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楽譜係のおしゃべり

楽譜係のおしゃべり No.5(1999/3/15 掲載分)

#♭♪ チャイ5に残るベートーヴェン研究の足跡 ♪♭#

新保 邦明

■スコアの比較による徹底推理

 19世紀以降近代の作曲家たちにとって、交響曲を作曲するということは、創作活動の総決算とも言える大事業であった。その際、決まって彼らの前に立ちはだかる峻厳な岩山があった。ベートーヴェンの九つのシンフォニーである。向こう側の新天地を開拓するには、これをどうしても越えて行かねばならない。毎回そうなのであるが、ことさら第5番となると、一分の隙もない堅牢無比の名曲「運命」を無視することは絶対にできず、身も心も押し潰されそうになる。中でもマーラーとショスタコーヴィチは、神経質なほどにそれを意識していた。しかし、チャイコフスキーも彼らに劣らず、いやそれ以上に身構えて5番の構想を練ったと推定されるのである。しかも彼の場合は「運命」だけでなく、少なくとも「英雄」以降の7曲全部を周到に研究して応用しようとした節がある。その証拠は山ほどあるが、比較的わかりやすいものを選んで以下に列挙しておくので、各々についてお手持ちのスコアでぜひ確認してほしい。紙面に限りがあるため、今回は譜例の掲載ができないことをご容赦願いたい。なお、ローマ数字は楽章を、ハイフン後の数字は小節数を意味する。

◎各楽章に運命の動機を使う構成。チャイ5のT-1 ; U-99、158、(159/ベト5型) ; V-241 ; W-116、39、172、426、436、474、490、(564/ベト5型)。ベト5のT-ほとんど全部 ; U-3(Cb)、14(Flは短縮形)、23、30、142、239 etc. ; V-19、101、127、158、317、325 etc. ; W-6、22、33(Cb)、41、44、49、122、350、363 etc.。

◎主要主題のリズム型。チャイ5のT-80 ; W-550。ベト9のU-9。

◎木管のリレー。チャイ5のT-119。ベト8のW-466。

◎ギャロップのリズムの扱い方。チャイ5のT-265、267。ベト7のT-217、236。

Andanteの和声進行。チャイ5のU-9(Hrn)。ベト9のV-25(Vn)。どちらもニ長調。後者のリズムをちょっとだけ変形して同時に歌ってみれば、あ〜ら不思議。美しいデュエットになる。

◎中弦の刻みに乗る木管の旋律。チャイ5のW-332〜5。ベト4のT-455〜8。

◎引き伸ばした後で突然のPresto。チャイ5のW-503〜4。ベト9のW-919〜20。

◎コーダでの単純反復による煽り。チャイ5のW-538。ベト9のW-928。

 ここでチャイコフスキーの名誉のために、ベートーヴェンも模倣の名人だったという動かぬ証拠を一つだけ示しておこう。

◎音型が全く同じ。ベト5のV-1。モーツアルト40のW-1。

 人間は、全くの無から有を創造することはできない。世に天才と呼ばれる人たちですらそうである。先人が積み上げてきた知恵を真摯な態度で吸収・研究し、それを応用することによって初めて新しい価値を生み出すことができるのだ。したがって私たちは、ある作品に先人の影響を認めたとしても、それだけで「模倣だ」とか「独創性がない」などと非難してはならない。大事なのは、それがどう応用され、そこに新しい価値がどれだけ加わっているかという点だ。その付加価値の部分が並外れて大きいものを「天才の仕事」と呼ぶわけだが、その基礎はやはり模倣と地道な研究にあることを忘れてはなるまい。「天才は1%の才能と99%の努力から作られる」という言葉は、私は真理だと思う。そうでなくては、「苦悩を通しての歓喜」"durch Leiden Freude" をテーマにした「運命」や「チャイ5」などの名曲が生まれるはずもない。私たちは、彼らに与えられた特別な才能を羨む前に、人知れずなされたに違いない血のにじむような努力と研究の足跡にもっと敬意を表すべきではないだろうか。そういう気持ちがあれば、人類の至宝たる名曲の数々を、とても粗末には演奏できないのである。

 

■推薦CD(ワインに例えてみると……)

●チャイコフスキー:交響曲全集、マルケヴィッチ指揮、ロンドン響(PHILIPS、4枚組)

 1〜6年ものがセットになった辛口の白。熟成するほどに深みを増す。わずかに残る炭酸からくるキリッとした舌触りと爽やかなアロマが心地よい。どのヴィンテージもむらなく上等な仕上がりになっているのがうれしい。

●チャイコフスキー:交響曲5、シャイー指揮、ウィーンフィル(LONDON)

 中辛口、ミディアムボディーの赤。馥郁たるブーケのバランスは絶妙。オーソドックスな味わいで、ほとんどあらゆる料理に合う。食卓に上る頻度がいかに多くても、決して飽きないだろう。

●チャイコフスキー:交響曲5、チェリビダッケ指揮、ミュンヘンフィル(AUDIOR:AUDSE-522、プライヴェート盤)

 辛口、フルボディー、究極の赤。力強いタンニンと個性的なブーケで通をも黙らせる。時間をかけてじっくりと味わいたい。品薄なので、見つけたら迷わず確保すべし。同じ葡萄から作られたシャトーEMIも同様の味わいを持ち、こちらは入手しやすいが、切れが今一つ。

 

川響楽譜係(Tp新保)

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