来住 千保美 Chiomi Kishi
第284回定期プログラムより
(2008年5月23日)
26. 『リヒャルト・ワーグナー≪ニーベルングの指環≫』

 2013年はワーグナーとヴェルディ生誕200年という記念の年です。ワーグナー≪ニーベルングの指環≫(略して≪指環≫)は現在の劇場上演作品中では最大規模の作品です。≪指環≫は≪ラインの黄金≫、≪ワルキューレ≫、≪ジークフリート≫、≪神々のたそがれ≫の4作からなり、上演はほぼ15時間にわたります。上演にあたっては劇場のすべての部門に大きなプレッシャーがかかり、大がかりな準備を必要とします。

★ハンブルク・オペラの≪指環≫

 ハンブルク・オペラは3月16日、≪ラインの黄金≫新制作初日を迎えました。同オペラが≪指環≫を新制作するのは15年ぶりです。これから≪ワルキューレ≫(初日08年10月19日)、≪ジークフリート≫(初日09年10月18日)、≪神々のたそがれ≫(初日10年10月17日)と≪指環≫4作品を1シーズン1新制作します。指揮は同オペラ支配人兼音楽総監督のシモーネ・ヤング、演出はスター演出家のクラウス・グートです。

 グートは心理分析に長けていますが、≪ラインの黄金≫では箱庭の中に≪ワルキューレ≫以降の重要な道具立てと思われるものがミニチュアとして提示されました。初日公演の観客の反応は賛否両論で、ワーグナー作品の初日ではごく当たり前の反応でした。≪指環≫は膨大かつ困難な作品であり、1人の演出家が4作品すべてを手掛けると≪ラインの黄金≫でその後の進行が見えてしまう、という欠点があります。グート演出もそのくびきから解放されていません。


第284回定期パンフレットより

★エッセン・オペラの≪指環≫新制作発表

 1999年から2000年にかけて新制作されたシュトゥットガルト・オペラの≪指環≫は4作品を4演出チームに分けて制作するという史上初の試みで、上演史に残る大成功をおさめました。それからほぼ10年、今度はエッセン・オペラが4演出チームによる≪指環≫新制作を始めます。新制作指揮は同オペラ支配人兼音楽総監督をつとめるシュテファン・ショルテスです。

 ≪ラインの黄金≫(初日08年11月8日)の演出はティルマン・クナーベ、≪ワルキューレ≫(初日09年5月24日)の演出はディートリヒ・ヒルスドルフと発表されました。≪ジークフリート≫と≪神々の黄昏≫の演出は未発表です。

★フランクフルト・オペラの≪指環≫新制作予定

 現在、エッセン・オペラと並んで大きな注目を集めるフランクフルト・オペラも≪指環≫を新制作します。全作品の演出は若手女性演出家の予定です。また昨年バイロイトの新制作≪ニュルンベルクのマイスタージンガー≫を指揮したセバスティアン・ヴァイグレが同オペラの音楽総監督として指揮する予定です。

★ボン市立劇場の≪指環≫ミュージカルとダンス

 ボン市立劇場は一風変わった≪指環≫を上演しています。ミュージカルとダンスです。シンフォニック・ロック・ミュージカル≪ザ・リング≫の世界初演は07年12月16日。この初演はドイツのTV全国ニュースや日刊紙にも紹介され、大きな話題になっています。

≪ザ・リング≫はもちろん≪指環≫を下敷きにしており、ライト・モティーフもいくつか使われています。とはいえワーグナーの≪指環≫とはまったく別物です。ストーリーも大胆に書き換えられ、ハッピー・エンドとなっています。上演時間も休憩1回をはさみ約2時間半と大幅に短縮されています。作曲、コンセプト、オーケストレーション、芸術監督は人気ミュージカル作曲家、フランク・ニムスゲルンが手掛けました。ニムスゲルンはバイロイトにも出演した著名歌手ジークムント・ニムスゲルンの息子で、子供の頃からワーグナーに親しみ≪指環≫をよく知っています。演出を手掛けたクリスティアン・フォン・ゲッツと一緒に、2人で楽しみながら制作したことがよくうかがえます。≪ザ・リング≫は『親殺し』という深刻なテーマを抱え、世代間の葛藤、権力への純粋な憎悪、よりよき未来への強い意志などが明確に打ち出され、楽劇の核のひとつをよく伝えています。

 ボン市立劇場のもうひとつの『指環プロジェクト』ダンスは、まず昨シーズンにタンツテアーター≪ニーベルングの指環I≫(≪ラインの黄金≫、≪ワルキューレ≫)として世界初演されました。08年2月9日、後半の≪ニーベルングの指環II≫(≪ジークフリート≫、≪神々の黄昏≫)が世界初演されました。演出と振付はヨハン・クレシュニク、音楽:ゲアノート・シェトゥルベルガーです。このタンツテアーターは≪指環≫のストーリーにワーグナー家の歴史を絡ませながら進行し、資本主義と全体主義への強烈な批判を核に、現在の貧困な文化政策を糾弾しています。ボン市立劇場のバレエ部門は相次ぐ予算カットのあおりを受け、この新制作を最後に解散になりました。同劇場マネージメント部門はこれに対し、新制作そのもので文化政策と政治家を批判したのです。