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楽譜係のおしゃべり

楽譜係のおしゃべり No.23(2000/9/18 掲載分)

#♭♪ バトンタッチの妙技 ♪♭#

新保 邦明

■聴衆に見せてはならない舞台裏

 私たちが知っている数々の色彩豊かな管弦楽曲。これらはいったい、どんなプロセスを経て作曲されたのだろう。モーツァルトの場合は、頭の中で全曲が完璧にオーケストレーションされていたので、ただそれを紙に書き写していくだけでよかった。彼の言葉を借りると、スコアを書くのは「排泄行為」に過ぎなかったのである。しかし、それは例外と言ってよいだろう。たいていの作曲家は、まずピアノ譜のようなスケッチを作り、それをもとに楽器を割り振っていくという段階的な方法をとったはずだ。この場合、最終段階でいくつかの現実的な壁にぶち当たることがある。今回は、その中で最も分かりやすいものを取り上げてみたい。

その「壁」とは、あるメロディーを一つの音色で演奏させたいときに、「最後まで奏者の息が続かない」、あるいは

「途中で楽器の実用音域を越えてしまう」というような、いかにも現世的な制約のことだ。しかし、古今の大作曲家はこれらの問題に真正面から取り組んでくれているので、我々演奏者はずいぶん助かっている。自分の理想を曲げることなく、しかも奏者に負担がかからないよう工夫された「妙案」のいくつかを見ていくことにしよう。譜例は、分かりにくい箇所のみ掲載したので、ご了承願いたい。

●ドヴォルザーク:交響曲8、第1楽章18〜33小節のフルート&ピッコロ

 フルートが鳥のさえずりを模した主要主題を吹き、最後の延ばしをピッコロが受け継ぐ(ピッコロの実音は記譜よりオクターヴ上であることに注意!)。フルートがそのままD音を11小節あまり延ばすのも不可能なことではないが、後の延ばしに気をとられて肝心のさえずりがおろそかになってしまっては困る。ドヴォルザークはそう考えたのかもしれない。でもそれだけだったら、全曲中この箇所にだけわざわざピッコロを使う必要はない。しかもよく見ると、休んでいたフルートを28小節目から復帰させた上で、31小節目3 拍目からピッコロをオクターヴ上げるという凝りようだ。延ばしに入った途端に硬く無表情な音にチェンジすることで、弦の問いかけを浮き立たせる。そして33小節目のfに向けて高音域を徐々に増強する。これらの理想が、息継ぎの問題に絡めて完璧に解決されているのだから、みごととしか言いようがない。ピッコロ奏者はその効果を十分に発揮する義務を負っていると言えよう。

●スメタナ:交響詩「モルダウ」、冒頭のフルート

 川面がキラキラと輝くようなフルートの伴奏形。「ゆく川の流れは絶えずして」であるから、息継ぎが聞こえてしまっては興ざめだ。スメタナは賢明にも、この旋律を1stと2ndがリレーを繰り返す形で書き記した。これなら奏者に肉体的負担をかけないで、とうとうと流れる川のイメージを表現することができる。しかし、精神的副作用はある。二人の間で音色や癖の違いをできるだけ取り除く努力をしないと、継いでいるのが容易にばれてしまうのである。なお、私がこの部分の「トリック」を初めて知ったのは川響の練習場においてであったことを、付け加えておこう(現在のメンバーではない昔の話。念のため……)。

●ブラームス:交響曲1、第4楽章30〜38小節のホルン&38〜46小節のフルート

 有名な箇所なので、ご存知の方も多いと思う。スイスアルプス谷あいの高原でアルペンホルンを吹くと、延ばしの音が山々にこだまするため、長くて深い余韻を味わうことができる。その雰囲気を舞台上のオーケストラで醸し出すには、なんとしても音をつなげなくてはならないし、十分な音量も必要である。凡人なら2小節ごとに交代させるところだが、天才ブラームスは大胆にも1小節ごとにバトンタッチさせた。そのおかげで1st は息を存分に使って歌えるし、2ndはもっぱら延ばしに徹し、表情豊かに膨らみをつけることができる。ここの場合も、二人の音色を統一しておくことが成功の鍵となる。

●チャイコフスキー:交響曲6「悲愴」第1楽章160小節のクラリネット→ファゴット (譜例1)

 これも有名な箇所だ。ピアニシックス(pが6つ)の付いた後半は音域が低いので、ファゴットが引き継ぐことになっている。しかし実際の演奏ではほとんどの場合、ここをバス・クラリネットに吹かせているようだ。そのほうがより小さな音を実現できるし音色のギャップも少ないので、適切な処置だと思う。現場(演奏家)の知恵が作曲家のそれを超えて定着した、珍しい例である。

●ラヴェル:ボレロ269小節のトランペット→ホルン+バス・クラリネット (譜例2)

 主題B(サックスやトロンボーンのソロで有名な方)は、最後のほうで音域がどんどん下がっていくという特徴を持っている。ここでも、途中でC管トランペットの最低音Gに到達してしまうので、そこから後はホルンが引き継ぐように書かれている。が、魔術師ラヴェルはそれだけでは満足しなかった。彼はそこからバス・クラリネット(!)を重ねたのである。スコアを見ながら聴いてみて分かったことだが、なんと、ホルンにバス・クラリネットを重ねると、トランペットの低音の音色に極めて近くなるのだ。バス・クラリネットが旋律を吹くのは、全曲中、ここともう1箇所しかないことを考えると、これは計画的に仕組まれたことと言わざるを得ない。こんなこと、ほかの誰が思いつくだろう。魔術師の仕事は恐るべし。

 

川響楽譜係(Tp新保)

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