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楽譜係のおしゃべり

楽譜係のおしゃべり No.13(1999/10/18 掲載分)

#♭♪ 音を憎んで人を憎まず ♪♭#

新保 邦明

■“下手(へた)”につける薬

 辻 栄二「アマチュアの領分[ヴァイオリン修得術]」(春秋社)という本を、図書館で借りて読んでみました。アマチュア・オーケストラが抱える共通の悩みを、これほどあらわにえぐりだして分析した本は、まずほかにないでしょう。ヴァイオリンの話が多いのですが、トランペットの私が読んでも充分理解できるように書かれていますし、何よりも現在の川響にピッタリあてはまる言葉が随所に出てくるので、いちいちうなずきながら読み進んでしまいました。 例えば、165ページの「アマ・オケの悩み」という節には、次のような記述があります。

◎様々な雑用があっても、うまく機能分担と担当者の割当を行ない、必要な連絡・調整と進行管理を重ねていけば、解決されていく問題は多い。しかし、時には越すに越せない頭の痛い問題も起こってくる。どこのアマチュア・オーケストラにも大なり小なり見られる問題なのかもしれないが、それはアマチュア・オーケストラは技術向上を目指すものなのか、それとも共通の趣味をもった一種の親睦団体なのか、という問題である。どこかで判然とした線を引くことができない性質の問題ではあるが、なんとなくどちらかの側に傾いて、それがやがて団の運営方針に影響したり、お家騒動にまで発展して入・退団者が入り乱れるといったことは起こりうる。

 どうですか。図星でしょう。また、「“下手”--- 七つの大罪 」という箇条書きもあって、これがなかなか痛快。その七つとは……

◎1.走ること 2.練習をしてこない 3.人に合わせない 4.バランス感覚の欠如 5.音程を直さない 6.全体よりも部分が大好き 7.総評論家

 「走ること」を最も重い「罪」として最初に挙げているところが、本質を突いていますねえ。以下、面白いなと思った所を抜き書きしてみますので、味わってみてください。

◎合奏は人と合わせることだが、この当然のことが意外とうまくいかない。合奏の場でも独立独歩を好む人がいるからである。

◎合奏は人の音を聴き、また自分の音を相手に聴いてもらう相互依存関係によって成立する。難しいパッセージが来て、それをうまくクリアーできず、合奏の進行を乱しそうな時は、パートナーのためにむしろ「かすむ」ほうが良心的という場合がある。

◎音程が悪いと指摘されると、「私は正しいポジションを押さえている」と抗議する人がいる。しかし、問題はそのポジションから出てくる音であり、結果なのだ。結果だけが方法を正当化できるのである。

◎走る人、音程に無関心な人、音のバランスに注意を払わない人などが、何の自覚もなく何回集まって練習を重ねてもまず成果は望めない。---(中略)--- こうしたグループの特徴は、なぜ自分たちの演奏がうまくいかないのか、その原因究明の努力に欠けていることである。または、練習を積み重ねることだけが成果を上げる方法であると信じており、あるいは、演奏よりも参加することに意義を認めている。

 ここまで読んでこられたあなたは、何人かの団員の顔(または名前)を具体的に思い浮かべたかもしれませんね。しかし残念なことに、当のご本人は、自分のことだとは夢にも思っていないのがこの世のつね。ですから、醜音(?)の発生源に気がついているあなたは、いつまでも黙っていてはいけないのです。もちろん、その人の機嫌を損ねるような、どぎつい注意のしかたは慎むべきですし、そんなことをすればかえって逆効果というもの……。

 「ちょっとあんた、走んないでよ。合わせる気あんの? いっつもそうなんだから」とか、「おい、高いぞ! ちゃんと聞けよ。耳もってんだろ耳!」などと、ヒステリックに怒鳴られてごらんなさい。誰だってカチンときますよね。「何言ってんのよ。そっちがずれてんじゃないの!」と言い返したくなります。

 では、どういうふうにすれば受け入れられやすいでしょう。答えは簡単。「人」ではなく「音」のことだけに絞って、さらりと注意してあげればいいのです。走る人には、「○○さん、今のフレーズ、ちょっと走ってるみたいですよ」と言えばいいし、音程が合わない人には、「○○さん、きょうはちょっとピッチが高いんじゃないですか」と教えてあげればいい。非難するのではなく、気づかせてあげるという気持ちが大切ではないでしょうか。その際、あなたの心にゆとりがあるならば、できるだけソフトな表情で話しかけるよう工夫してみてください。そうすれば、指摘された人は素直に直そうと努力することでしょう。そうなって初めて、あなたの注意が実を結ぶのです。

 『音を憎んで人を憎まず』

 一緒に演奏している仲間を憎んでいて、美しい音楽を作れるわけがありません。リズムのずれや音の濁りに敏感になるのはとてもよいことですが、憎しみの対象は「音そのもの」にとどめてほしい。あなたがもし、その音を出した「人」まで憎んでしまったとしたら、どういうことになるでしょう。練習がいっこうにはかどらないことに対する責任を、ほかならぬあなた自身も背負ってしまうことになりはしないでしょうか。

 

川響楽譜係(Tp新保)

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