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楽譜係のおしゃべり

楽譜係のおしゃべり No.11(1999/8/16 掲載分)

#♭♪ パート譜修正の功罪 ♪♭#

新保 邦明

■是非の判断は作曲者の身になって

 スコアを見ながらCDを聴いていると、書かれている音符がその通りに演奏されていない箇所を見つけて、驚くことがある。また、書かれていない音が当然のように鳴り響いているのを発見することも少なくない。こういうことは、ふだんからよく耳になじんでいる名曲ほど、よく起こる。なぜだろう。版の違いによることもあるが、そうでない場合は、演奏者がパート譜に「お化粧」ないしは「手術」を施しているのがその原因だ。そして、古典的名曲であるほど、それらが常套手段として定着しているケースが多いのである。

 修正が加えられるのは、ほとんどの場合、HrnやTpなどの金管パートだ。金管楽器の「不自由さ」が、バルブシステムの発明で初めて解消したことを考えると、一応うなずけることではある。しかし、だからと言って、どの修正にも正当な理由があるというわけではない。私たちは、各々の場合について作曲者の意図をよく考慮し、必要ならば指揮者ともよく相談した上で、結論を出していくようにしたい。そのための第一歩は、問題箇所をあらかじめよく研究し、自分なりの意見を言えるようにしておくことである。

 マエストロ(藤本氏)に昨年振っていただいた「英雄」と、今度振っていただく「ブラ1」について、いくつかの問題箇所を抽出してみた。以下に述べる内容は私の意見であって、皆さんはそれぞれ別の感じ方をなさっても一向にかまわない。ただ、前に誰かが鉛筆で修正しているからとか、自分の持っているCDではそうなっているから、というような主体性のない態度でお茶を濁すことだけはやめてほしい。その音符を演奏する当事者はもちろんのこと、そうでない人にとっても、自分たちが作る音楽の「性格」を左右する重要な箇所もあるのだ。無関心ではいられないはず……。(各自ご確認いただけることを信じて、譜例は省略)

●ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調「英雄」

◎1楽章-440〜4のTp。英雄のメロディーが途中からオクターヴ下がっている。当時の楽器あるいは演奏技術では、Hi-Bを正確に吹くのがかなり難しかったのかもしれない。それで、ベートーヴェンはTpの最高音をHi-Aと決めていたようだ。つまりこの箇所は、旋律の頂点で「音域限界」を越えることになるので、仕方なく途中から下げられる運命になったのだ。できるものなら下げずに吹いてほしい、というのが作曲者の本音だったと思われるので、Hi-Bなど日常茶飯事となった今日においては、下げないで自然なメロディーとして演奏するほうが、むしろ正しいような気がするし、ヒロイックな曲想にもふさわしい。

◎1楽章-655〜62のTp。英雄のメロディーが途中から忽然と姿を消し、タタタタという同音の刻みになっている。ここでは、前述の箇所と同じ「音域限界」という理由に加えて、楽器の構造上、2nd-Tpが下のレとファを吹けなかったという事情も重なっている。そのために、こんな不可解なオーケストレーションにせざるをえなかったのだろう。したがってここも、前述の箇所と同じ理由から、メロディーを最後まで完全に吹き切るのがよいだろう。

●ブラームス:交響曲第1番ハ短調

◎4楽章-267〜71のHrn。タララターンという音型が4回あるべきところだが、後の2回はタータターンという同音のシンコペーションになっている。4回にするとHi-Cが出てくるためか? いや、Hi-Cは・-392に登場するので、音域限界という理由は成り立たない。ブラームスは何をためらったのだろう。そう思ってスコアをめくってみると、少し後にアルペンホルンのテーマが回想される印象的な部分(4楽章-289〜)があった。そこでの解放感を際立たせるためには、その前でHrnの音色をあまりに目立たせるのは得策でない……彼はそう考えたのかもしれない。実際問題としては、ここを4回ともタララターンとやるのは常識となっていて、いまさらとやかく言う人は少ないのだが、さて、今度の川響はどうする?

◎4楽章-400のHrn。ポポポッポポポンという音型が3回あるべきところだが、最後の1回がポポポッポッポンというふうに変形されている。Hi-Cを吹き損じるのを警戒したのだろうという推定は、4楽章-392があるので説得力に乏しい。しかし、渋好みのブラームスのことだから、Hrnが同じ音型を3回繰り返すのは機械的すぎると思い、3回目をわざと変化させた可能性は十分ありうる。もしそうだったら、「3回目も同じ音型に修正するのは、みんながやっていることだから正しい」と言ってしまうのは、かなり乱暴だ。迂闊には結論を出せないが、私には譜面通りの演奏のほうが好ましく聞こえる。修正が半ば常識化しているこういう箇所についても、一度楽譜通りに演奏して響きを確認してみるのは無駄ではなかろう。

◎4楽章-407の1st-Hrnと1st-Tp。頭の音は、旋律線からはAであるはずなのに、Eになっている。それでは無条件にAに修正してよいかというと、そうはいかない。直前の406小節目までの盛り上がりに、木管とHrn、Tpの音色を用いてきたブラームスは、次に来る頂点の全音符で音色をがらりと変えたかったのだ。大聖堂のステンドグラスから爽やかな朝日が射し込み、堂内は敬虔なコラールの響きで満たされる。そんな至高の瞬間をイメージした彼は、弦の「ザーン」という開放的な響きで光のシャワーを表現し、そこにTrbのコラールを重ねたいと思った(そのためにTrbをしばらく休ませておいた)。そして、これらのパートに旋律最初の音「A」を多く分配した。そうしておいてイ長調主和音の残りの音「Cis」と「E」を、濁らないよう注意しながら挿入していった。その結果として「上のE」がいくらか手薄になるという不都合が生じたため、これを音色の違うHrnとTpに吹かせて和音のバランスを取ろうとしたのではないだろうか。よって私の意見では、1st-Hrnと1st-Tpは譜面通り「E」を吹くべきである。昔から、天使のラッパはTrbの音色と相場が決まっているので、HrnはともかくTpが邪魔しては絶対にいけない。コラールの主役は自分ではないが、欠くことのできない「E」を埋める大事な役割を担っているのだ……という自覚をもって、音を溶け合わせるように演奏したいものである。

 

川響楽譜係(Tp新保)

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