来住 千保美 Chiomi Kishi
第291回定期プログラムより
(2009年4月12日)
33. 『ドイツ、ケルン市立歴史資料館崩壊』

 3月3日13時58分、ドイツのケルン市立歴史資料館が、隣接する住居ともども崩れ落ちました。原因は地下鉄工事と見られています。地下28mで地下鉄工事にたずさわっていた人たちがトンネル内の異常な浸水に気づいたのが13時45分、ただちにケルン市歴史資料館にいた人たちや近隣の住民、路上の人々に避難するよう叫んで回ったそうです。着の身着のままで飛び出した人たちも多く、避難先の近くのホテルなどで不自由な生活を送っています。人的被害は3月12日までに、行方不明だった2人の遺体が発見されました。しかし工事人たちの瞬時の判断がなければ被害者は100人にのぼっただろうと言われています。

 ケルンでは中央駅から南部に向け、旧市街を通る地下鉄新路線の工事が行われています。ところが数年前、新路線が通る脇にある教会の塔が傾いたことがあり、『ピサの斜塔』ならぬ『ケルンの斜塔』としてニュースになりました。これも当時、地下鉄工事が原因だと言われましたが、教会の塔自体が古い建築ということもあり、倒壊を防ぐ鉄骨の支えを立て、地盤を固めて元の姿に戻りました。そして工事は予定どおり続けられてきました。3日に崩壊したケルン市立歴史資料館は、この教会から地下鉄新路線に沿って100mほどしか離れていません。さらに少し前から、ケルン市立歴史資料館をはじめ、近辺の建物に亀裂があるのが発見され、市に報告されていたのにもかかわらず、「問題なし」と片づけられていました。


第291回定期パンフレットより

 崩壊したケルン市歴史資料館は1971年に建設されました。7階建ての建物は高さ21.4m、幅48.4m、地下16mで、古文書や高価な記録蒐集物を守るために特別な空調、警報装置などを施し、『ケルン・モデル』として資料館建築の模範とされてきました。近辺には消防署、警察署もあります。

文書棚の総延長は26kmにのぼります。アルプス以北最大の資料庫として、ここは922年以降の証書や文書65,000点を所蔵していました。古文書や資料のジャンルは政治、社会、文学、美術、音楽など多岐にわたります。このほとんどが一瞬にして土砂と瓦礫に埋まりました。折から降り始めた雨への対策も滞り、被害の全貌はまだつかめません。多くの資料材質が紙なので、資料の90%が壊滅的打撃を受けたと言われています。

 戦後、ドイツ首相になったコンラート・アデナウアー関係の資料は書棚の長さ70mでした。アデナウアーは1917年にケルン市長に選ばれましたが、1933年にナチによりその職を追われました。当時押収された書簡などもここに納められていました。これらの資料は非常に頑丈な保存箱のおかげで、奇跡的に助かったそうです。

ノーベル文学賞受賞したハインリヒ・ベルの書棚の長さは140mで、ここにはノーベル賞文学賞受賞の証書、大戦時のすべての書簡、2000枚以上の写真等が所蔵されていました。

 音楽関係の喪失も甚大です。1850年、ケルン市音楽監督に就任したフェルディナンド・ヒラーは多くの音楽家と書簡を交わしました。シューマン夫妻、リスト、ショパン、ヴェルディ、ワーグナー、ブラームス、ヨアヒム、グリークからの手紙や、彼らが客演した時のプログラム、彼らの音楽解釈記述などもここに収蔵されていました。ヒラーの後任フランツ・ヴュルナーと親交のあったフンパーディンク、ブルッフ、レーガー、R.シュトラウス、マーラーの楽譜、書簡や写真もありました。その他プィッツナー、シェーンベルク、クシェネク、ベルク、ヒンデミット、ストラヴィンスキー、バルトーク、ケージ、シュトックハウゼンなどの関係資料等、ここに収蔵されていたすべての資料が壊滅したと思われます。

 なかでもケルン生まれのジャック・オッフェンバック関係の資料は2300点にのぼります。この内20%から30%の資料はコピーもなく、再現不可能といわれています。

 ケルンに縁の深い指揮者ギュンター・ヴァントの関係資料も失われてしまったようです。ここには1950年代のギュルツェニヒ管との珍しい録音、作曲家ベルント・アロイス・ツィンマーマンとの書簡、メモ、指揮用の書き込みのある総譜などが収められていました。

 2001年1月7日、ヴァントさんの89歳の誕生日に自宅に招かれました。ヴァントさんの仕事部屋に置かれたピアノの上にはブルックナー《第8交響曲》のスコアが開かれていました。年代の異なる夥しい書き込みは、それまで膨大な時間を費やした勉強と熟考を物語っていました。ヴァントさんの死後、後に続く指揮者のためにも、最も安全で閲覧可能な場所に移したほうがよいと、総譜等はケルン市歴史資料館に移管されました。それも今、土砂に埋まっています。

 行方不明者の捜索が終了したとして、捜索の重点は資料の発見と保護に移りました。しかしこれには1年はかかると言われています。2度の世界大戦による爆撃を逃れた財産が、それを守るもっとも安全といわれた『保管箱』の予期しない崩壊により、そのほとんどが消滅したか壊滅的な打撃を受けてしまいました。

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※詳しい情報は、下記のサイトをご覧下さい。(ドイツ語のみ)

http://www.stadt-koeln.de/5/kulturstadt/historisches-archiv/
http://www.ksta.de/html/artikel/1236100099706.shtml

また以下は市が設けている義援金の銀行口座は以下の通りです。
■キーワード: “Severin”■口座番号: 190 319 0419
■銀行コード: 370 501 98 
■銀行名: Sparkasse KoelnBonn