第2回


第2章 中学時代の出会い
 中学の、音楽の時間は、楽しかった。なにしろ、出てくる用語や作曲家が知っていることばかりだった。ただ、相変わらず楽譜は、読めず、授業時間で歌う暗記に頼っていた。だから、譜面を見て、オブリガードを歌えと言われたときは、どうにもならなかった。
 中学に入っても徹くんは、学校に来なかった。ただ、進級がかかっているので、中間考査と、期末考査は学校に来て受けていた。決まって、国語は、100点だった。ぼくは、中学でも、夕方徹くんのうちに通った。今度は、やがて、フルトヴェングラーファンになる和くんと、これもやがて、トスカニーニファンになる良くんと共に。
 徹くんは、いつも、家で、哲学書なる本を読むか、テレビの国会中継を見ていた。そんな徹くんに、新世界を聴かせた。皆感銘を受けた。それから数日のちに、「モーツアルトは神の音楽だ」と言って、いろいろ、FMの録音したテープを聴かせてくれた。ステレオを買ってもらって家でFMを聴いていたのだ。また、徹くんは、レコードも買い始めていた。1回に20〜30枚ペースで買いあさり、そのうち、バルトーク、ストラヴィンスキー、メシアン、武満にいたる現代曲まで、そろってしまった。
 この、ライブラリーを聴きに、中学校のクラシック鑑賞を趣味としたものが、登校拒否をする徹くんのうちに数名出入りするようになった。徹くんは他にも、新進の小説や、政治評論なども興味を示し、その友人たちも、出入りするようになった。
 学校では、1年生の最初の学期で、初めて、「4」が取れた。相変わらずの、音痴なんだが、1学期の試験は、「ヴィヴァルディの四季の中から、春」だった。こういう筆記試験は、得意だった。このとき、ブラスバンドの友達から勧誘があった。なんでも、音楽の先生から言われたとのこと。当然、断った。楽譜を読む自信がないからだ。
 2学期は、ぼくの好きなドボルザークのアメリカの鑑賞だった。試験答案には、「ドヴォルザークの作曲した新世界は、交響曲第( )番」と、あったので、迷わず(9)と書いた。返ってきた答案は、×だった。
 これを見て、出題した音楽の先生のところに、いき、自分の正当性を主張したが、回答は、教科書に書いてあるとおり、(しかも、教科書の隅っこの注釈にある)「5」と、聞き入れられなかった。この態度が悪かったせいと、他の課題が不得意な歌の課題。作曲の課題で、2学期の成績は「2」。このことが、悔しくて、その後、音楽には、燃えるようになった。
 なお、この先生は、雨だれの曲を、モーツアルトと言い、また、自らピアノを弾かずに、生徒に弾かせていた、ひどい先生だった。
 3年になり、高校の受験の日、ある志望校の廊下に、定期演奏会のポスターを見たとき、無謀にも、なにかオーケストラをやってみようと、思ったようだ。そして、春休みに、教育大の演奏会があることを知り、聴きに行った。これが初めての、生聴きだった。曲がオルガン付きだったから、迫力に、感動した。
これが、初めての生演奏だった。


戻る