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楽譜係のおしゃべり

楽譜係のおしゃべり No.8(1999/6/21 掲載分)

#♭♪ スコアに刻印された人間模様 ♪♭#

新保 邦明

■ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調の場合

●ホルントップ交替の顛末

 第1楽章の再現部で、フルートソロとホルンソロが第2主題をカノンで奏する箇所(260〜276小節)。こう言ってもメロディーが浮かばない人は、スコアを参照してほしい。269〜271小節のホルンパートには、括弧付きでオクターヴ上のシ-ソ#が書いてある。ところが脚注には「ホルン奏者が高音のシをpで吹けない場合はオクターヴ下げなさい」とある。ではなぜ「下」を括弧付きにしなかったのか。自然なメロディーラインを考えれば当然のことだが、作曲者はどうしても「上」を吹いてほしかったに違いない。そこで私は次のように推理する。

 当時のレニングラードフィルでの出来事。ホルンパートを取り仕切っているロートルが初演でトップを吹くと言い張っているが、じつは「へぼ」で、いくら練習しても高いシの音がひっくり返ってしまう。が、団員は誰も恐くて文句を言えない。ムラヴィンスキーも同世代のよしみでか、面と向かって替われとは言えないようす。練習に立ち会っていた作曲者はついに爆発して走り寄り、「あんたには到底無理だから、失敗しないように下げてあげよう」と言って、彼の目の前でパート譜に「オクターヴ下」の音符を書き加え、本来の「上」を括弧に入れてしまった。そして、とどめを刺すために皮肉たっぷりの「脚注」まで記入したのだ。ここまでされてはトップの面目まるつぶれである。怒り心頭に発したロートルはすぐさま練習場を去り、ショスタコーヴィチとは二度と顔を合わさなかった。おのれの技術と地位を過信し、一歩も譲らない人間の行く末は、このようになる。その日から、腕の立つ若い奏者がトップを受け持つことになり、初演では作曲者の希望通り、上の音符が余裕をもって美しく演奏されたのである。

 ……とまあ、こんな筋書きを自らの頭に擦り込んでしまった私は、この部分はもともと「上」だけが書かれていて注釈もなかったはずだと信じ込んでいる。もし、作曲者が「事前に」気を利かしたのだとすれば、「下」に括弧が付いているはずではないか。しかし実際には、吹いてほしい「上」がなぜか括弧に入っており、「どうしても無理なら下げていいんだよ」という挑発的な脚注が付いているのだ。こういう書き方をされて、「下」を吹くことに甘んじるホルン吹きはまずいない。難しくても秘かに練習を重ね、わずかな成功率に賭けて(?)「上」を吹こうとするに決まっている。いたずら好きのショスタコーヴィチは、初演のトップ交替劇に威力を発揮したこの策略がことのほか気に入り、出版直前にそのままの形でスコアにも転記したのではなかろうか。かくして、初演練習時の人間模様が図らずもスコアに刻印され、末代まで伝えられることになったのである。(念を押しておくが、この話は私の創作である)

 その効果は絶大であった。すべてのホルン吹きはまんまと作曲者の罠に嵌まり、何食わぬ顔で「上」を吹けるようになるまで、人知れず特訓に励むことになる。それゆえ、いまやここを下げて吹いている演奏に出くわす確率は、アマチュアと言えども限りなくゼロに近いのである。

 

■推薦CD

 中学生の頃、マキシム・ショスタコーヴィチ指揮のレコードを文字通り擦り切れるまで聴きまくりました。当時は、ほかにムラヴィンスキーのモノラル盤があったくらいのものですから、このステレオ録音は貴重でした。今思い返すと、その演奏はなかなか垢抜けていて、後から続々出てきたロシア的演奏とは一線を画していました。さすがは息子。彼だけが作曲者の真の意図を理解していたのでしょう。最近好まれるようになっているドイツ的なアプローチに通じるものを感じます。この路線上にはケルテス、ハイティンクなどの名盤もありますが、もう少し新しい録音で私が気に入っているものを3点だけ挙げておきましょう。いずれも味わい深く端正な演奏だと思います。

●ショスタコーヴィチ:交響曲5、ザンデルリンク指揮、ベルリン響(Deutsche Schallplatten, 1982)

●ショスタコーヴィチ:交響曲5、スクロヴァチェフスキ指揮、ハレ管(IMP/CARLTON, 1990)

●ショスタコーヴィチ:交響曲5/日本の詩人の詩による6つのロマンス、尾高忠明指揮、読響(BMG, 1997)

 

川響楽譜係(Tp新保)

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