来住 千保美 Chiomi Kishi
第299回定期プログラムより
(2010年4月21日)
第299回定期パンフレットより
41. 『ノルウェー 首都オスロの新オペラ劇場』

 北欧の国ノルウェーは西ヨーロッパでは日本人になじみが薄いかもしれません。総面積は日本とほぼ同じですが、人口密度は日本が1平方キロメートルあたり約337人に対し、ノルウェーは約12人です。今日のノルウェーは北海油田のおかげで潤い、とても豊かな国です。国民1人あたりの国民総所得は世界第2位(日本は第9位)、国連開発計画が2009年に発表した「人間開発報告書」(1人あたりのGDP、就学率、識字率、平均寿命が指標)では世界一でした(日本は第10位)。社会保障も非常にいきとどいています。

 首都のオスロは、ロシアのサンクト・ペテルブルクと同緯度の59度56分、カムチャツカ半島の根元ほどの緯度の、かなり北に位置する都市です。ちなみに福岡は北緯33度35分で、ヨーロッパは福岡より北にあります。ヨーロッパ周辺の知られた33度の都市はイラクのバグダッドでしょうか。

 ところでノルウェー出身の芸術家というと、画家エドゥアルド・ムンク、劇作家ヘンリック・イプセン、作曲家エドゥアルド・グリークの名前がすぐ想い浮かびます。またノルウェーは、大ソプラノ歌手キルステン・フラグスタートを生んでいます。しかしノルウェーはオペラ事業でヨーロッパでは遅れた国といわれていました。ノルウェーで本格的なオペラ劇場の建設が話題になったのは第2次大戦後のことだそうです。本格的なオペラ劇場の建設はフラグスタートとの約束であり、ノルウェーの人たちは建設にあたって綿密な議論を重ねました。

 国際的な設計コンペを経て、2008年4月にオスロに素晴らしいオペラ劇場が完成しました。設計はオスロに本拠を持つスノヘッタです。スノヘッタは世界的に有名な建築事務所で、これまでもアレキサンドリアの図書館『ビブリオシカ・アレクサンドリア』やニューヨークのグラウンド・ゼロの『国際フリーダム・センター』の設計等を手掛けています。2009年には2年に1度贈られる権威ある建築賞、ミース・ファン・デア・ローエ賞がこの新劇場に授与されるなど、これまで数々の国際的な建築賞を受賞しました。

 新劇場はオスロ中央駅の隣、フィヨルドの港に面して建っています。現在は駅とオペラ劇場の間を自動車道路が横切っており、専用の歩道橋を渡らなければなりません。この自動車道路は今年の夏から地下に移す工事が本格化する予定です。新オペラ劇場はオスロ、そしてノルウェーのランドマークになりましたが、周囲には引き続き新ムンク美術館等の建設計画もあり、駅のフィヨルド側地域は文化を前面に押し出したオスロの新しい顔として、より大きなランドマークになります。

 新オペラ劇場の屋根はなだらかな傾斜で上まで歩いて行けます。屋上からはフィヨルドの美しい風景がよく見えます。この新劇場のコンセプトは「みんなのオペラ劇場」であり、誰もが23時(日曜は22時)まで劇場ロビーに入れ、中のレストランやカフェでフィヨルドを見ながら食事やお茶を楽しめます。昨年4月、劇場正面にスクリーンを設置し、≪カルメン≫公演のオープンエアー同時中継をしました。劇場の屋根に坐ってこれを観た人は7000人にのぼったそうです。

 新オペラ劇場の総面積は38,500平方メートル、部屋数は1,100にのぼります。部屋は劇場関係者だけではなく、会議などにも貸し出されています。これは飲食収入を含め、劇場の大きな収入源だそうです。メイン劇場の客席数は1,364、他に440席の小劇場があります。メイン・ステージのほかにメイン・ステージとほぼ同じ大きさかそれよりも大きいステージが両横、真後ろとその隣、奈落に備えられています。つまり6面ステージです。

 このほか大小のオーケストラ用リハーサル・スタジオ、バレエやコーラス用のスタジオ、大道具・小道具の制作室はスペースがゆったりとられ、日本のみならず、ドイツでも見られない十分な広さです。ステージ用の大・小の道具、衣裳の制作室は地上階にあり、外部から仕事がよく見えるようになっています。窓際には動物の頭のつくりものや衣裳などが置かれ、子供たちが興味深げに覗きこんでいました。オペラ制作の裏側を知ってもらおうという試みです。

 新劇場建設に使われたメイン化粧材はイタリア産大理石、ドイツ樫とガラスです。ドイツ樫はロビー内部の壁に使われましたが、装飾用の木を削り磨く作業は身体障害者にゆだね、彼らはこの仕事を非常に誇りにしているそうです。また完成記念公演では、ノルウェー全国の市町村が選んだアマチュア歌手を、合唱団のエキストラとして出演してもらったそうです。つまりソフト、ハードの両面で、この新オペラ劇場は「みんなのオペラ劇場」なのです。

 柿落としにはワーグナー≪タンホイザー≫の新制作公演を行う予定でしたが、ステージ技術関係の整備等が間に合わず、≪タンホイザー≫新制作初日公演は2010年3月6日に行われました。演出はシュテファン・ヘアハイムです。

 ヘアハイムは昨秋世界の≪最優秀オペラ演出家≫に選ばれた、現在もっとも注目されるオペラ演出家です。ノルウェー人の父とドイツ人の母を持ち、ノルウェー国籍です。父はオスロのオペラ管弦楽団のヴィオラ奏者で、ヘアハイム自身もチェロを学びかなり弾けます。子供のときからオペラ劇場に出入りし、オペラの魅力にとりつかれ、将来はオペラ演出家になると決めていたそうです。そのヘアハイムは、自分が演出した公演を前に、チケット売り場で整理券を片手に、順番を待つ列に並んでいました。