守谷 弘
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守谷 弘先生 語録
チャイコの5番をなぜ第1回目の演奏会にやろうと思った理由はね、日本のアマチュアオケの場合、僕の経験だと定期の数で第5回目くらいが一番早い。それと10年記念とか。それを宮前フィルで創立に持ってきたのは、理由は2つ。1つは、チャイコの5番で入ってくる、ダイレクトに猛者みたいなプレイヤーが欲しかったこと。蛮勇奮ってくる、勇気ある人間が欲しかった。そうすれば、あとで未完成でも、運命でもチャイコで集まったメンバーなら何やったって結構できる。それほどの難曲です。もう一つの理由は、カラヤンのデビュー曲だったこと。それまではチャイコの場合、6番しか有名ではなかった。それがこのギリシャ系の26歳の若者が1930年代に登場して、初めて全ヨーロッパに紹介した。その演奏が素晴らしくて、すぐに有名になったわけ。そういう象徴的な作品だったこと。それをやることで、どんなメンバーが集まるだろうかと期待したんだね(第1回定期演奏会プログラムより)。
一番心に残っているのは、やはり第1回目のチャイコの5番。演奏を始める前、お客様に『最後まで止まらずに演奏できたら拍手してください』といって始めたこと、止まらずにいって、4楽章の最後、ダダダダーン、と鳴った時、あれは忘れられない(第10回定期演奏会プログラムより)。
20歳の頃からね、1年間、ぶっ通しでやりたいオーケストラ、欲しいなぁと思ってたわけ。みんなと酒を飲んで、笑いも涙も悔しさもともにして、本番を迎えてどんなふうにものができあがるかっていう、いわゆるサイトウキネンオーケストラのアマチュア版ですよ、宮前フィルが目指すところは(第1回定期演奏会プログラムより)。
ウィーンに留学していた時、片田舎の町に行っても、その町のオーケストラがあってね、演奏が終わると指揮者がおなかの大きい団員を紹介したりするんだ。いついつ赤ちゃんが生まれます、と。それが和やかでいいんだよね
(第1回定期演奏会プログラムより) 。 |
守谷 弘 hiroshi moriya
1955年NHKコンクールピアノ部門入選。62年市川交響楽団指揮者に就任(18歳)。67年東京音楽大学卒業。同大学指揮科講師。71年N響室内&東混で指揮デビュー。74年国立ウィーン大学へ研究員待遇留学。75年フィリピン国立響指揮者に就任。92年スーチ・ノーベル受賞記念曲委嘱を受ける。現在まで、日本フィル、東響、東京フィル、二期会などと協演。日本指揮者協会会員。荒谷俊治・岩城宏之・保科洋門下。宮前フィルでは創立当初、音楽監督、常任指揮者として多方面でお世話をいただいた。 |
午後のひととき、お世話になっている
さぎぬま幼稚園の園庭にて。 |

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指揮者〜増井信貴
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増井 信貴先生 語録
4年前に来た時は「それまでの指揮者と違う音楽作りを」ということで呼ばれたと思いましたが、正直言ってびっくりしました。これは大変なことになったって。でも、やるだけのことはやったと思います。(第17回定期演奏会プログラムより)
何年か先にブラ3をやる時には「前回は増井が振った」と思い浮かべて、その時に少し進んだブラ3ができる。ここはこういうやり方もあるんだと2種類できるようになるんです。そういう蓄積が実は大事です。(第17回定期演奏会プログラムより)
プロに比べて手間はかかりますが、それが面倒なら初めから来ません。アマチュアオーケストラからお話があって、それを受けて「一緒にやりましょう」という背景には、一緒に音楽をやりたいし、いい気持ちを共有できるというのがあります。(第17回定期演奏会プログラムより)
