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楽譜係のおしゃべり

楽譜係のおしゃべり No.28

#♭♪ 「おんな」が陶酔するとき ♪♭#

新保 邦明

■肥大化してしまった「推薦CD」のコーナー

 ピアノ協奏曲の名曲は数あるけれど、ことショパンの1番となるとどうしてもアルゲリッチで聴きたい! そんな思いに駆られるのは、おそらく私ひとりではないだろう。彼女とこの曲は一心同体。もはや切り離して議論することなど考えられない。ご存知のとおりCDも種類が多く、どれにしようか迷ってしまう。アバド&ロンドン響との録音(Grammophon, 1968)が比較的ポピュラーなようだが、私はあまり好きではない。伴奏が真面目すぎて「青春の甘酸っぱい香り」がしないのだ。彼女のソロもいささか窮屈そうだ。トランペットの高音が割れるのも、やや耳障りである。それに比べて以下に挙げる二つはそれぞれ素晴らしい魅力にあふれており、自信をもって推薦できる。

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●ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調+スケルツォ第3番嬰ハ短調+三つのマズルカ、アルゲリッチ(p)、ロヴィツキ(指揮)、ワルシャワ国立フィルハーモニー交響楽団(MUZA/日本コロンビア, 1965)

マルタ・アルゲリッチ23歳。満場一致で第1位に輝いた第7回ショパン・コンクールのライヴ録音。第1楽章の第25〜122小節目がざっくりカットされていたり、会場の物音がうるさかったりという難点はあるが、じきにそんなことはどうでもよくなってくる。彼女自身が「何度弾いたか分からないが、あのときの演奏はなかなか超えられない」と言ったスリル満点の凄まじい演奏だ。オケもコンクールの伴奏であることをすっかり忘れて完全燃焼してしまうところが面白い。ホルンのトップが感極まってひっくり返るところ(第332小節目)なんぞ、もうたまりません。

ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調+ピアノ協奏曲第2番ヘ短調、アルゲリッチ(p)、デュトワ(指揮)、モントリオール交響楽団(EMI, 1998)

 かつてのご主人、シャルル・デュトワと撚りを戻して(?)久しぶりに競演した興味津々の新録音。ここでのアルゲリッチは、まさに水を得た魚のように自由を満喫し、大人のピアニズムを存分に聴かせてくれる。別れた理由はいろいろあるだろうが、この演奏を聴くとこの二人、やはりどこか精神の奥深いところで繋がっているような気がしてならない。言葉を交わさなくとも、相手のやりたいことがピンとくるのでは……と思える美しい瞬間がたびたび訪れるのだ。また、モントリオール響の柔らかなサウンドがなんともいえぬ幸せなムードを醸し出しており、聴いているうちに「もう一度いっしょになればいいのに」と余計なことまで考えてしまう。ジャケットのツーショットもなかなかいい雰囲気!

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男勝りの強靭なタッチで弾きまくる彼女といえども、一人の女である。同じ曲を演奏するにしても、ショパン・コンクールという晴れ舞台での気持ちの昂揚は尋常でなかったに違いない。また一方では、かつて人生のパートナーでもあった名シェフと久しぶりに競演するという、緊張と安心が交錯したなんとなく甘酸っぱい気持ち……。いずれの場合も、これらの「特殊事情」が超名演を生み出す原動力になったことは、想像に難くない。「どんな環境おいても、ある水準を保った演奏をするのがプロである」と勘違いしている人には到底分からないと思うが、「今回はいつもと違う」と本能的に悟った瞬間、「完全に陶酔してしまえる」彼女を、私はとてもかわいいと思う。また、その能力こそが本物の音楽家に与えられた賜物と言えるのではないだろうか。

 

川響楽譜係(Tp新保)

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