曲目解説(第18回定期演奏会プログラムより)

ルートヴィヒ ヴァン ベートーヴェン

(1770.12.16.ボン-1827.3.26.ヴィーン)

交響曲第8番ヘ長調作品93(1812)

 本日はオーストリアのヴィーンに住む大作曲家ベートーヴェン氏の第8交響曲を聴きにお越し下さり、まことにありがとうございます。
 皆様御承知の事とは存じますが、今年は文化11年、戌年。将軍様は第11代の徳川家斉さん。江戸では、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』が大流行の兆しを見せております。ベートーヴェン氏の国では西暦1814年だそうです。
 なにやら、おかしな事になってきたぞ、とお思いの皆様、たまには現実世界の事なぞ忘れて、ちょっくら183年前にトリップ!白昼夢なぞ楽しんでみようじゃありませんか。え?どうせなら失楽園の方がいいですって?こりゃ世も末だわ。。。今、ヨーロッパでは、ナポレオンをエルバ島へ島流しにした後の領土配分について、ロシア、プロイセン、オーストリア、イギリス等の国がヴィーンで国際会議を開いております。なかなか会議は進まないそうですが、それというのも、今ヴィーンではワルツが流行っていまして、市民はおろか、各国首脳までもが連日連夜踊り狂っているからだそうです。ヴィーンの人口は約20万ですが、多い時には一晩に5万人が踊っていたと言われるほど大流行しております。この踊りは、男女が抱き合ってくるくる回り、余りにも官能的だとの理由でバイエルン国では一時禁止されていた程で、筆者は、我が国でも早く流行らないかと密かに期待しております。ちなみに、ベートーヴェン氏は、踊りは苦手だそうです。ところで先日、イギリスのスティーブンソンなる者が蒸気機関車とやらを発明し、ゆくゆくは大量の人や物資を、これで運べるようになるそうです。つまり、座ったまま参勤交代に行けるわけですが、大量に煙りを排出するそうなので、地球の温暖化が心配です。
 さて、ベートーヴェン氏の第8交響曲ですが、今年の2月27日にヴィーンの大舞踏会場で初演されました。この時の演目は(1)第7交響曲(2)管弦楽伴奏の三重唱曲『おののけ、不信心ものよ』(3)第8交響曲(4)『ウェリントンの勝利又はヴィットリアの戦い』で、このうち、第7交響曲と『ヴィットリアの戦い』は、相変わらず熱狂的に迎えられましたが、新作の第8交響曲への観客の反応はちょっと涼しかったようです。ベートーヴェン氏は、第8交響曲にかなり自信があったらしく、側近にショックを隠しながら「人気が無いのは、まさにこっちの方が優れているからだ。」と漏らしたそうです。
 さる事情通からの情報によりますと、ベートーヴェン氏の音楽帳に、5年前の秋に初めてこの曲の物らしき断片が見い出され、3年前にもこの曲と分かるメロディが書かれているそうです。そして一昨年(1812年)の春になって、まずは第6番目のピアノ協奏曲として構想され、その年の夏から9月末にかけて集中して作曲され、第7交響曲として11月に仕上げたようです。但し、並行して作曲された作品92の方が先に発表されたので、第8交響曲となりました。なお、昨年(1813年)4月に、この曲を初演すべくルドルフ大公の屋敷で練習し、試演されたそうですが、演奏会場が手配できず、公開の初演には至りませんでした。この時の弦楽器の人数は第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、バスの順に4、4、2、2、2人で、管弦楽全体でも25人程でしたが、今年2月の公開初演の時は、18、18、14、12、7人で、全体では90人近い大管弦楽団で演奏されました。
 おそらく大作曲家ベートーヴェン氏に会うことなど到底不可能であろう皆様のために、彼の容姿・近況など報告しておきます。
 まず容姿ですが、知らなくていい事も世の中にはあります。まあ、折角ですから、ベッティーナ・フォン・アルニム女史が1810年に初めてベートーヴェン氏に会った時の印象を書いた文を紹介しましょう。
「小柄な人です(魂と心はあんなに大きいのに)。浅黒いあばた面で、いわば醜男ですが、素晴らしい額で、高貴なアーチを画いています。黒く大変長い髪を後ろにかきあげていて、30才ぐらいに見えます。彼は自分の年令を知らないのですが、35ぐらいだと言っています。彼の衣服は破れ、外見は全く浮浪者です。そのうえ彼は難聴で近眼ですが、風貌は堂々としていて見事です」
付け加えると、身長は162.5cmです。年令は今年の12月に44才になりますから、ベッティーナさんに会った時は39才だったはずです。第8交響曲完成の1812年は、数え42歳の後厄という事になります。
 次に近況ですが、現在彼はどん底です。絶不調です。大スランプです。最悪です。だそうです。第7交響曲と『ヴィットリアの勝利』により、世俗的名声は今や絶頂の感がありますが、彼を知る人は「かなりキテルネ」と言っています。1810年頃から彼は幸せな結婚を夢見るようになったらしく、22才も年下のピアノの生徒に求婚して断わられた時かなり落ち込んでいました(筆者は、そのくらい年下のSPEED寛子ちゃん絵理子ちゃんの超大ファンなので彼の味方であります)が、1812年7月以降、彼は結婚を諦めてしまったようで、昨年は相当ズンドコな、なりふり構わぬ生活を送っていました。又聞きですが、彼の部屋は見事なまでの散らかりようで、床にはたくさんの楽譜や食事の食べ残しが散らばり、机の上のインク瓶は倒れ、ピアノの下に置いてあった寝室用簡易便器の中身もそのままで、髪の毛に白い物がこびり着いていても気にしていなかったそうです。少しフォローしますと、以前の彼は、とてもお人好しで清潔でした。毎日水浴びをしながら大声で歌っている。と、下女から聞いた事もあります。
 そして!彼をこんなにしてしまった1812年7月の出来事についてのスクープを筆者は入手しました!『3通の「不滅の恋人」への手紙』というネタですが、このネタが本当なら、ベートーヴェン氏は第8交響曲の作曲中に今迄で最も熱烈な恋愛をしていた事になります。ただ、いくら偉大な芸術家でもプライバシーはありますので、これ以上の事は皆様が独自でお調べ下さい。

 第1楽章 アレグロ ヴィヴァーチェ エ コン ブリオ
     (生き生きと愉快に、はつらつと)3/4
 第2楽章 アレグレット スケルツァンド
     (速いという程でも無く、おどけて)2/4
 第3楽章 テンポ ディ メヌエット
     (メヌエットのテンポで)3/4
 第4楽章 アレグロ ヴィヴァーチェ
     (生き生きと愉快に)2/2

 最後に、おまけを2つ。ベートーヴェン氏は毎朝欠かさずコーヒーを飲んでいます。それもコップ1杯分に正確にコーヒー豆60粒を自分で挽いています。ですから、プレゼントには、美味しいコーヒー豆が喜ばれるでしょう。もし、彼を晩餐に招待できるチャンスがあれば、迷わず魚料理に招待しましょう。魚なら何でも大好きです。他には牡蛎料理とマカロニも大好物です。
 もう一つ、筆者は密かにインドの占星術師にベートーヴェン氏について占ってもらいましたが、彼は10年後にニ短調の大交響曲を作る事になるようです。で、184年後(来年か?)に当楽団が披露する事になるそうです。インド占星術は良く当たる。

(sonora) 


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