ヴァイオリニストの久保田巧さんと一緒に演奏することで、オケはとても向上します。今回のように3回も練習に付き合ってくださるのは破格なこと。これは、一緒にやろうという気持ちをソリストも持ってくださっているからで、いい時間、有効な時間にしてほしいですね。「すごい、すごい」だけで終わらせずに久保田さんをよく見て、リズムのとり方もパッセージの弾き方も弓使いもすべてを吸収するつもりで集中しないと。合う、合わないではなくて、チャイコフスキーに対するアプローチの仕方から学ぶつもりで3回の練習を使って欲しいですね。ただし、1回1回を有効に使うためには、合わせることはちゃんと準備しておかないと、演奏にみえた時にそのことに目がいかないでしょう。単なる趣味で楽しむだけでない、より良いものを目指す姿勢が大事だと、僕は思います。
(第17回定期演奏会プログラムより)
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増井 信貴(Nobutaka Masui)
桐朋学園大学指揮科卒業。岡部守弘、斎藤秀雄、小澤征爾、秋山和慶、尾高忠明、F.フェラーラ、L.バーンスタインに師事。1978年タングルウッド音楽祭にスカラシップコンダクターとして参加。82年パリ・オペラ座でオペラ上演に関わりつつ研鑚を積む。また89年文化庁派遣在外研修員としてバイエルン国立歌劇場に留学し、ウォルフガング・サヴァリッシュ氏の助手として数多くのオペラ上演に参加した。89年群馬交響楽団の指揮者に就任。91年ウィーン木管アンサンブルと共演し、その様子はウィーン・フィル創立150周年記念ドキュメンタリー番組「ウィーンはいつまでもかわらない」にとりあげられ全世界で放送された。
97年11月、ロストロポーヴィチ指揮新日本フィル定期演奏会で、ブリテン「戦争レクイエム」の小オーケストラの指揮を務めた。また、98年冬季長野オリンピック開会式での「第九」演奏においては、合唱とオーケストラをまとめる指揮者のひとりとして演奏に携わった。
得意とするオペラではこれまでにドニゼッティ「イル・カンパネルロ」の日本初演などを指揮。また、NHKテレビへの出演やサイトウ・キネン・オーケストラのヨーロッパ公演に副指揮者として参加するなど、シンフォニー、オペラの両面で精力的な活動を続けている。現在、京都市立芸術大学音楽学部助教授。
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ヴァイオリニスト久保田巧さんとの
チャイコフスキー作曲ヴァイオリン協奏曲の練習の一コマ。 |
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指揮者〜河地良智
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河地 良智先生 語録
同じように練習していったらうまくなるなんて思ったらいけない。先細るだけ。毎回新しいもの、新しいことを加味していけばこそ。(那須町第九演奏会プログラムより)
オーケストラは追求と拡散が大切。追求するのは自分。指揮者なら、スコアを読み、自分でどんどん音楽を深めていくこと。演奏者は練習すること。拡散は、音楽を演奏する、人に聴かせる、という行為で、それは追求とは反対に、広がりのあるものを求めること。楽器を弾けるということにとどまるのではなく、皆が集まって、それをエネルギーにすることができるということ。今回、こういう第九の取り組みを那須町を巻き込んでできたことは素晴らしい。同時に今回の演奏会だけが目標ではなく、1年先、3年先を見据えた練習や取り組みが大切。(那須町第九演奏会プログラムより)
若い時に経済学者から聞いた「経済原理」では企業が繁栄するには周期があって、10年でピークが来るところや、50年でピークが来るところとかいろいろあるという話でした。がんばればずっと上昇が続くと思っていたので、その時とてもショックを受けました。と同時に、自分やオーケストラも同じだなと気づきました。僕は下向きにはなりたくないから、今までのものにプラスαを入れたり、少し方向転換したりしていつも上に向かうようにしています。それはオーケストラも同じ。毎年同じことをしているだけでなく、そういうことを考えていくことが実はとても重大なことだと思っています。(第15回定期演奏会プログラムより)
宮前フィルで思い出深いのは、ブルックナーやフランクを選んでくれたこと。それに那須に演奏旅行に行こうと思ってくれたことが一番画期的で、僕ができたことはそれかなぁと。オーケストラは機動力や意思決定の力がどのくらい備わっているかが大きい。僕はあれを見て「いいな」と感じました。それは僕の直感です。打てば響いたのは素晴らしいなと。どこのオーケストラでもなかなかそんなことはありませんから。(第15回定期演奏会プログラムより)
