来住 千保美 Chiomi Kishi
第286回定期プログラムより
(2008年7月18日)
28. 『ドイツ、ノルトライン=ウェストファーレン州、世界一のオペラ密集地域!』

 ドイツは世界一の音楽大国、オペラ大国です。ここでいう『オペラ』、『オペラ劇場』とは『オペラ・アンサンブル』のことで、日常的にオペラを上演する劇場建物、オーケストラ、歌手アンサンブル、コーラス、場合によってはバレー団を抱える組織団体のことです。この意味での本格的なオペラ・アンサンブルは日本にはありません。新国立劇場は、根幹となる専属オーケストラや歌手アンサンブルを持っていません。

 ドイツは連邦共和国で、教育・文化行政は地方の権限下にあります。つまり、教育・文化面で中央・地方という区分は見当違いです。この基本の理解なしにはドイツの文化について根本から間違うことになります。

 西部にあるノルトライン=ウェストファーレン州(NRW)は面積で4番目(約3万4千平方キロ)、ドイツ最大の人口(1800万人)を抱える州です。全人口の約5分の1が住んでおり、人口密度は528人/平方キロです。ちなみに九州の総面積は約3万9千平方キロ、人口約1300万人、人口密度333人/平方キロです。このNRW州には15のオペラ・アンサンブルがあります。

 5月から5週間の間にNRW州のオペラ・アンサンブルのうち、8劇場で11の新制作作品を観ました。エッセン≪タンホイザー≫、≪セメレ≫、ケルン≪カーチャ・カバノヴァ≫、≪仮面舞踏会≫、ライン・ドイツ・オペラ(デュッセルドルフとデュースブルク)の≪ムツェンスク郡のマクベス夫人≫、ボン≪ファウスト≫、≪スペードの女王≫、ヴッパータール≪ピーター・グライムズ≫、ミュンスター≪アイーダ≫、ゲルゼンキルヘン≪オテロ≫、アーヘン≪ニジンスキィの日記≫です。どこも個性豊かな公演を行っています。


第286回定期パンフレットより

 現在、同州内で最も評価が高く、ドイツのトップ・オペラという呼び声も高いオペラは、エッセン・アールト・ムジークテアーター(市立。http://www.theater-essen.de/)です。エッセン市の人口は約59万人。ルール工業地帯の中心都市です。劇場建物の名は建築家アルヴァー・アールト(1898〜1976)にちなんでいます。アールトはグロピウスなどと並び、20世紀が生んだ大建築家の一人です。設計は1959年に開始、30年後の1988年に完成しました。アールトの死後のことです。劇場(座席数1125)はモダンで広々としています。劇場内のどこからもステージが良く見え、素晴らしい音響です。

 アールト・ムジークテアーターは年間114回のオペラ公演のほか、バレエ公演(42回)、オペレッタ(8回)公演を行っています。年間オペラ公演観客数は103,595人。エッセン市がオペラ、コンサート、演劇等に年間約3千6百万ユーロ(約58億円)、州が98万ユーロ(約1億5千万円)を補助しています。国はもちろんゼロです。ほかにスポンサー収入もあります。劇場・コンサートのチケット販売等収入が約1千1百万ユーロ(17億6千万円)ですが、これは総支出の約28%をカヴァーするにすぎません。「え?そんなに少ない?」と驚く方も多いかもしれませんが、これは音楽界の『超優良企業』です。有名なベルリン州立オペラでさえ24.5%、ミュンヘンのバイエルン州立オペラが37.2%(ただしチケット代が通常公演よりはるかに高額なオペラ祭を含む)です。ほとんどの劇場、コンサート組織の『チケット等の販売収入が全体支出をカヴァーする割合』は10%台、あるいはそれ以下です。つまり音楽・演劇は公の支援なしには成立しないのです。

 エッセンの音楽総監督はシュテファン・ショルテス、オペラ支配人も兼任しています。ショルテスの就任(1997年)以来、オペラ界の大きな注目を集めています。優秀な演出家、ステージ美術家の招聘、明確なコンセプトを持ったプログラムなどが理由です。オーケストラの演奏能力も大きく向上し、バロックから現代まで広いレパートリーを誇っています。

 3月29日に新制作初日を迎えた≪タンホイザー≫(ワーグナー)は大きな話題をよびました。指揮はショルテス、演出はハンス・ノイエンフェルツ。ノイエンフェルツは現在のムジークテアーターに欠かせない演出家の一人です。この≪タンホイザー≫新制作はウィットとユーモアの中に超辛の批判と皮肉を込め、宗教と社会の欺瞞を糾弾する素晴らしい制作でした。ノイエンフェルツは2011年、バイロイトで≪ローエングリン≫を演出する予定です。

 ヘンデルの≪セメレ≫はディートリヒ・ヒルスドルフの演出。美術と衣裳はロココ時代の絢爛豪華、登場人物の描写が細かで歌手は素晴らしい歌唱を聴かせました。

 同州最大の町ケルンの人口は約100万人、ドイツで4番目の都市です。ケルン市立オペラ(http://www.buehnenkoeln.de/)は、座席数約1300。年間オペラ上演回数156、オペラ観客数は約13万5千人。市がオペラや演劇、コンサートに約4千4百万ユーロ(約70億円)、州が百万ユーロ(約1億6千万円)を補助しています(国はゼロ)。チケット販売等の収入が約9百万ユーロ(14億4千万円、全支出をカヴァーする比率は17.2%)です。

 ケルン市立オペラは新制作の演出にスターを招きました。ヤナーチェク≪カーチャ・カバノヴァ≫の演出はロバート・カーセン、美術はパトリック・キンマンス。2人とも日本でも有名です。ヴェルディ≪仮面舞踏会≫はスター・テノールのホセ・クーラが演出しました。彼がオペラを演出するのは初めてでした。歌手として秀れていても演出はまったく異なる仕事です。安易な演出コンセプト、歌手やコーラスの稚拙な動かし方は観客の失笑をかっていました。ステージで歌うクーラは素敵なのに、残念なことです。

:資料はTheaterstatistik 05/06。ドイツ劇場協会07年夏発行。前シーズンの統計をまとめるため、08年6月現在、最新の統計。1ユーロ=¥160で計算)