来住 千保美
第276回定期プログラムより
(2007年5月25日)

18. 『ローマ法王 80歳祝賀コンサート』

 4月16日、ローマ法王ベネディクト16世は80歳の誕生日を迎え、この誕生日の記念コンサートに招かれたのでローマへ行きました。場所はヴァチカンのパウロ6世アウラ(ホール。常設客席3500ほど)、指揮はグスタヴォ・ドゥダメル、ソリストはヴァイオリニストのヒラリー・ハーン、オーケストラはシュトゥットガルト放送響でした。

 日本の喜寿などと違い、ヨーロッパでは50歳、60歳、70歳、80歳などを盛大に祝います。しかしカトリック教世界では誕生日よりも聖名祝日が重要とされるため、ベネディクト16世も80歳の誕生日に特別な催しをするつもりはなかったようです。ベネディクト16世の音楽好きは有名です。ピアノも上手です。それを知る人たちの尽力でこの誕生日コンサートが実現しました。ちなみに法王のお兄さんゲオルク・ラッツィンガーはミュンヘン音大出身で、ドイツ・レーゲンスブルク大聖堂の音楽監督を30年間務め、ここのドイツが誇る少年合唱団(ドームシュパッツェン)を引き連れ日本へも行っています。


ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂
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ホール(パウロ6世・アウラ。リハーサルで)
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 ベネディクト16世(ヨーゼフ・ラッツィンガー)は950年ぶりのドイツ出身のローマ法王です。05年4月19日にコンクラーベ(法王選挙)の結果が伝えられたときは、みんな驚きました。ラッツィンガー枢機卿は当時すでに78歳という高齢でしたし、第2次世界大戦終結からわずか60年後に、ドイツ人がローマ法王に選出されるとは誰も予想しなかったからです。一方、ラッツィンガー枢機卿は前法王ヨハネ・パウロ2世の片腕として、ヴァチカンの超エリート集団の中でも抜きん出た存在でした。ラッツィンガー枢機卿はカトリック教会最右翼の強靭な理論家とされていました。でもローマ法王就任後は信頼と人気を獲得し、いまやガチガチの理論家ではなく、柔軟な改革派、行動派としての評価が高まっています。法王の個人秘書官ゲオルク・ゲンツヴァインも話題の人です。余談ですが、女性に人気が高く、彼にインスピレーションを得たとして、ヴェルサーチが『ドン・ジョルジョ』というメンズ・ファッションを発表しています。

 さて、4月16日、18時からのコンサートはドイツ、オーストリア、スイス(3SAT)、イタリア(RAI)、の公共放送で18時から同時中継され、ドイツでは23時半頃から全国ネットのドイツ・テレビ(ARD)でも録画中継されました。このあと22日早朝に南西ドイツ放送(SWR)が録画中継をしています。このオーケストラ客演と放送には、シュトゥットガルトに本拠を置く自動車メーカー、ポルシェがスポンサーになっています。


コンサート風景
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 コンサートには枢機卿、大司教など多くの教会関係者のほか、各国外交団も多数集まり、女優のソフィア・ローレンの顔も見えました。会場はヴァチカン内部のため、セキュリティー・チェックも空港なみの厳しさで、警察やヴァチカンのスイス人衛兵が各所で目を光らせていました。

 プログラムは、ジョヴァンニ・ガブリエリ《サクラ・シンフォニア、第9旋法による12声のカンツォーナ》(金管楽器のみ)、モーツァルト《ヴァイオリン協奏曲第3番》、ドヴォルザーク《交響曲第9番、新世界》そしてガブリエリ《カンツォーニとソナタ》(金管楽器のみ)、この1時間半を超えるプログラムを休憩なしに演奏しました。法王の出身地であるドイツのオーケストラが、将来を担う若い音楽家、アメリカ出身のヴァイオリニスト、ハーン(28歳)とベネズエラ出身の指揮者ドゥダメル(26歳)と共に17、18、19世紀の作曲家の作品をプログラムにのせたわけです。

法王のお兄さん(左)
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大聖堂前でアルペンホルン合同祝賀演奏する南ドイツの同好会メンバー
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 ハーンは若い世代の女性ヴァイオリニストの中でも、ドイツのユリア・フィッシャーと人気・実力を二分するトップ・ヴァイオリニストです。ハーンのモーツァルト演奏は品格があり、よく考えられていながら作意が表面化せず、音楽が自然に流れる素晴らしいものでした。法王は誕生日にモーツァルト作品を希望したそうですが、ハーンはこの望みに十分に応えていました。

ヴァイオリン独奏したハーン(リハーサルで)
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 ドゥダメルは今一番のシューティング・スターで、世界中のオーケストラから引っ張りだこです。つい先日、ロス・フィルの次期音楽監督就任が伝えられました。彼の指揮は若さがみなぎり、音楽は熱く、オーケストラをグイグイ引っ張っていきます。ただし音楽解釈上首をかしげる箇所も多々あり、細部の荒さも気になりますが、情熱と若さがそれを補っています。

 演奏後、ベネディクト16世がステージでお礼の挨拶をしました。まず音楽家やコンサートをプレゼントしてくれた関係者全員へ感謝の言葉を述べ、自分自身の音楽に対する尊敬と愛、感謝の言葉が続きました。「音楽は今日もこうして私の人生の大事な節目と結びついています。音楽は子供の頃から、私に多くの慰めと喜びをもたらしてくれました。音楽は様々な文化や人種の違いを越え、皆が理解できる普遍的な言葉です。音楽は世界中に愛と連帯、平和を実現します」。これらはローマ法王というより、ヨーゼフ・ラッツィンガーとしての言葉でした。西洋と遠く離れた日本に生まれ、キリスト教信者でもない私にも、法王の言葉は同じく音楽を敬愛する者として心に深く響きました。とても素敵なコンサート、そしてお礼の言葉でした。


お礼の言葉を述べる法王(オーケストラの前にドゥダメルとハーン着席)