今回やったことが、今、成果がある訳ではないよ。次、そのまた次に現れて来るんだ。それがどんな形になって出てくるか楽しみでね
。(第14回定期演奏会プログラムより)
みなさんも、あと10年は演奏できるかもしれないけれど、30年はできないかもしれない。その中で、いろいろな活動が展開されていくときに、オーケストラの方向性や目的をしっかりと持っていて欲しいし、志の持ち方によっては社会に対する影響力も団の内部に対する意思統一も全然違ってきます。オーケストラ活動が本来備えている付加価値というのはそこにあるのです。
(第13回定期演奏会プログラムより)
アマチュアオーケストラでは「いろいろな人が必要とされている」ということがオケ全体に行き渡っていないといけない。楽器の演奏が上手なことは素晴らしいから認めてあげたほうがいいけれど、上手下手でなく、1人ひとりが生かせる場所があることが大事。上手といっても、プロとは問題にならないほど違うのだから、その中で上手い下手とあまり言って欲しくない。(第13回定期演奏会プログラムより)
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河地 良智 yoshinori kawachi
桐朋学園大学指揮科に学び、斉藤秀雄氏、秋山和慶氏に師事。1973年第3回民音指揮コンクール(現東京国際指揮コンクール)で入選、奨励賞受賞。1975年群馬交響楽団正指揮者に就任。その後も、東響、都響、東フィル、新日フィルなど、国内の多くのオーケストラを指揮する。特にオペラの分野で活躍し、東京室内歌劇場、ステファノオペラ劇場、二期会などで多くのオペラを指揮。
1983年より文化庁派遣員としてドイツ・バイエルン国立歌劇場でW・サヴァリッシュ氏、ミラノ・スカラ座でG・パタネ氏、西ドイツバイロイト祝祭歌劇場でW・ワーグナー氏に、またプラハ国立劇場でZ・コシュラー氏などにおいて積極的に歌劇場での経験を積む。帰国後、台北首都歌劇団に招かれ、台北市で「蝶々夫人」を指揮。ガッツァニーガのモーツァルト歌劇「ドン・ジョバンニ」や、東京室内歌劇場「チェッキーナ」初演を指揮。日・米・伊共同国際ワークショップにおいて「蝶々夫人」のプレジャ版初演を指揮する。
また、音楽之友社の企画する「モーツァルトオペラ全曲シリーズ」の音楽監督を務め、全21曲を指揮する。日本モーツァルト協会でのオペラ連続公演「アポロとアキントス」「ミドリダーテ」「ツァイーデ」などを指揮。池辺晋一郎作曲「耳なし芳一」、山田耕筰生誕110年記念コンサートや渋谷ビーム「魔笛」公演、指揮する。
最近では、東京トロイカ合唱団の常任指揮者として、ラフマニノフの名曲「晩祷」を連続演奏や、さっぽろ旭山音楽祭の音楽監督に就任。毎年斬新な企画で好評を博し、ケーブルテレビにより日本全国の他、東南アジアにも放映される。「すみだトリフォニーホール」のオープニング公演として「カルメン」を、5周年で「メリー・ウィドウ」を上演、また日本ユングオーケストラを結成。北京で日中合同オーケストラ公演を指揮するなど、音楽の国際交流にも力を注いでいる。
現在、洗足学園音楽大学教授および同大学院音楽研究科長、東京藝術大学講師、二期会オペラスタジオ講師として後進の指導にもあたっている。 |
一世を風靡した宮前フィルお得意の制作物
(制作・クラリネット原美佐緒、撮影・バストロ亀里広明)。
河地先生を模した河地人形に、
ベートーヴェン人形とブルックナー人形も友情出演してくれました。 |

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指揮者〜吉田行地
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吉田 行地先生 語録
