第116回定期演奏会

第116回定期演奏会
2011年2月13日(日) 15:00開演
@兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール

客演指揮 中井 章徳
学生指揮 浦  優介

曲目
ショスタコーヴィチ / 交響曲第5番 二短調
チャイコフスキー / バレエ「くるみ割り人形」より抜粋
ニコライ / 歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲

(アンコール)
エルガー / エニグマ変奏曲より第9変奏「ニムロッド」


〈本番までの歩み〉
 私達の卒業演奏会までにはいくつかの奇跡が訪れた。まず、定期演奏会の時期。当時12月か2月にすることを選択できた。私達は1分1秒でも長く関オケにいたいとの思いで、満場一致で2月に演奏会をすることを決定した。
 ホール選びでは、アルカイックホールが通常(もしくはいたみホール)だったが、兵庫県立芸術文化センターも学生オケに条件付きで貸出し始めていた時代だった。私達が芸文で演奏できることを夢見、部長の大久保が創部100周年だったことも加味し芸文の条件と擦り合わせ交渉したものの、キャンセル待ちする他なく、ほぼ諦める形となった。しかし、演奏会1年前の2月16日に奇跡は起こる。
…キャンセルが出たのである。更に、先着順で芸文の使用権が手に入るという。大久保からその状況と「今から原チャで芸文に行きます」というメールは、それまでのメーリングリストの中で、最も誰もが携帯を握りしめ、続報を待ったことだろう。そして、彼は見事、芸文への到着一番手となり、芸文を勝ち取り、私達は関オケの歴史の中で初めて兵庫県立芸術文化センターで定期演奏会を行う事となる。これが創部100周年の最大の目玉となった。

 そしてもう一つ。4回生の中で『自分達が後輩に残せるものは何か』という話し合いが起きる。それまでの先輩たちは10~20名程度の団員が通例だった。しかし、自分達は一回生だけで35名以上団員がいた。そして、全回生を合わせると、稀に100名を超える大規模楽団になっていたのだ。私たちが抜けた後、新1回生がこんなに入るかもわからない。だから、自分達ができるのは、この人数だからこそ、お金を出し合えば、コントラファゴットを購入し、後輩たちの選曲会議の幅が広げられるのではないか、という案へと進んだのだ。とは言え、100数名の団員からの臨時に集めた資金だけではさすがに楽器1台を買うことはできず、OB会へと相談する事となる。今になって思うが、やはりOBの方々は後輩たちの事をいつも考えて下さっていて、私達の案に賛同し、援助金を出して下さった。そして、コントラファゴットを購入する運びとなる。
 ならば、当然、コントラファゴットを使った選曲にすべきだろう。ということで、チャイコフスキー「交響曲第6番」とショスタコーヴィチの「交響曲第5番」の2曲の決選投票の結果、ショスタコーヴィチにメインが決定。サブはチャイコフスキーの「バレエ<くるみ割り人形>から抜粋」、序曲はオットー=ニコライの「ウィンザーと陽気な女房たち」に決まった。
 指揮者には2009年2月(私達の卒演の2年前)に関オケの客演を務めて下さり、絶大な尊敬を受けていた中井章徳先生を迎える事になった。メインの下振りは4回生の学生指揮者・浦が務め、サブの下振りを3回生の仲谷が務める。そして序曲は、浦が本番指揮者として学生生活で最後に指揮をする曲となる。

 

<演奏会当日>
 ついに卒業演奏会の日がやってきた。兵庫県立芸術文化センターでのゲネプロが9:45より始まる。それぞれが想いを込め、念入りに準備してきた演奏会だ。何も私達の代に限らない。毎年、4回生は同じ気持ちであろう。卒業演奏会前は自分達も後輩たちも決まって贈り物で徹夜状態の団員が出てくる。手紙に何を書くか、何を送るか、送られるか、全てが最後なだけに気持ちも高まる。余談だが、示し合わしたわけでもなく、部長の大久保と学生指揮者の浦は100名を超える全団員に手紙と贈り物を用意したという…彼らは寝ていたのだろうか。話は戻るが、ゲネプロは予定通り12:40に終了し、4回生のみの記念撮影や最後のミーティングを終え、14:15より開場、15:00開演となった。

 演奏会はというと、春のような悔しい想いもなく、中井先生の素晴らしいタクトの元、気持ちと技術を一つにし、熱い熱いショスタコーヴィチ「交響曲第5番」を終演した。そして、最後に涙を呼んだのがアンコールで演奏したエルガーの「エニグマ変奏曲から“ニムロッド”」である。友人へ宛てて作曲されたこの曲を聴き、舞台上で団員たちがすすり泣き、涙をこらえることができない団員が続出した。お客様も巻き込んでの暖かい第116回定期演奏会、私達にとっての卒業演奏会の幕は下りた。
 終演後は各幹部や指揮者の中井先生からのお言葉を頂戴した。また、時に厳しく、時に学生の味方となり、見守りお世話になり続けた弦楽器の高木美恵子先生・林口眞也先生、木管楽器の竹林秀憲先生、金管楽器の吉田勝博先生、打楽器の奥野敏文先生にお礼を伝え、感動の中、最後のミーティングも終焉となった。
 最後の打ち上げは深夜まで続き、「永遠にこの時間が続けばいいのに」と願ったことを今も強く覚えている。歴史ある関西学院交響楽団で共に音楽を奏でられた経験は、一生の財産だ。年を重ねるほど感謝の気持ちが湧いてくる。おそらくすべての団員が同じ気持ちだろう。

(94期 Y.U.)


