クロチェット団長「M」の勝手に言いたい放題!
ついに来てしまったのですね・・・禁断のこの部屋に。
なんて振りはともかく、ここではいろいろなネタをきまぐれに乗っけていきたいと思ってます。
たまには毒舌もあるでしょうが、まあご容赦ください。また、ご興味のないネタの場合もあるでしょうが、その際はサクッとスルーにて。
では新年最初のネタはこちらから
↓
私の住む茨城県つくば市は、「国家機密都市」だった!
・・・いきなり古いネタですなww
といいつつも、つくば市に住む私Mにとっては、決してスルーすることはできませんw
実際に、自分自身で体験したことも含めて、他のホームページからの引用を頂きながら
説明していっっちゃいましょう。
皆さんご存じのとおり、ここつくば市はずっと以前に政府によって計画された
研究学園都市です。当時閣議決定される時点では、
「富士山麓」、「那須」、「(現在の)つくば市」
この3つから選ばれた経緯があります。
そして「東京教育大学」のつくば市移転(現在のつくば大学)
も同時に実施されました。
そのあたりの経緯は、以下の引用文を。
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///1960年代、日本は高度経済成長の中、過疎と過密という大きな問題を抱えていた。
上野駅や新宿駅、東京駅は上京してきた人々でごった返し、東京の住宅事情や都市公害はにっちもさっちも行かないところに来ていた。このままでは、東京はどうしようもなくなる...そういう考えから政府も東京への一極集中を見直さなくてはならなくなっていた。
東京への一極集中を是正するには、まず官庁が地方へ移転すべき、という主張はいまも当時も変わらない。そして移転する官庁と移転先が探され、移転する官庁は国の研究所に、移転先は茨城県県南の筑波・稲敷台地上に決定。閣議決定がなされ、総額3兆円ともいえる巨大国家プロジェクト、筑波研究学園都市建設が始まったのである。
さらに、科学技術の集積を目的にするのなら、民間の研究所にも積極的に加わってもらうべきである。日本は国家としての研究費や研究力は欧米諸国に比べると弱いが、民間企業のそれは海外のそれをしのぐほどであるといわれる。研究機関にとって民間との協力は必要不可欠であろう。ところが、学園都市の中心部には企業の研究所がほとんど立地していない。一度筑波に来たことのある人なら分かると思うが、企業の研究所は学園都市の中心部からかなり離れたところに立地している。なぜ、民間企業の研究所をここまで邪険にあつかったのか?
これらの「なぜ」を様々な角度から検討してみた結果、一つのある事実に気がついたのである。すなわち、筑波は東京が攻撃された場合に臨時に首都機能を代行できる都市、すなわち、首都機能代行都市なのである。表向きは「研究学園都市」だが、実際は「首都機能代行都市」なのである。///
ん?ここで出てきたキーワード・「首都機能代行都市」( 一一)????
それはいったいどういうこと???
続きはまたまた以下の引用文を。
↓
///いざというとき、首都機能が移転できる街を作る....いま考えるとちょっと現実味のない話だが、冷戦下の60年代・70年代には緊急かつ重大な問題であった。
どこに作るか...それには様々な条件があった。まず第一に、東京からある程度は近いこと。北海道や九州などに作ってしまえば、確かに安全かもしれない。しかし、有事の際無事に政府が移転することもまた難しくなる。現実問題としては首都圏の近く、あるいは周辺部に限られてくる。さらに、災害が少ないことや有形無形の力によって守られているところ、地元住民が純朴で疑い深くないこと、などたくさんの条件があった。その中で選ばれたのが茨城県南部、筑波山の麓の筑波・稲敷台地である。
南方の土浦・阿見には自衛隊の基地がある。特に阿見は、英語で陸軍を表す「アーミー」が地名の由来と言われるほどの日本有数の軍事の街である。また、阿見には「ト○ザ○す」というアメリカ資本の大規模なおもちゃ屋があるが、これも表の顔はおもちゃ屋だが、その倉庫には数多くの銃器や弾薬が隠されているといううわさもある。開店当初はなぜこんなへんぴな場所にあんな大規模な店ができたのか不思議であったが、こう考えれば納得できるだろう。(この話は、『こばんざめ新聞』の情報による。)
筑波は公務員の多い町である。というのも町の中心部は、一部の商業施設をのぞいてほとんどが国立の研究所や施設、公務員住宅だからである。近年、民間の研究所もかなり増えてきたが、そのような民間の施設は研究学園都市の中心部からはかなり離れたところにある。
民間との協力という点からは、なにもここまで国立研究機関と民間研究機関を分離してしまう必要はない。むしろ、この距離は官民の交流を阻害してしまっているとさえいえる。やはり、この官民の分離も、筑波が単なる研究学園都市として建設されたわけではないことの傍証なのであろう。
