来住 千保美 Chiomi Kishi
第295回定期プログラムより
(2009年9月18日)
第295回定期パンフレットより
38. 『ミュンヘンから

 ドイツ南部のバイエルン州の州都、ミュンヘン市は人口約135万人を擁すドイツ第3の都市です。古くから東西南北を結ぶ交通の重要拠点として発展してきました。

 ミュンヘンは12世紀末に端を発するヴィッテルスバッハ家の宮廷文化が大きく花開き、今日も見所がたくさんあります。レジデンツ(宮殿)、ニュンフェンブルクの城館、近郊のシュライスハイムの城館など、王宮や3つのピナコテーク(美術館)、ドイツ博物館をはじめ、数多くの美術史に欠かせない作品を集めた美術館があります。南西のバイエルン・アルプスの麓にはドイツ観光では欠かせないノイシュヴァンシュタイン城があり、ここは有名な観光ルート、ロマンティック街道の終点でもあります。その先にはリンダーホーフの城館があり、また南東のザルツブルクへ向かう途中にはヘレンキムゼーの城館もあります。この3つの城はバイエルン国王ルートヴィヒ2世が建てました。湖の多いミュンヘン郊外は自然も美しく、湖畔に建つ館の風景も目を楽しませます。またミュンヘンのビールは有名です。毎年秋には大きなビール祭り『オクトーバー・フェスト』が開かれます。

 ミュンヘンは、バイエルン州立オペラ、ゲルトナープラッツ州立劇場、バイエルン放送響、ミュンヘン・フィルなど、世界有数のオペラ・アンサンブルやオーケストラの本拠地です。有名な『ミュンヘン・オペラ祭』は毎年6月末から7月末まで開かれます。これはバイエルン州立オペラがシーズン最後のひと月ほどを『ミュンヘン・オペラ祭』として、シーズン中に制作した作品と『オペラ祭プレミエ(オペラ祭開催期間中に新制作初日を迎える)』作品を上演するものです。このオペラ祭には世界中からオペラ・ファンが集り、華やかな雰囲気につつまれます。

 ミュンヘン・オペラ祭の第1回は1875年に開かれました。『夏のフェスティヴァル』としてモーツァルトとワーグナー作品を上演したのが始まりです。現在でもバイエルン州立オペラやオペラ祭の上演作品の三本柱はモーツァルト、ワーグナー、それにR.シュトラウスの作品です。モーツァルトの≪偽りの女庭師≫と≪イドメネオ≫はミュンヘンの委嘱で、ミュンヘンで世界初演されました。またルートヴィヒ2世の支援なしには、ワーグナーの芸術活動は不可能だったはずです。≪トリスタンとイゾルデ≫、≪マイスタージンガー≫、≪ワルキューレ≫などはミュンヘンで世界初演されました。ミュンヘンで生まれ、指揮者としても活躍したR.シュトラウスの作品もここでは欠かせない重要なレパートリーです。

 さてバイエルン州立オペラの音楽総監督は06年秋にズービン・メータからケント・ナガノに代わりました。08年秋にはニコラウス・バハラーが同オペラ支配人に就任し、新時代が始まりました。今年の『ミュンヘン・オペラ祭』では、7月15日ワーグナー≪ローエングリン≫、16日R.シュトラウス≪ナクソス島のアリアドネ≫、17日ベルク≪ヴォツェック≫を観ました。

 ≪ローエングリン≫は7月5日に新制作初日を迎えたばかりでした(指揮:ケント・ナガノ、演出はリチャード・ジョーンズ)。大きな期待と注目を集めた新制作でしたが、演出はコンセプト、人物描写、ポジショニングなどすべてに問題が多く、その影響も受けナガノの指揮も精彩を欠きました。この公演を救ったのは、余裕と熱線のある非常に魅力的なテノール、ヨナス・カウフマン(ローエングリン)と長いフレージングと美声のアニャ・ハルテロース(エルザ)などの歌手たちです。16日≪ナクソス島のアリアドネ≫は本拠地のナツィオナールテアーターではなく、プリンツレゲンテンテアーターでの公演でした(演出はロバート・カーセン、指揮はベルトラン・ドゥ・ビリィ)。ここはバイロイト祝祭劇場を小ぶりにしたような劇場です。カーセンの演出は非常に知的、かつエレガントで、08年7月24日のプレミエでも賞賛されました。ツェルビネッタ役ディアナ・ダムラウ、アリアドネ役アドリアンネ・ピエチョンカをはじめ、小さな役まで高いレベルでバランスのとれた素晴らしいアンサンブルでした。≪ヴォツェック≫は日本の新国立劇場との共同制作です(演出はアンドレアス・クリーゲンブルク、指揮はナガノ)。プレミエは08年11月10日でした。ヴォツェック役ミヒャエル・フォレ、マリー役アンゲラ・デノケの歌唱と演技が光る公演でした。

 ところで、7月末ミュンヘン市は現ミュンヘン・フィル音楽総監督クリスティアン・ティーレマンの契約を更新しないと発表しました。ミュンヘン市が契約延長を断った理由は、ティーレマンが「自分が客演指揮者のプログラム決定に関わる」としたことにあります。これはオーケストラ・マネージャーの権限であり、音楽総監督が口をはさむことではありません。これまでティーレマンの多くの要求を受け入れてきたミュンヘン市もさすがにこの要求を認めるわけにはいかず、結局、契約延長なしという決定になりました。ティーレマンにとってはこのミュンヘン市の決定は晴天の霹靂だったようで、弁護士を通じて「協議したい」と申し入れましたが、ミュンヘン市は「最終決定であり、話し合いの余地はない」と、これを断っています。8月初旬にはオーケストラ団員代表もティーレマン不支持を表明したと伝えられています。ティーレマンとオーケストラ・マネージャー、オーケストラ・メンバーの不和は知られていましたが、事態は意外なほど早く進展しました。