来住 千保美 Chiomi Kishi
第292回定期プログラムより
(2009年5月22日)
34. 『ロンドンのサー・ロジャー・ノリントン75歳誕生日コンサート

 イギリス人指揮者サー・ロジャー・ノリントンが今年3月16日、75歳の誕生日を迎えました。当日、ロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールでバースデイ・コンサートが開かれました。コンサートは『サー・ロジャーの音楽』と題され、ノリントンが1962年に設立したロンドン・シュッツ合唱団、ジ・エイジ・オブ・エンライトメント管、現在主席指揮者を務めるシュトゥットガルト放送交響楽団等がこのお祝いに加わり演奏しました。司会はサー・ニコラス・ケンヨン(プロムス前支配人)で、ジョナサン・ミラーなどをゲストに迎えました。プログラムは、演奏順にベルリオーズ、シュッツ、ブラームス、バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト、マーラー、エルガーが並び、プログラム冊子にはそれぞれの作曲家に対するノリントンの興味深い献辞が綴られていました。

 ノリントンはアーノンクールと並び『古楽奏法』の第一人者として知られています。今日アーノンクールは少し路線を変えていますが、ノリントンは20世紀末から今世紀の管弦楽奏法に大きな影響を与えています。現在多くの指揮者とオーケストラがノリントンのアプローチを採り入れ、演奏に新鮮な息吹を与えています。

『古楽奏法』を説明するのは容易ではありません。フレージング、テンポ、アーティキュレーション、ダイナミクス、音のバランス、楽器の選定、編成、配置など、すべてが適切に配慮され融合しています。もっとも耳に顕著なのは『ノン・ヴィブラート』です。ノリントンは、「現在一般に行われる弦楽器のヴィブラート奏法は、史料を調べた結果、20世紀前半に起こったものであり、それまでヴィブラートはかけていなかった。モーツァルトやベートーヴェン、ワーグナー、ブラームスやマーラーが聴き、イメージしていた音は現在の耳障りなヴィブラートによる音の『厚化粧』とは違う」といいます。そしてヴィブラートなしの音を『ピュア・トーン』と呼んでいます。

第292回定期パンフレットより

 さらにノリントン指揮の音楽を注意して聴くと、そのフレージングの素晴らしさと面白さに気がつきます。息も絶え絶えになるような長いフレージングではなく、さまざまな声部が面白く組み合わされた闊達なフレージングが、活気に満ちた力ある音楽を生み出しています。

 ノリントンはオックスフォード大学副学長を父に1934年、オックスフォードに生まれました。子供の頃からヴァイオリンを学び、ケンブリッジ大学で英文学と歴史、王立音楽大学で指揮を学びました。60年代は声楽家として活躍、62年にはケンブリッジ大学卒業生を中心にハインリヒ・シュッツ合唱団を設立し指揮活動を始めました。69年にケント・オペラ音楽総監督に就任、75年にはロンドン・バロック・プレイヤーズを設立し、これが78年にはロンドン・クラシカル・プレイヤーズ(LCP)に発展しました。LCP解散後はジ・エイジ・オブ・エンライトメント管などでオリジナル楽器による演奏を続け、98年にシュトゥットガルト放送響主席指揮者に就任しました。これには当時の音楽関係者の誰もがとても驚きました。当時ノリントンは古楽奏法で有名ではあったものの、大編成のモダン・オーケストラでどんな仕事ができるのかと、オーケストラ団員ほか、誰もが懐疑的でした。それどころか嘲笑した人もたくさんいました。でも当時のオーケストラ・マネージャーは「やってみなきゃ分からない」と、反対の声を押し切りノリントンを迎えました。この大英断は大成功し、いまやノリントン指揮シュトゥットガルト放送響は世界中で唯一無二の『シュトゥットガルト・サウンド』を聴かせています。

 ノリントンの日本デビューは2001年、シュトゥットガルト放送響との来日でした。日本最初のコンサートは11月8日、福岡アクロスでした。プログラム最初の《魔笛・序曲》が終わったとたん、客席から大きなブラボーが沸き起こり、これに続く日本ツアーは大成功に終わりました。ノリントンは福岡のコンサート後、何度も「あのブラボーは嬉しかった」と繰り返し、すっかり日本の大ファンになりました。福岡でのブラボーの声がそのきっかけをつくったともいえます。

 ノリントンは「音楽をみんなと分かち合いたい」、「音楽は楽しいものだ」といいます。楽章間の拍手にも喜びます。楽章間には「どう?」という風に客席を振り返り、聴衆の反応を確かめます。それに対し批判的な人々もいますが、ノリントンは「史料から得た知識と自分の直観に従い、感情を素直に表現しているだけだ」といいます。オーケストラ団員は「ノリントンは私たちを決して神経質にしない。気がつくと彼のペースにまんまとのせられている」といいます。

実はノリントンは50歳代後半に悪性の脳腫瘍の手術をし、数週間の命と宣告されました。その後、癌治療で有名なニューヨークの医師ゴンザレスと出会いました。死の宣告から20年近くたった今でも元気に指揮活動を続けています。

75歳を目前にしたインタヴューで、ノリントンは「自分の誕生日を特別に祝ったりするのは好きではない。しかし誕生日のコンサートは楽しみたい。75歳は私にとって過去を振り返り、長くて充実した人生を喜ぶ機会だ」と述べていました。