筑波が首都機能代行都市である、ということは、筑波にすんでいれば遅かれ早かれ肌で感じられてしまうことである。ただ、それをあちこちでべらべらとしゃべられてしまっては、国家機密もなにもあったものではない。そこで国としてはできるだけ口の堅い、また自分が操ることのできる人間を筑波におくことにしたのである。その条件に最も合うのは、国が雇っている人間、つまり公務員である。実は最近まで、筑波地区の公務員には「筑波手当」という特別手当が給料の約10%も支払われていた。これは一種の「口止め料」といえなくもない。逆に、筑波の秘密を他人に漏らさないように、人事や昇格の点で脅しをかけていた。つまり、アメとムチの政策で筑波の公務員を操っていたのである。
公務員以外の民間人も、できるだけノンポリで、しかし知能的には優秀な人間が集めるようにしている。その最たるものが、筑波大学の推薦制度であった。開学当時、国立大で推薦制度を取り入れている大学はほとんどなかった。それにも関わらず、筑波大は定員の25-30%を推薦でとるようにしたのである。これは、地方のノンポリで、純朴で、何も疑うことなど知らないような学生だけを筑波に集めたいという国の意向の現れである。推薦入学者の存在は、筑波大での学生紛争を押さえるのに大きな役割を果たしたようである。
さらにいうと、スーパーの店員からタクシーの運転手まで、実は国の基準によって選別されているのである。スーパーを例に出すと、筑波はこんなに小さな町なのに、様々な資本のスーパーがある。これらの親会社が、首都機能代行都市を筑波に作るという政府の方針に秘密裏に賛成して、とりあえず赤字覚悟で店を出店しているのである。///
ほうほう・・・そういう事実があったのですな。
そういえば、いつも私Mが行くスーパーのレジ係のオバちゃんも
なぜかオイラの買い物に目を光らせていたような気がする・・・!!
まさかこんな理由があったとは・・!
さて、ここつくば市には、ちょっと変わった地名が多いんです。
そのへんの秘密を明かしちゃいましょうか
オイラもびっくりしましたよ・・・
↓
///研究学園都市の北部に「一の矢」という地名があるのだから、これにちなんで「めぞん一刻方式」(?)で地名をつけてゆけばいいのである。つまり、北から「一の矢」「二風谷」「三宮」「四日市」「五木」...とでもつけていけば、地名として変ではないし、風情もある。
ところが実際には、筑波の地名には全然統一性がない。これはもともとあった地名にちなんだ訳ではなく、全く新しく地名を作ったのである。すなわち、筑波の地名は何らかの意図があってつけられたと見て差し支えないだろう。ここでは、筑波の地名に込められたなぞについて、判明しているいくつかの地名についてのみ解説する。
春日・・・春日といえば、春日大社のことであるのは言うまでもないだろう。奈良の春日大社は昭和天皇がご病気であった際にも連日祈祷を繰り返したように、天皇家との関わりも深い。筑波首都代行都市を守るという意味でこの名前が付けられた。
吾妻・・・吾妻と言えば日本武尊の故事が思い出される。東征の折りに自分の妻を失った日本武尊が碓氷峠から東の方を見て、「ああわが妻よ」と嘆いたという故事である。なぜこの故事を取り上げたのかは不明だが、ともあれ古い神話にちなんだ地名である。
竹園・梅園・・・実はこの地名自体に大きな意味はない。しかしながら、よく考えてみると「竹・梅」はあるのに「松」がないというのは奇妙な話である。すなわち、「一番大切で貴重なものはもっと別の場所にあるのだよ」ということを暗示しているのである。
並木・・・日本で代表的な並木といえば、日光の杉並木であろう。また、新しいところでは表参道の並木道も人気がある。東大正門から安田講堂へかけての並木道もなかなかよかった。並木道を越えていったその先には、非常に重要な何かが存在するのが一般的である。
千現・・・「浅間」の当て字。全国に「浅間神社」という神社があり、どこも天皇家との関係が深い。
松代・・・長野県長野市の松代町にちなむ。第二次大戦の終わり頃、日本軍の大本営は松代への疎開を計画したが、結局その前に終戦を迎えてしまった。軍関係者の中には「あのとき松代に移っておきさえすれば神風が吹いて日本が勝ったのに」という思いを抱いている人も多い。そのため、筑波首都代行時の統合幕僚本部になる場所に「松代」という名前を付けた。
感のいい人ならもう分かっただろう。首都機能代行、とは結局どのようなことなのかを。そして、何を守ることが一番大切とされているのかを。
いよいよ「筑波のなぞ」の最重要部である。心してほしい。
天王台・・・言うまでもなく、「天皇」のすむところ。代理皇居。現在この地名にあるのは、筑波大学。///
なんと!こういう地名の由来があったのですね・・!