宮前フィルがナレーション付きのバレエ音楽「眠りの森の美女」に挑戦するのは、大変ユニークな企画です。ただ、これだけ難しい曲ですから、本当は1週間に1回の練習で、時間をかけて作っていくのは、みなさんには不利だと思うんです。せいぜい3日に1回くらいの練習が重なっていた方が、より高いもの、いいものに到達すると思うんですね。ただ、それは条件的に厳しい。アマチュア・オーケストラって、できたなかぁと思うとまたできなくなって、っていうのを繰り返しますよね。それは仕方がない。ただ、オーケストラってその場所じゃないですか。宮前フィルなら宮前フィルの場でしかありえないものって、何か欲しい気はしますね。「これが宮前フィル」っていう。(第12回定期演奏会プログラムより)
僕は一人ひとりの向上心に尽きると思うんですよ。「さっきよりよかった、もっとよくしていこう」と一人ひとりが思える、という。どれだけそれを自分たちで持続していかれるかでしょうね。(第12回定期演奏会プログラムより)
カラヤンが「オーケストラは芝生のようだ」って言っています。毎日水をあげて少しずつ育てていけばすごくいい色の芝生ができるけれど、1日水をやらなければだめになっちゃうというように。だから今後にすごく期待していますよ(第12回定期演奏会プログラムより)
ある時は独裁者だったり、ある時はオーケストラを持ち上げたりする役目もあるんですけど、やっぱり一番大事なのは、その時のオーケストラに何が足りないか見抜いて、手助けするのが指揮者の役目だと思います。オーケストラっていうのは人数も多いから、その流れっていうのもいろんな方向を向いているんですよ。そのベクトルの方向を1つにすることと、たまにそのベクトルの方向が違う方に出ても面白い方にいきますからね。それをこう、うまくまとめる役目。基本的にはピエロだと思ってるんですけどね(第12回定期演奏会プログラムより)。
イタリアのシエナにギジアーナ音楽院というのがあって、そこの夏期講習に行ったんですよ。その時に今のレニングラード・フィルのユーリ・テミール・カーノフっていう先生が教えにきていて、そこで見せてくれたチャイコフスキーやプロコフィエフとか、いわゆるロシアものを目の当たりにした時に、「俺は何てチャイコフスキーを軽薄に考えていたんだ」って思ったんですね。ロシア人にとっては、血であり肉であり、空気であり香りであり、踊り1つをとっても、それこそエリツィンみたいなでっかいのが、結構軽々と踊っちゃうような、そういう量感の違いみたいなものを目の当たりに見せられて、で、あわててロシア文学読まなくちゃな、とか思ったり((第12回定期演奏会プログラムより)。 |
吉田 行地 gyochi yoshida
早稲田大学を経て、91年洗足学園大学付属指揮研究所入所。96年同終了。指揮を秋山和慶、河地良智、尾崎晋也、湯浅勇治氏に師事。ルーマニア指揮アカデミー、イタリアのギジアーナ音楽院講習会等に参加し研鑚を積む。97年ルーマニア国立サトゥ・マーレフィルハーモニー管弦楽団定期演奏会に客演し絶賛される。98年、秋山和慶指揮、東京交響楽団定期演奏会において副指揮者として出演。以後、東京交響楽団による音楽教室等を指揮している。現在、各地のオーケストラや合唱団の指導、指揮や、劇団四季のミュージカル「美女と野獣」公演の指揮など多彩な音楽活動を行なっている。
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ナレーションを担当した天衣織女さんとの
コラボレーションに汗をかく吉田先生。
肩のタオルは手放せません。
この時は、チャイコフスキー作曲の「眠りの森の美女」でした。
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指揮者〜今井治人
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今井 治人先生 語録
宮前フィルは地域との関わりについていつも考えているオーケストラです。この姿勢が活動に特色を与えています。しかしこのことは当たり前のことかも知れません。なぜならオーケストラは聴衆によって活かされ、その聴衆はすぐ近くにいるからです。今回のファミリーコンサートで宮前フィルが取り上げる曲はストーリーを持つものが多いので、音楽から出てくる主人公の気持ち、場面の雰囲気を大切に演奏したいと思います(第18回定期演奏会プログラムより)。
