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楽譜係のおしゃべり

楽譜係のおしゃべり No.4(1999/2/15 掲載分)

#♭♪ 水面に映された旋律 ♪♭#

新保 邦明

■楽譜係の病的美意識

 スコアを眺めていると、妙なことですが楽譜を「視覚的に」美しいと感じる場合があります。それが音になったときにどう響くかは全く別にしてです。たとえば、今練習している「ピーターと狼」から、練習番号5の6小節目(譜例1)を見てみましょう。ヴァイオリンとチェロの動きが、完全な対称形になっていますね。ここで、ヴィオラの中央線以下に湖があると想像してみてはどうでしょうか。森の木々が静かな湖面にくっきりと映っているようではありませんか。

 まあこれくらいは、プロコフィエフのちょっとしたいたずら心として片付けられるかもしれません。しかし、大バッハ先生がこれをやると単なる遊びとは言えなくなってくるのです。極めつけは「フーガの技法」に含まれる投影フーガで、3声のと4声のがあります(譜例2、 3)。いずれも、すべての段をそっくりそのまま水面に映したような譜面がセットになっていて、どちらを演奏してもすばらしい曲になるのですからあきれてしまいます。私は、この曲のスコアを初めて見たときのことをよく覚えています。反射的にある絵のことを思い出したからです。それは、東山魁夷の「映象」という作品(絵画1)でした。この絵のインスピレーションを得たときの様子を、画伯はこう語っています。

 ある朝早く、入り江の水がまるで澄み切った鏡のようになって、森や島をはっきり映しているのを見た。全く同じ形の風景が上下にぴったり結びつくと、もう、見なれた風景ではなく、超現実的な世界に変貌する。

 画伯はそれ以来、水面の神秘に取り憑かれたようで、「二つの月」、「みづうみ」、「緑響く」などの美しい作品を次々と生み出されました。中でも私は、小さな白い馬が湖畔に佇む「緑響く」(絵画2)が大好きです。見ていると心がスーッと休まるからでしょう。人間、とりわけ私たち現代人には、こうした「静寂」が是非とも必要なんだ。そう感じます。しかしそうした静寂にも、あの「フーガの技法」に聴かれる孤独なオルガンの響きなら、いかにもしっくりくるように思えるのですから不思議です。これは私の想像ですが、もしかしたら画伯もバッハのオルガン曲がお好きなのではないでしょうか。

 

■推薦図書

●日経ポケット・ギャラリー「東山魁夷」(日本経済新聞社)

 大好きな画家の作品だけを手軽に観賞したい。そんな希望を一冊1000円で叶えてくれるのが、このシリーズ。私はほかに「ムンク」を持っていますが、「平山郁夫」、「高山辰雄」などもお薦めです。音楽だけが芸術ではありません。たまには絵の世界に浸ってみるのも、演奏の表現を豊かにするために役立つかもしれませんよ。

 

■危険なCD

●バッハ:「フーガの技法」、ヴァルヒャ[Org](ARCHIV、2枚組)

 この曲には、演奏楽器の指定がありません。私もマリナーの弦楽合奏版、ジュリヤードSQの弦楽四重奏版、それにカナディアンブラスの金管五重奏版など、いろいろ聴いてみました。いずれも趣が異なって面白いのですが、結論はやっぱりオルガンが一番。それもヴァルヒャで聴かないと本質には迫れません。何と言っても、最後の未完フーガが無情にもぶっきらぼうに途切れるあの瞬間……。あのゾクッとするほどの空しさは、この演奏でなければ味わうことはできないでしょう。ただし、これを聴いた後、放心して仕事がまったく手につかなくなっても、責任は負いません。

 

川響楽譜係(Tp新保)

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