来住 千保美 Chiomi Kishi
第285回定期プログラムより
(2008年6月25日)
27. 『ドイツの初夏、シュヴェツィンゲンとアスパラガス』

 ヨーロッパ、とくにアルプス以北のヨーロッパで最も美しい月はいつでしょう?私は躊躇なく「5月と6月」と答えます。長い冬もやっと終わり、太陽の光に勢いが出てくる頃、木々は一斉に緑に輝き始め、色とりどりの花が開きます。昼も長くなります。夏至のころには、私が住むケルンでは22時半過ぎまで戸外で本を読むことができます。

 「5月」といえば、ロベルト・シューマンの歌曲≪詩人の恋≫を思いだす方も多いでしょう。ハインリヒ・ハイネの詩によるこの歌曲集をシューマンは1840年5月に作曲しました。第1曲は≪美しき5月≫です。当時ヨーロッパの大スター・ピアニストだったクララ・ヴィークとの恋はクララの父親の大反対にあい困難を極めました。法廷闘争にまで発展しましたが、2人は1840年にやっと結ばれました。シューマンはこの年、歌曲の大傑作を次々に作曲しました。またシューマンは≪ピアノ協奏曲・イ短調≫も、1841年の「5月」に着手しています。

 「6月」といえば、私の場合、リヒャルト・ワーグナー≪ニュルンベルクのマイスタージンガー≫第2幕、ハンス・ザックスの有名な『ライラック・モノローグ』を思いだします。聖ヨハネの祝日(6月24日)を翌日に控え、マイスタージンガーであり人々の尊敬を集める初老のザックスが、あたりに満ちあふれるライラックの花のかぐわしい香りの中で懊悩する場面です。オーケストラ・ピットからゆらゆらとたちのぼる管弦楽は、ライラックの花の香りを湛えています。「香り」を管弦楽で表現できた珍しい例のひとつです。

<シュヴェツィンゲン・フェストシュピーレ>

 さて、みなさんはシュヴェツィンゲンという町をご存知でしょうか?シュヴェツィンゲンは有名な観光地ハイデルベルクの南西10km、またマンハイムの南東15kmに位置する人口約2万2千人の小さな町です。マンハイムに本拠を置くプァルツ選帝侯カール・フィリップは18世紀半ば、ここを夏の離宮にしました。後を継いだカール・テオドールの手厚い保護・育成のおかげで、マンハイムはヨーロッパにおける芸術・文化の大中心地となりました。ここに集った音楽家たち、『マンハイム楽派』は現在『前古典派』とも呼ばれ、彼らの実験的・先進的な音楽活動はヨーロッパの注目を集めました。モーツァルトは職を求めてマンハイムに逗留し、数々の音楽家と知り合い、親交を深め、彼らから大きな影響を受けました。アロイジアへの燃える恋と大失恋を経験したのもここでした。

第285回定期パンフレットより

 シュヴェツィンゲンでは、美わしく、かぐわしい季節に毎年、フェスティヴァルが開かれます(Schwetzinger Festspieleシュヴェツィンガー・フェストシュピーレ:http://www.swr.de/swr2/schwetzinger-festspiele/、今年は4月25日から6月10日まで)。このフェスティヴァルは1952年に始まりました。現在では数多くのフェスティヴァルの中でも重要な位置を占めています。これには南西ドイツ放送(SWR)が大きく関わっていることも理由のひとつです。

 フェスティヴァルの2つの柱はオペラとコンサートです。オペラは離宮内の美しいロココテアーター(Rokokotheater)で上演されます。これまで同フェスティヴァルが委嘱し世界初演したオペラの数は35。ヘンツェ、ライマン、シャリーノ等が名を連ねています。コンサートは管弦楽から室内楽、歌曲のリサイタルも行われ、クレーメル、ブレンデル、バルトリなど世界一流の音楽家が登場します。さらに若手音楽家の発掘と育成にも熱心で、大きな業績をあげています。たとえば、日本人とドイツ人のハーフ、チェリストの石坂団十郎や久々に出現したドイツ人ピアニストのシューティング・スター、マーティン・ヘルムヘン等若手音楽家もこれまで登場しています。

<アスパラガス>

 ところでシュヴェツィンゲンはアスパラガスの大生産地です。離宮前の広場には周辺のアスパラガス農家が屋台の売店を出しています。売る時期は4月末から元々は6月の聖ヨハネの祝日までですが、地域・天候によって決められています。期日を過ぎると地物のアスパラガスは1本も売られません。スーパーマーケットなどで見かけるものは外国産のひからびたものとなります。緑のアスパラガスもありますが、白が主流です。白アスパラガスは砂地で栽培され、先端がわずか地面の上に顔を出したときに収穫されます。アスパラガスの時期、ドイツ人はこの『野菜の王様』を食べるため、アスパラガス農家に殺到し、またレストランではアスパラガス特別メニューに舌鼓を打ちます。アスパラガスは先端から下の部分の皮をむいて茹でますが、皮むきは大仕事です。最近では『アスパラガスむき機』を導入し、販売直後のアスパラガスの皮をむくサービスをする農家も増えました。専用の皮むきナイフ、アスパラガスをゆでるためだけの縦長の専用鍋、お皿などアスパラガス・グッズもたくさんあります。

 風薫る5月、ライラックの花薫る6月、シュヴェツィンゲンで素晴らしいオペラやコンサートの後に食べる、あまやかで気品のある白アスパラガス。これらは格別の味です。