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楽譜係のおしゃべり

楽譜係のおしゃべり No.27(2001/1/15掲載分)

#♭♪ 心の新世紀 ♪♭#

新保 邦明

■新年の祈り

 帰省しない正月休みは、のんびりしていいものだ。外へ出る予定もないし、訪問客もない。昼間から、おせち料理をつまんで澤之井(青梅の地酒)をちびちびやり、好きな本をゆっくり読む。テレビはほとんど見ない。そうは言っても、たまにはニュースくらい聞いておかねばと思い、ラジオをつけてみた。NHK第2にチューナーが合っていたようで、「高校音楽U」という番組が始まるところだった。「ほう、最近はどんなことを教えているのだろう」と興味をそそられたので、酒の肴に聞いてみることにした。その日のテーマは「あなたもシューベルト」。詩の抑揚を活かすように作曲すれば自然に良いメロディーができる、といった内容だった。それはともかくとして、前置きの部分で教師がこんなことをしゃべっていた。

 「音楽というものは、人間が生きていく上で絶対に必要なもの」

 私は、「そのとおり。なかなかいいことをおっしゃる」と首を縦に振り始めた。が、その途端、

 「……というわけではありません」

ときたではないか。家内と二人で爆笑したのはいいけれど、一気に酔いが覚めてしまった。もしかしたら、ここで「おかしい」と感じる人のほうが少ないのではないかしら、と思ったからである。それにしても、高校生の音楽教育を目的とする番組で、こういうことを言い切ってしまって果たしてよいものだろうか。

 20世紀は、世界的に見て科学偏重の時代だったように思う。その中にあって、直接人生に役立つふうには見えない「音楽」などというものは、「付け足し」または「贅沢品」として隅に追いやられていた感がある。学校教育もその影響をもろに受けていた。それで、先ほどの教師のような発言が、いつの間にか常識として通用するようになってしまったのではあるまいか。しかし、時代は21世紀に突入したのだ。人類はそろそろ、物質的な豊かさばかりを追い求める生き方を卒業し、心の豊かさということにも真面目に目を向けていく必要がある。

そもそも音楽は、神を賛美する手段として、人間にとってなくてはならないものだった。旧約聖書の詩篇はそのことを雄弁に物語っているし、古今の大作曲家たちも神のために多くの美しい曲を捧げている。ミサ曲やレクィエムのようないわゆる宗教曲に限ったことではない。純粋器楽のために書かれた交響曲のような作品でも、深い祈りや高らかな賛美に満ちた作品が意外と多いのである。そういった音楽は、ただ耳に心地よいだけではない。聴く者あるいは奏でる者を霊的な高みに引き上げ、その結果として「心の豊かさ」を与えてくれる。音楽は宗教の代わりにこそならないが、日ごろ唯物的な世界に溺れがちな私たちを神のそばへといざなう、大切な役割を担っているのである。

 「音楽というものは、人間が生きていく上で絶対に必要なものです」

 一人でも多くの人がこの真理に気づき、心の豊かさを与えてくれる「音楽」を粗末に扱うことのないように……。そして、21世紀に育つ子供たちにとってはそれが常識となるように、私たち自身が行動していかなければならない。一人一人の意識の積み重ねが、大きなうねりとなって人類全体の意識を変革していくのだ。

すべての人が霊的に満たされるため、音楽という賜物を大いに役立てることができますように。平和な新世紀へ、祈りを込めて……。

 

■推薦CD

 今年は「祈り」を大切にしたい。そう思って年頭にじっくりと聴いた曲は、どれもブルックナーでした。ここに挙げたものは、数ある演奏の中でも宗教的な結晶性が極めて高く、深い安らぎと霊的な充足が得られるという点で他と一線を画しています。何かをしながらではなく、集中して響きに身をゆだねることが大切です。

●ブルックナー:交響曲第7番ホ長調、Eugen Jochum(指揮)、Concertgebouw Orchestra Amsterdam(The Bells of Saint Florian, AB-15, Made in USA in 1997, 録音は1970〜80年代と思われる)

●ブルックナー:ミサ曲第2番ホ短調 他、ベルニウス(指揮)、シュツゥットガルト室内合唱団、ドイツ管楽フィルハーモニー (SONY Classical, SRCR 8878, 1991)

ブルックナー:モテット集、Matthew Best(指揮)、Corydon Singers(Hyperion, CDA66062, 1982)

 

川響楽譜係(Tp新保)

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