来住 千保美 Chiomi Kishi
第301回定期プログラムより
(2010年6月22日)
第301回定期パンフレットより
43. 『イタリア、瀕死のオペラ劇場

 日本人の多くは、なぜか「オペラ大国はイタリアだ」と思っているようです。確かにオペラはイタリアで誕生しました。17世紀初め、フィレンツェのインテリ貴族が中心となったグループ『フロレンティーナ・カメラータ』が生みの母です。

 18世紀のヨーロッパ大陸のオペラ界はイタリア人の支配下にありました。台本の多くがイタリア語で書かれ、イタリア人オペラ作曲家が覇権を握りました。モーツァルトはウィーンでこの現実に抵抗し、ドイツ語オペラで挑戦しました。しかし≪後宮からの誘拐≫はイタリア人の陰謀により失敗、≪魔笛≫の世界初演は場末ともいえるウィーンのアウフ・デア・ヴィーデン劇場で行われました。≪魔笛≫がウィーンの宮廷オペラで初演されたのは、その10年後、19世紀に入ってからでした。

 19世紀以降、ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ、プッチーニ等のイタリア人作曲家たちは、音楽史上に残る不朽の名作を生み出します。とりわけヴェルディの作品は、オペラに縁のない人も知っています。たとえばサッカー・スタジアム等で歌われる≪アイーダ≫の凱旋行進曲などがその例でしょう。ヴェルディの作品は19世紀イタリアの政治状況と切っても切り離せません。一見娯楽的に思われるイタリア・オペラ作品でも、その成立背景を知ればオペラと政治の関わりは一目瞭然です。19世紀、イタリアでは優秀な作曲家たちが、高名な詩人や作家の台本ではなく、各地方のオペラ劇場が抱えた専属の台本作家たちによる台本に作曲しています。これは各地に置かれた政府機関の検閲が厳しかったからです。各劇場の専属台本作家はその地域の当局の検閲条項を熟知しており、余計なトラブルを避けたのです。

 20世紀のイタリア・オペラは大指揮者トスカニーニに加え、カルーソー、カラス、パヴァロッティ等、大歌手の世界的成功で、「オペラといえばイタリア」という地位を確立しました。しかし21世紀の現在、本場イタリアのオペラ劇場は存続の危機に晒され、崖っぷちに立っています。

 さて、イタリアではアンサンブルを抱える常設オペラ劇場が第2次世界大戦後激減しました。現在残るのは14だけです。これに対しドイツは80強です。ちなみにイタリアの総人口は約6千万人、ドイツの総人口は約8千2百万人です。人口でイタリアの1.4倍のドイツにイタリアの5.7倍の数のオペラ劇場があるわけです。現在、ドイツのオペラ劇場は州や市などの地方自治体(国ではありません)が税金で運営しています。近年の経済危機で地方自治体の税収は激減し、現在予算削減が続けられ大きな問題になっています。しかしイタリアの状況はもっと苛酷です。

 イタリアは90年代にオペラ劇場を財団化しました。財団組織にし各劇場に民間からのスポンサー獲得などの自由を与えたのです。イタリアのオペラ劇場は伝統的にスタジオーネ方式を採っており、1年の約3分の1しか公演していません。ですからチケット収入に多くを期待できません。一方、劇場専属オーケストラ、コーラス、衣装や道具関係、ステージ技術、事務職等のスタッフにも給与を支払い、劇場のメンテナンスも日常的に行わなければなりません。さらにスポンサー獲得といっても利益を求める民間企業が『大きな金食い虫』のオペラ劇場の経営に参画したり、恒常的に多額のスポンサリングを行うとは考えられません。昨今の経済状況では絶望的です。つまり『オペラ劇場の財団化』はイタリア・オペラ界への死刑宣告にも等しかったのです。

 この4月、イタリア政府はオーケストラや各オペラ劇場に対し、補助金大幅カット、新規採用禁止、昇給・手当なし、内部契約への介入などを決定しました。年々補助金カットを強いられてきた劇場にとって、この決定は15年前の死刑宣告がいよいよ執行の時を迎えたことを意味します。各劇場は猛反発し、ストライキに入りました。

 ところで、この決定文書には当初「ミラノ・スカラとローマ・サンタ・チェチリア管は例外」という一項が入っていました。この2つはイタリアのナショナル・フラッグです。ミラノ・スカラは世界的に有名であり、外国の観光客も訪れ、外国公演では大きな経済的利益を上げてきました。ところが高まるオペラ劇場や労働組合の抗議を受け、ナポリターノ大統領が署名した文書にはこの特別条項が削られました。結局、他劇場と歩みを同じくして、5月初旬、ミラノ・スカラもストライキに入りました。

 この結果、たとえばドミンゴ登場の≪シモン・ボッカネグラ≫、そして2013年まで続けるプロジェクト、ワーグナーの≪ニーベルングの指環≫序夜の≪ラインの黄金≫は、新制作初日が上演中止になりました。スカラもあてにしていた高額のチケット収入も夢と消え、イメージダウンなど、大きなダメージを受けています。当然イタリアのオペラ界全体にとっても大きな打撃でした。

 教育機関にも無気味な影がひたひたと迫っています。名門のミラノ・ヴェルディ音楽院の運営総責任者ボレッリがわずか3年でその職を解かれました。彼は反ベルルスコーニ派として知られていました。

 オペラはこれまでもずっと『金食い虫』でした。絢爛豪華な劇場の絢爛豪華な美術と衣裳にスター歌手が登場しました。そこには大枚を払う金持ちオペラ・ファンがいました。これはオペラのイメージ、とくにイタリア・オペラのイメージと密接に結びついています。しかしこれは一般の人々の生活と乖離しています。さらに、いつ行っても、動きのない同じステージを見せられては、高いチケット代を払う人も1回観ればもういい、と考えることでしょう。

 ヨーロッパの劇場の歴史と伝統は古代ギリシャの劇場に遡ります。古代ギリシャ劇場は問題提起を行う政治的な場所でした。一方「人間とは何か」という問いは芸術の本質的命題です。つまり、オペラ劇場は金のかかる娯楽の場ではなく、最高の総合芸術を通じて人々に問題提起をする唯一の場所なのです。この基本に対する認識と理解なくしては、オペラ劇場が生き残ることはもはや不可能でしょう。