〈本番までの歩み〉
 私達の卒業演奏会までにはいくつかの奇跡が訪れた。まず、定期演奏会の時期。当時12月か2月にすることを選択できた。私達は1分1秒でも長く関オケにいたいとの思いで、満場一致で2月に演奏会をすることを決定した。
 ホール選びでは、アルカイックホールが通常(もしくはいたみホール)だったが、兵庫県立芸術文化センターも学生オケに条件付きで貸出し始めていた時代だった。私達が芸文で演奏できることを夢見、部長の大久保が創部100周年だったことも加味し芸文の条件と擦り合わせ交渉したものの、キャンセル待ちする他なく、ほぼ諦める形となった。しかし、演奏会1年前の2月16日に奇跡は起こる。
…キャンセルが出たのである。更に、先着順で芸文の使用権が手に入るという。大久保からその状況と「今から原チャで芸文に行きます」というメールは、それまでのメーリングリストの中で、最も誰もが携帯を握りしめ、続報を待ったことだろう。そして、彼は見事、芸文への到着一番手となり、芸文を勝ち取り、私達は関オケの歴史の中で初めて兵庫県立芸術文化センターで定期演奏会を行う事となる。これが創部100周年の最大の目玉となった。

 そしてもう一つ。4回生の中で『自分達が後輩に残せるものは何か』という話し合いが起きる。それまでの先輩たちは10~20名程度の団員が通例だった。しかし、自分達は一回生だけで35名以上団員がいた。そして、全回生を合わせると、稀に100名を超える大規模楽団になっていたのだ。私たちが抜けた後、新1回生がこんなに入るかもわからない。だから、自分達ができるのは、この人数だからこそ、お金を出し合えば、コントラファゴットを購入し、後輩たちの選曲会議の幅が広げられるのではないか、という案へと進んだのだ。とは言え、100数名の団員からの臨時に集めた資金だけではさすがに楽器1台を買うことはできず、OB会へと相談する事となる。今になって思うが、やはりOBの方々は後輩たちの事をいつも考えて下さっていて、私達の案に賛同し、援助金を出して下さった。そして、コントラファゴットを購入する運びとなる。
 ならば、当然、コントラファゴットを使った選曲にすべきだろう。ということで、チャイコフスキー「交響曲第6番」とショスタコーヴィチの「交響曲第5番」の2曲の決選投票の結果、ショスタコーヴィチにメインが決定。サブはチャイコフスキーの「バレエ<くるみ割り人形>から抜粋」、序曲はオットー=ニコライの「ウィンザーと陽気な女房たち」に決まった。
 指揮者には2009年2月(私達の卒演の2年前)に関オケの客演を務めて下さり、絶大な尊敬を受けていた中井章徳先生を迎える事になった。メインの下振りは4回生の学生指揮者・浦が務め、サブの下振りを3回生の仲谷が務める。そして序曲は、浦が本番指揮者として学生生活で最後に指揮をする曲となる。

 

<演奏会当日>
 ついに卒業演奏会の日がやってきた。兵庫県立芸術文化センターでのゲネプロが9:45より始まる。それぞれが想いを込め、念入りに準備してきた演奏会だ。何も私達の代に限らない。毎年、4回生は同じ気持ちであろう。卒業演奏会前は自分達も後輩たちも決まって贈り物で徹夜状態の団員が出てくる。手紙に何を書くか、何を送るか、送られるか、全てが最後なだけに気持ちも高まる。余談だが、示し合わしたわけでもなく、部長の大久保と学生指揮者の浦は100名を超える全団員に手紙と贈り物を用意したという…彼らは寝ていたのだろうか。話は戻るが、ゲネプロは予定通り12:40に終了し、4回生のみの記念撮影や最後のミーティングを終え、14:15より開場、15:00開演となった。
 演奏会はというと、春のような悔しい想いもなく、中井先生の素晴らしいタクトの元、気持ちと技術を一つにし、熱い熱いショスタコーヴィチ「交響曲第5番」を終演した。そして、最後に涙を呼んだのがアンコールで演奏したエルガーの「エニグマ変奏曲から“ニムロッド”」である。友人へ宛てて作曲されたこの曲を聴き、舞台上で団員たちがすすり泣き、涙をこらえることができない団員が続出した。お客様も巻き込んでの暖かい第116回定期演奏会、私達にとっての卒業演奏会の幕は下りた。


 終演後は各幹部や指揮者の中井先生からのお言葉を頂戴した。また、時に厳しく、時に学生の味方となり、見守りお世話になり続けた弦楽器の高木美恵子先生・林口眞也先生、木管楽器の竹林秀憲先生、金管楽器の吉田勝博先生、打楽器の奥野敏文先生にお礼を伝え、感動の中、最後のミーティングも終焉となった。
 最後の打ち上げは深夜まで続き、「永遠にこの時間が続けばいいのに」と願ったことを今も強く覚えている。歴史ある関西学院交響楽団で共に音楽を奏でられた経験は、一生の財産だ。年を重ねるほど感謝の気持ちが湧いてくる。おそらくすべての団員が同じ気持ちだろう。

(94期 Y.U.)