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9月定期プログラムより
(2006年9月25日)
13. 『06年夏、モーツァルト生誕250年、シューマン没後150年 』

 ヨーロッパの音楽シーズンは秋に始まり、夏前に終わります。夏はヨーロッパ全体が休養・ヴァカンスの季節です。音楽関係者も平常の仕事に関しては『冬眠』ならぬ『夏眠』に入ります。一方、この『シーズンオフ』にはフェスティヴァルが数多く開かれます。したがって音楽家の夏の過ごし方も、フェスティヴァルに出演する。休養を兼ね風光明媚な場所で開かれるフェスティヴァルに出演する。演奏を休止し、読書をしたりしてゆっくり休養する。勉強に集中するなど、さまざまです。

 星の数ほどある大小の夏のフェスティヴァルで、もっとも有名なのはオーストリアの『ザルツブルクのフェストシュピーレ』とドイツ・バイロイトの『リヒャルト・ワーグナー・フェストシュピーレ』、ロンドンの『プロムス』などでしょう。ちなみに『ザルツブルク』も『バイロイト』も日本では『音楽祭』と呼んでいますが、フェストシュピーレ(祝祭劇)という名からも明らかなように、『ザルツブルク』は演劇等を含む大フェスティヴァルであり、いわゆる音楽だけの『音楽祭』ではありません。『バイロイト』ではワーグナーの『楽劇』を上演しますが、『楽劇』という名からもわかるようにバイロイトで上演するのは『音楽』ではなく、『音楽劇』です。

 夏の『ザルツブルク』は最も華やかなフェスティヴァルのひとつです。世界中から集まる観客・聴衆の中にはドレス・アップし、いわゆる『観て、見られる』人たちも多く、目も楽しませてくれます。またザルツブルク近郊は豊かな美しい自然に恵まれており、休暇と芸術を同時に楽しむには格好の場所です。

 今年の『ザルツブルク』はモーツァルト生誕250年を記念し、通常にも増して大規模な記念公演や催しを行っています。モーツァルトのオペラ全作品上演などはその最たるものでしょう。しかし、一体、モーツァルトのオペラ全作品をひと夏に上演することがどれだけの意味を持つのでしょう? これについては批判的な意見も数多く聞かれました。アーノンクールをはじめ、モーツァルト生誕250年を記念し世界中が大騒ぎすることに苦言を呈する音楽家や、だからこそ今年はモーツァルトを演奏しない、という音楽家も数多くいます。

 モーツァルトの手紙を一度でも読んだことのある方なら、『ザルツブルク』に対し複雑な思いにかられるでしょう。モーツァルトはザルツブルクを心底嫌いました。ザルツブルクの大司教のみならず、町の人々、雰囲気、音楽的環境、すべてを嫌っていました。1781年、25歳のモーツァルトは大司教と大喧嘩の末、大嫌いなザルツブルクを出てウィーンに移り、大好きなウィーンで自由な音楽家として活動を始めます。しかし、ウィーンの人たちはモーツァルトを認めませんでした。現在、ウィーンは多くの作曲家たちの街、とりわけモーツァルトの街として有名ですが、モーツァルトはウィーンの上流階級、知識人には認められず、見離されました。そのあげく借金を重ね、不幸のうちに35歳という短い生涯を閉じました。

 ちょうど150年前の7月29日、ドイツ・ロマン派の大作曲家ロベルト・シューマンがドイツのボンで46歳の生涯を閉じました。いうまでもありませんが、ボンはベートーヴェンが生まれた街です。1854年2月27日、ロベルトはデュッセルドルフの橋からライン河に身を投げました。その日は楽しく華やかなカーニヴァルのクライマックス『ローゼンモンターク』の月曜日でした。ロベルトの妻は19世紀最大のピアニストの一人クララで、そのとき彼女は8人目の子供を身ごもっていました。ロベルトは近くを通った船に救われ、本人の希望でボンのエンデニヒにある精神療養施設に入りました。入院中、ブラームスや当時の大ヴァイオリニスト、ヨアヒムとは面会したものの、医者がクララと会うことを禁止、入院後初めて2人が再会したのは1856年7月27日、ロベルトの死の2日前でした。ちなみに子供たちは入院中のロベルトと1度も会っていません。結局ロベルトは食事を拒否し、7月29日亡くなりました(直接の死因は肺炎とされています)。なお今年は妻クララの没後110年でもあります。

シューマンハウス

ボン旧墓地にあるシューマン夫妻の墓
シューマンハウス前の新しい頭像
 ロベルト・シューマンの命日7月29日には、ロベルトとクララが眠るボンの旧墓地やシューマンハウスでさまざまな催しがありました。シューマンハウスというのは、ロベルトが最期を迎えたエンデニヒの精神療養施設を改修したもので、現在、市立図書館のほかシューマン関係の資料を集め、シューマン資料館、音楽図書館となっており、さらに小コンサートホールとして一般に公開しています。(www.schumannhaus-bonn.de
 シューマンハウスの正面入口前には、今年新たにシューマンの頭像が建てられ、7月29日に除幕式が行われました。同日午後はシューマン夫妻の眠るボン旧墓地の礼拝堂と墓前で記念式典を行い、一般市民など、150人ほどが集まりました。夜はシューマンハウス内でピアノ・リサイタルが行われ、アグネス・ヴォルフとパウル・グルダがシューマンの連弾曲や最後の作品≪ガイスターヴァリアツィオーン≫、同作品をテーマにしたブラームスの連弾曲≪10のヴァリエーション≫などを演奏しました。そのささやかな没後150年記念の趣はモーツァルト生誕250年とは比較になりません。「没後」より「生誕」のほうがお祝いにはふさわしいのかもしれません。ちなみに、今年はショスタコーヴィチの生誕100年の年でもあります。
シューマンハウスでのコンサート
墓前での式典