭のヴァイオリンと管弦楽のための「協奏風狂詩曲」などのエポック・メイキングなライヴ録音は、大手CDショップでも好評を持って迎えられました。

マエストロ井上喜惟について
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 1979年、中学卒業と同時に渡欧。クルト・ヴェス、セルジュ・チェリビダッケ、ホルスト・シュタインに師事。1986年よりケルン放送交響楽団ほかで、ガリー・ベルティーニのもと、さらに研鑽を積む。レナード・バーンスタインにも師事。イサーク・カラブチェフスキーや小澤征爾のアシスタントを務めたこともある。
 1992年、チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会で正式デビュー。以後、チェコ、ポーランド、旧ソ連等を中心に活躍。チェコ・ナショナル交響楽団、ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団ほかを指揮し、多数のCDをレコーディング。
 ウィーンで指揮者のロリス・チェクナボリアンと知り合ったことを契機に、1993年にアルメニア・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して、朝日、日経新聞紙上で大きな話題となった。以来2000年まで同団の客演指揮者を務めた。2000年4月、井上の尽力により同団は日本政府の無償資金協力を得て楽器を一新。同年9月にはそれらの楽器の披露も兼ねて、井上自身のプロデュースと国際交流基金の助成による「日本音楽週間」が首都エレヴァンで実現した。この模様は朝日新聞紙上で大きく取り上げられ、AltusからCDも出ている。
 以後、アルメニア国立放送交響楽団音楽監督(2001〜2003年)を経て、ジャパン・シンフォニア(プロ)を創設。また、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ(アマチュア)とは設立段階から深い関係にあり、現在も音楽監督を務めている。
 2011年秋からモンゴル国立音楽・舞踏大学客員教授に就任予定。

ごあいさつに代えて〜JMO創立時の回想〜
JMO事務局長 新保 邦明

「新保さん、新しいオーケストラ創らない?」
 指揮者の井上喜惟氏が、突然電話でそう切り出した。前世紀がまさに幕を閉じようとしていた2000年12月のある晩のことだった。
 「そうですねえ・・・ それでいつ? どうやって人を集めます? 名前は?」私にとっては青天の霹靂だったはずだが、あのとき「なぜ」とは問わなかった。 それはもう運命として決まっていて、私の選択肢にはイエスしかないと直感したからである。
 当時私は、あるアマチュアオーケストラでトランペットを吹きながら楽譜係を務めていた。井上氏はそこに招かれて幾度かの演奏会を指揮した。 彼の音楽観と人柄に深く共鳴した私は、恐れ多くもプロとアマチュアという垣根を超えて、いつしか「自分たち」の本当にやりたい音楽について彼と熱心に語り合うようになっていたのである。 彼が振る本番のステージで起こった「奇跡」のいくつかは、今も鮮明に脳裏に焼きついている。 技術の未熟なアマチュア奏者たちの(全員ではないが)大半が、突然何かに取り憑かれたように突き動かされ、部分的にではあるが実に感動的な演奏を「しでかす」のである。 それだけでもすごいことではあるが、井上氏はもっと先を見ていた。私も理想と現実のギャップに悩み始めていた。 井上氏となら、もっと深い音楽を創れてもよいはずだ。
 そういう思いがピークに差し掛かったちょうどその頃に「オーケストラ創らない?」という誘いを受けたのである。 自分の理想が現状の地道な改善によって到達できるレベルではないことを知っていた私にとって、それは天啓に等しかった。 その後の二人の活動の素早かったこと・・・。
 新世紀が明けた1月13日には、もう中核となるメンバー18人が新宿に結集して詳細な「創立打ち合わせ」を行なっている。 その場には、以後ずっと企画・運営面でお世話になっているプラネット・ワイの酒井さんの姿もあった。 井上氏の強い希望により、マーラーの交響曲を中心に演奏活動をすることになり、名称もジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ(JMO)と決まった。
 あれから毎年1回にも満たないペースではあるが、じっくりと練り上げた深い音楽を提供するという当初の目的には、回を重ねるごとに確実に近づいてきたと思う。 数ある演奏会の中から私たちの定期演奏会に目を留め、毎回必ずお聴きいただいているコアなお客様も増えてきたようである。 いつも応援してくださる聴衆の皆様、そして経済的な援助を賜っている賛助会員の皆様に、この場を借りて心から感謝の意を表したい。 また、一緒に演奏する喜びを分かち合いたいと思われる方は、ぜひご連絡をいただきたい。