第115回定期演奏会

第115回定期演奏会
2010年7月4日(日) 14:30開演
@伊丹市立文化会館 いたみホール

客演指揮 大河内 雅彦
学生指揮 浦   優介

曲目
シベリウス / 交響曲第2番
チャイコフスキー / 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
ベートーヴェン / 歌劇「フィデリオ」序曲

(アンコール)
ハチャトゥリアン / 組曲「仮面舞踏会」より「ワルツ」


〈本番までの歩み〉
 2010年3月の春合宿から本格的に第115回定期演奏会のプログラムに向けて練習が始まった。4回生の意志としてこの春の定期演奏会では自分達の力の底上げをし、冬の定期演奏会で選曲の幅を増やす狙いがあった。選んだのはメインにシベリウスの「交響曲第2番」、サブにチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」、そして序曲にはベートーヴェンの「フィデリオ」序曲。
 特に、冬は準備期間が半年あるのに比べて、春は約4か月と期間が短いのが毎年の大きな課題の一つである。それぞれの選曲には意味がある。シベリウスはとにかくリズムも合わせどころも難しくアンサンブル能力が求められ、下振りも困難を極める。「ロメオとジュリエット」は各セクションに課題があった。弦は細かいパッセージ、木管は正確な音程、金管はパワー、打は多種楽器の正確かつ鋭い音形である。そして、古典物の「フィデリオ」。これは言わずもがなだろう。
 指揮者には厳しいと評判だった大河内雅彦先生をあえてお迎えし、4回生の判断として自ら厳しい道を選んだ。就活氷河期だった私達は1月から就活が始まっており、春合宿にもスーツを持っていき、山から二次面接に向かう4回生も少なくなくtutti中の代奏も多かった。年度が変わり、5月。毎年の関学の就職確定率の3分の1にも満たないという氷河期の現実と就活で抜けるばかりで迷惑をかけられない、音楽に集中できない、など心の葛藤が多くあった。互いに気を揉み、他人の合否にも神経をすり減らしつつ、7月の定期演奏会を迎える。

 本演奏会では4回生である浦優介がすべての下振りを担当し、かつ、フィデリオは浦が本番も指揮を振る。サブとメインは客演指揮者である大河内先生である。噂通り厳しい先生で、妥協を許さず、本番2日前にも部長の大久保信克と学生指揮者の浦だけに伝えられた苦言をいかに伝えるかを判断し、その言葉を包み隠さず全員に伝え、逆にその言葉をバネに諦めず、悔いのない演奏会にすることを全員で誓った。

 

<演奏会当日>
 演奏会当日、10:45よりゲネプロが開始し、滞りなく進んだのち13:00にゲネプロが終了した。しかし、これは通常ではなかったと感じる。
 なぜならば、その2日前は異様な光景だった。
ミーティングで浦から告げられた大河内先生の
言葉を受け、涙する者、怒りと悔しさを楽器の
練習へと向け、黙々と練習する者、慰め合う者
がいた。言葉を伝えた事が良かったのか、嘘を
つくべきだったのか…と大久保と浦はその光
景を目にして思った。しかし、2日間という短い
時間の中で私達は立ちあがり、ゲネをやり通し
たのだ。ゲネプロ1時間後、14:00より開場し、
14:30に開演した。

 本番はそれぞれが各々の役割を果たし、“良い”演奏会となった。“最高”ではなく、“良い”なのだ。形にはなり、まとまり、お客様からも暖かい拍手と暖かいアンケートをたくさん頂いた。しかし、私たちは“まだ”足りなかったことを自覚していた。そして、大分県での演奏旅行でこの悔しさや足りなかった部分を補い、納得のいく演奏会にすることを誓ったのだった。

(94期 Y.U.)


〈本番までの歩み〉
 2010年3月の春合宿から本格的に第115回定期演奏会のプログラムに向けて練習が始まった。4回生の意志としてこの春の定期演奏会では自分達の力の底上げをし、冬の定期演奏会で選曲の幅を増やす狙いがあった。選んだのはメインにシベリウスの「交響曲第2番」、サブにチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」、そして序曲にはベートーヴェンの「フィデリオ」序曲。
 特に、冬は準備期間が半年あるのに比べて、春は約4か月と期間が短いのが毎年の大きな課題の一つである。それぞれの選曲には意味がある。シベリウスはとにかくリズムも合わせどころも難しくアンサンブル能力が求められ、下振りも困難を極める。「ロメオとジュリエット」は各セクションに課題があった。弦は細かいパッセージ、木管は正確な音程、金管はパワー、打は多種楽器の正確かつ鋭い音形である。そして、古典物の「フィデリオ」。これは言わずもがなだろう。
 指揮者には厳しいと評判だった大河内雅彦先生をあえてお迎えし、4回生の判断として自ら厳しい道を選んだ。就活氷河期だった私達は1月から就活が始まっており、春合宿にもスーツを持っていき、山から二次面接に向かう4回生も少なくなくtutti中の代奏も多かった。年度が変わり、5月。毎年の関学の就職確定率の3分の1にも満たないという氷河期の現実と就活で抜けるばかりで迷惑をかけられない、音楽に集中できない、など心の葛藤が多くあった。互いに気を揉み、他人の合否にも神経をすり減らしつつ、7月の定期演奏会を迎える。

 本演奏会では4回生である浦優介がすべての下振りを担当し、かつ、フィデリオは浦が本番も指揮を振る。サブとメインは客演指揮者である大河内先生である。噂通り厳しい先生で、妥協を許さず、本番2日前にも部長の大久保信克と学生指揮者の浦だけに伝えられた苦言をいかに伝えるかを判断し、その言葉を包み隠さず全員に伝え、逆にその言葉をバネに諦めず、悔いのない演奏会にすることを全員で誓った。

 

<演奏会当日>
 演奏会当日、10:45よりゲネプロが開始し、滞りなく進んだのち13:00にゲネプロが終了した。しかし、これは通常ではなかったと感じる。
 なぜならば、その2日前は異様な光景だった。
ミーティングで浦から告げられた大河内先生の言葉を受け、涙する者、怒りと悔しさを楽器の練習へと向け、黙々と練習する者、慰め合う者がいた。言葉を伝えた事が良かったのか、嘘をつくべきだったのか…と大久保と浦はその光景を目にして思った。しかし、2日間という短い時間の中で私達は立ちあがり、ゲネをやり通したのだ。ゲネプロ1時間後、14:00より開場し、14:30に開演した。


 本番はそれぞれが各々の役割を果たし、“良い”演奏会となった。“最高”ではなく、“良い”なのだ。形にはなり、まとまり、お客様からも暖かい拍手と暖かいアンケートをたくさん頂いた。しかし、私たちは“まだ”足りなかったことを自覚していた。そして、大分県での演奏旅行でこの悔しさや足りなかった部分を補い、納得のいく演奏会にすることを誓ったのだった。

(94期 Y.U.)