指揮がどんどん変わってきたと皆さんから聞きますが、それは成長しようと思って勉強していますから。下振りの指揮では、あまり色が出ないようにと思ってやっていましたが、どうしてもだんだん自分の色が出てしまって。増井先生も河地先生も自由にやらせてくださるのをいいことに(笑)。ただ、宮前フィルは河地先生ならこう、僕ならこう、と柔軟性が出てきましたよね。それはオケとして非常に成長していることだと思います。いろいろなものに反応できる部分ができてきましたから(第16回定期演奏会プログラムより)。
まず、ベーシックなシンフォニー、たとえばハイドンなどで純粋に音自体と向き合うこと、それができる音楽をやっていくのが必要です(第16回定期演奏会プログラムより)。
あと何年かすれば40歳になりますが、40歳は折り返し点といっても戻るわけではなくて、僕らのやってることは、特に河地先生を拝見しているとそう思いますが、40でも50でも、前に行くことしか考えていないですよ(第16回定期演奏会プログラムより)。
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今井 治人 haruto imai
1989年桐朋学園大学音楽学部卒業。在学中より倉敷音楽祭管弦楽団などに参加するなど、多くの演奏会に出演し活動を始める。91年より洗足学園大学付属指揮研究所にて指揮を学び、94年同研究所マスターコースを終了。92年、93年にはイタリアのキジアーナ音楽院夏季セミナーのマスタークラスにおいて研鑚を積んだ。指揮を秋山和慶、飯守泰次郎、黒岩英臣、岡部守弘、河地良智、増井信貴の各氏に、スコアリーディングを島田玲子氏に、コントラバスを小野崎充氏に師事した。二期会、太田区民オペラ協議会、東京オペラプロデュース、東京アカデミー合唱団など多くの公演でアシスタントを務める一方、各地のオーケストラ、合唱団に客演。音楽性に溢れたその演奏は、常に高評をもって迎えられ、今後活躍する逸材と期待されている。 |
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ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番について
ソリストの若林顕さんと入念な打ち合わせをする今井先生。
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指揮者〜升田俊樹
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升田 俊樹先生 語録
♪絵が浮かぶご指摘
相手の反応で、どこがうまくいっていないか説明するためには、3倍くらい勉強しないとだめなんです。それは音楽だけでなく、いろいろなことに興味持ったり、その道のプロの話を聞いたり、電車で人を観察したりね。そういうのをどんどん自分の中に入れていったら、音の刺激で、それがある光景と結びつくようになっちゃったんです。
升田先生の練習中の注意は、弓の使い方のようにそのものズバリ!なものと、頭の中に風景が浮かぶものとがあります。
「先の見えない洞窟のように」
「来るぞ、来るぞ、という感じ」
「殴る、蹴る、というように背中の筋肉を使って」
「ここは涙をこらえて…ここから声をあげて泣く」
(ベートーヴェン交響曲第7番の書き込みより)
これらを瞬時に楽譜の余白に書くのはなかなか大変ですが、演奏する上で一生の財産になります。(第19回定期演奏会プログラムより)
♪齋藤秀雄先生のレッスン
齋藤先生はこんなこともおっしゃっていました。
「クルマの運転はカーブでブレーキを踏んでスピードを落とします。失敗したら命に関わるから。でも楽器は『しまった』とやり直せる。そういう楽器を弾く技術のように、笑ってすまされることは絶対上達しない」と。そのせいか、齋藤先生のレッスンは「お願いします」というところから真剣勝負。切るか、切られるか。そのくらいレッスン室の中がピリピリしていました。
その薫陶を受けた升田先生のレッスンの厳しさも天下一品。ワンレッスンでエチュードが10小節しか進まないこともあるし、弾けてもチェロらしい音が出るまではOKはでないとか。弟子でもある当団のTさんも、レッスンの帰り道はうなだれ気味。「でも、自分が進歩しているのがよくわかるんです」と、懲りずにまた押しかけているようです。(第19回定期演奏会プログラムより)
♪いろんな耳をもとう!
