8. 2006年『モーツァルト・イヤー』の《魔笛》

 2006年のクラシック音楽界の最大のテーマはモーツァルトです。ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(ヨハネス・クリュソトムス・ウォルフガング・ゴットリープ・モーツァルト)は1756年1月27日ザルツブルクに生まれ、1791年12月5日ウィーンで亡くなりました。そう、今年2006年はモーツァルト生誕250年目の記念すべきなの年です。

 モーツァルトは35年の短い生涯にもかかわらず、すべての音楽ジャンルに数多くの傑作を残しました。中でも『オペラ』はモーツァルトが最も力を注ぎ、愛した分野です。台本作家ロレンツォ・ダ・ポンテと組んで世に送り出した『ダ・ポンテ三部作』と呼ばれる《フィガロの結婚》(1786年世界初演ウィーン)、《ドン・ジョヴァンニ》(1787年世界初演プラハ)、《コジ・ファン・トゥッテ》(1790年世界初演ウィーン)はオペラ・ブッファの最高峰、オペラ史上不朽の名作です。
 モーツァルトのオペラの中でも《魔笛》(1791年世界初演ウィーン)は異彩を放っています。《魔笛》をジングシュピール(歌つき芝居)とよぶ人がいます。しかし《魔笛》はジングシュピールの枠をはるかに超えています。《魔笛》はオペラ・セリア、オペラ・ブッファ、コラール、フーガ、民謡等、多くの音楽をぎっしり詰め込んでいます。それまでの既成のジャンルでは括れない作品です。モーツァルト自身は《魔笛》を『ドイツ・オペラ』と名づけています。
 《魔笛》は世界初演以来、超ヒット、大ロングランを続けています。ドイツ劇場協会は、毎年7月にドイツ語圏で前年夏に終わったシーズンの上演統計を発表します。この統計で毎年不動のトップは《魔笛》です。05年7月発表の03/04シーズン統計で、《魔笛》はドイツ語圏での演出数34、上演回数485、観客動員約28万人でした。2位は《カルメン》、演出数24、上演回数209、観客動員約18万人で、《魔笛》に大きく差をつけられています。ちなみに3位以下10位までの作品名は《ラ・トラヴィアータ》、《コジ・ファン・トゥッテ》、《後宮からの誘拐》、《ヘンゼルとグレーテル》、《ドン・ジョヴァンニ》、《魔弾の射手》、《トスカ》、《リゴレット》で、10位までにモーツァルト作品が4作品入っています。
 上記の数字でも分かるように《魔笛》は多くの人が一度は観る作品です。そしてたくさんの演出があります。といっても《魔笛》新制作は、劇場にとって難問中の難問です。《魔笛》演出には多くの優れた演出家が、さまざまな方法でアプローチしてきました。ベルリン・コーミッシェ・オーパーの創始者ワルター・フェルゼンシュタイン、弟子のヨアヒム・ヘルツやルート・ベルクハウスは、ドイツのムジークテアーターのメイン・ストリームの中で、《魔笛》の本質に鋭く迫りました。一方、視覚効果的な演出も数多くあります。むしろ世界的に見れば、こちらの方が《魔笛》演出の多数を占めるでしょう。オスカー・ココシュカやデヴィッド・ホックニーも《魔笛》美術装置を手がけました。美術装置出身で《魔笛》演出を手がけた演出家には、ジャン・ピエール・ポネル、アヒム・フライヤー、ユルゲン・ローゼなどがいます。また《魔笛》はファミリー向けメルヘン・タッチの演出でも、フリーメーソンの記号に満ちた演出でも、古代エジプト風、哲学的な演出でも「できそう」で、かつ「さまになりそう」です。しかし作品周辺をぐるぐる回るだけの演出が多く、観客が退屈する上演も多いのです。
 去年の《魔笛》新制作ではバーデン・バーデンで5月に開かれた第8回ヘルベルト・フォン・カラヤン聖霊降臨祭フェスティヴァルでの《魔笛》が注目されました。それはクラウディオ・アバドが初めて《魔笛》を指揮したからです。演出は息子のダニエレ・アバド。彼も初めての《魔笛》演出でした。オーケストラはマーラー室内管弦楽団で、アバドとは息の合ったコンビです。ところがオーケストラは管弦楽のためだけの演奏になり、序曲が終わると、とたんにおどおどした演奏になってしまいました。演出もメッセージに乏しく、ステージ上とオーケストラ・ピットが乖離してしまいました。
 
魔笛
 
タミーノの笛の音に動物達が出てくる場面
  • ボン・オペラ 演出・美術・衣装/ユルゲンローゼ
  • シュトゥットガルト・オペラ 演出/ペーター・コンヴィチュニィ
                  美術・衣装/ベルト・ノイマン
  • バーデン・バーデン 演出/ダニエレ・アバド
              美術/グラツィアーノ・グレゴリ
              衣装/カルラ・テティ


ボン・オペラ

シュトゥットガルト・オペラ

バーデン・バーデン

夜の女王の登場の場面


ボン・オペラ

 どうアプローチしても難しい《魔笛》ですが、ドイツのオペラ劇場で新制作初日以来《魔笛》全公演売り切れ、大人気を続けるのはシュトゥットガルト・オペラの《魔笛》(新制作初日04年3月)です。ゲヴァントハウス・カペルマイスターだった指揮者フランツ・コンヴィチュニィを父に持つペーター・コンヴィチュニィが満を持して演出した《魔笛》です。この《魔笛》はオペラ嫌いの人をも虜にしています。偶然知り合った日本人女性が「オペラを観たいが、何を観たらよいか分からない」というので、シュトゥットガルトの《魔笛》を薦めたことがあります。その後彼女からこんな報告がありました。「オペラって紅白歌合戦の小林幸子のような衣裳をつけた人が声を張り上げるのかと思っていましたが、まったく違うのですね。登場人物の気持ちは私にも共感でき、歌手はステージをところ狭しと動き回るのでびっくりしました。オペラが大好きになりました。また観にいきます」。こんな感想を聞くと嬉しくなります。


シュトゥットガルト・オペラ


バーデン・バーデン


2月定期プログラムより
(2006年2月17日)