バランスを聴く耳・リズムを聴く耳・音程を聴く耳・音色を聴く耳。ただ聴くだけでなく、いろんな聴き方もありますよ。お客様は目で聴いていますよね。ボウイングなんか特に。だからステージに立つ時は、目で聴いていることも意識しないと。
そのおかげで一生懸命な姿も目で聴いていただき、プラスαになります。ぜひよく目で聴いていただけたらと思います。(第19回定期演奏会プログラムより)
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升田 俊樹 toshiki masuda
17歳より音楽の道を志してチェロを始め、故小沢弘氏に師事。国立音楽大学で、故大村卯七氏に師事。東京交響楽団に入団し、さらに研鑽を積むため桐朋学園大学で、故斎藤秀雄氏に師事。山形交響楽団首席チェロ奏者・東京音楽大学オーケストラ研究員・東京リリコード四重奏団などを経て東京交響楽団に復帰。2002年1月東京交響楽団を退団。現在チェロアンサンブルサイトウのメンバーのかたわら、チェロ奏者・指揮者・文化放送ミュージックアカデミー・およびミュージックスクール「ダカーポ」の講師として活躍している。特に、アマチュアのオーケストラ・アンサンブルの指導者として多くの団体との関わりがあり、また後進の指導育成にも力を注いでいる。共著に「初心者のためのやさしいチェロ入門1、2」がある。財団法人東京交響楽団評議員、東京交響楽団団友。 |
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いつもにこやかな升田先生。
プログラム用のインタビューにも
楽しそうにお応えいただきました。
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指揮者〜田中一嘉
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田中一嘉 Kazuyoshi Tanaka
1953年、東京生まれ。桐朋学園大学音楽学部卒業。
指揮を故斎藤秀雄、小澤征爾、秋山和慶、尾高忠明の各氏に師事。コントラバスを江口朝彦、堤俊作の両氏に師事。在学中より同大オーケストラ定期演奏会、オペラ公演等を指揮する。また、日本オペラ協会、長門美保歌劇団副指揮者、東京アカデミー合唱団の指揮者として、数多くのオペラ、合唱曲、特に宗教音楽分野での実績を積む。
1976年、第4回民音指揮者コンクールに入選、奨励賞受賞。桐朋学園大学卒業後は、東京交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、九州交響楽団、札幌交響楽団など、日本各地の主要オーケストラを指揮する。
現在は大阪フィルハーモニー交響楽団、群馬交響楽団を活動の中心におき、また、1992年には、ヤナーチェク春の国際音楽祭にてヨーロッパデビュー。1995年にはカルロビ・ヴァリ交響楽団を指揮するなど、その活動は多岐に及んでいる。 |
指揮者〜横島勝人
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横島勝人 Katsuto Yokoshima
9歳よりピアノを始める。大阪音楽大学在学中より指揮活動を開始。 1990年ウィーン留学、その後ウィーン国立音楽大学指揮科に入学。レオポルド・ハーガー、ペーター・シュヴァルツ、湯浅勇治の各氏に師事。 1990年ウィーンマイスタークラス指揮セミナー、1996年ハンガリー国立セゲド交響楽団主催セミナーにてユリウス・カルマー、エルヴィン・アッチェルの各氏に師事。ディプロマを取得、演奏会指揮者にも選ばれる。 1998年、キリル・コンドラシン国際指揮者コンクールにてベスト8に選ばれ、翌年ウィーン樂友協会ホールでのトーンキュンストラー交響楽団との演奏会においてベートーヴェン交響曲第9番を指揮、大成功をおさめる。 2000年より小澤征爾音楽塾オペラプロジェクトT、U、Vにおいてアシスタント及び合唱指揮を務める。2005年、ドイツ ライプツィヒでのチャリティ・コンサートに出演。 ニコライ教会でバッハのロ短調ミサを、ゲヴァントハウスで「第九」を指揮し、絶賛を博した。 2006年には、ウィーンとプラハでモーツァルト生誕250年「レクイエム・ガラ」特別演奏会を指揮。
川崎アマチュアオーケストラ連盟は4つの市民オーケストラからなっていますが、2005年に川崎市民交響楽団、2006年7月には麻生フィルが中心となった交響楽祭、そして今回の宮前フィルと横島先生に振っていただきました。そして来年7月には、高津市民オーケストラを中心とした交響楽楽祭でも横島先生の指揮が決まっています。
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