筑波大学がそういう場所であったとは・・・
確かに、設備は立派だし、農学部の農場も広いし、それが万が一天皇家の食卓に上る
食材を研究しているとしたら・・納得です。
しかし、もしそういう事態につくばが、いや日本が陥ったとしたら、
いったいどういう対応を政府はとるつもりなのでしょうか・・・?
続く
↓
///筑波に来た人がまず驚くのは、その田舎なところと道があまりにも立派なところである。
筑波の街は東側の東大通り、西側の西大通りに挟まれた区画であるといっても良い。片側2車線(場所によっては片側3車線)の道路がすっとまっすぐに伸びている。横を見れば最先端の研究をしてそうな研究所群。遥か北には筑波山。街路樹に囲まれ、目障りな電線や電柱も少ない。東大通りは日本の道100選にも選ばれているが、なるほど納得できる道なのである。
しかし、このような道も単にきれいな道を作りたいという建築家の意見とか、住民に優しい都市計画の結果とかでこうなったのではない。あくまでも首都機能代行都市としての必要性に答えるために作られているのである。
いうまでもないことだが筑波の道はそのほとんどが滑走路として使えるようになっている。特に重要なのは西大通りの広くなった部分と、西大通りから西側の土浦学園線である。ここがメイン滑走路として使われるのである。そのため、いまだにこの部分には陸橋を作ることができないのである。司令部は松代におかれ、ここで臨時大本営が戦闘の指揮を執る。壊れた飛行機などは西大通りから南大通りへと持っていって、いま電気屋街と言われているところで修理されることになっている。筑波のような田舎でなぜあれほどたくさんの電気屋がやってゆけるのか不思議であったが、これも各店がいざというときに飛行機を修理できる技術を持っていて、国から多額の援助がでているからである。
南方の守りは気象研究所のレーダーである。このレーダー、実は以前東京にいる人を傷つけてしまったというほどの威力を持つ。この「事故」があって以来、東京の方は向かないようレーダーは改修されたとのことだが、これはとりもなおさずまた直せば東京方面から来る敵を撃墜できるということを示しているのである。さらに南方には生物系の研究所が多い。P3やP4の実験室で危険な病原菌などを扱っているところも多く、たとえばエボラ熱やマースブルグ病の病原菌などを兵器として使うことも当然検討されるだろう。
さらに衛星を使って地上にいる敵を攻撃することも考えられる。宇宙開発事業団は研究所が筑波にあり、そこでは衛星やロケットの管制を行っている。打ち上げるのはほとんどが種子島であるので、なぜ種子島に管制室を作らないのかということは若干不思議でもある。現在は打ち上げ成功後しばらくしてからわざわざ管制を筑波に移すというめんどくさいことをしている。この理由も明白である。いざというとき筑波だけは守るために、筑波の中で衛星などを操作する必要性があったのである。文字どおりの空からの攻撃には敵も面食らうであろう。
筑波の最終兵器、それは高エネルギー物理学研究所のもつ大加速器である。周回が3kmとも言われる大加速器に日本中の電力を集め、それを陽電子砲を使って敵にぶつけてやるのである。実は筑波山の裏側には、「新筑波線」という日本有数の大容量を誇る電線が通っている。これは福島の原発などで作った電気を首都圏に運ぶためのものであるが、これを中断してしまって、さらに日本中すべての電気を高エネ研の大加速器に集めるのである。東海村の原発、新潟の柏崎原発、福井県の原発、果ては北海道の泊原発まで最大出力にして、その電気を筑波へと送り込み、この最後の一撃にかけるのである。発射地点はおそらく、筑波山山頂であろう。
日本国が生き残れるか否か。起死回生の一撃、肉を切らせて骨をたつことができるのか?少なくとも、それを試す日が来ることはないことを望むのではあるが...。///
ここまで自分で書いてきて、ちょっと怖くなってきました。。。
しかし、まだまだ身近な謎が・・・
以下続く
↓
///筑波に住んで感じることは、計画都市され尽くした都市のくせに非常に工事が多いということである。筑波の一番の繁華街というべき中央通りはずっと工事を行っているし、筑波と土浦を結ぶ大動脈の土浦学園線もずっと工事中である。整然と区画整理された町並みが筑波のよさなのに、なんで...と思っておられる方も多いかと思う。
なぜ、いつまでたっても工事がなくならないのかというと、それは特殊法人である住宅・都市整備公団の存続を計るため...ではなくて、筑波が首都機能代行都市であることと密接に関わっているのである。
首都機能代行都市にどのような機能が必要なのか、ということは時代ともに変わってくる。筑波建設当時はちょうど東西冷戦まっただ中であった。当時想定されていた戦争というのは、都市を全面的に破壊するような核戦争。いきおい筑波の建物は無骨だが核戦争に耐えられるようなものとなった。また核攻撃を防ぐのには地下が有効であると考えられたため、筑波では地下が非常に有効活用された。筑波大の地下通路もいざというときには核シェルターとしても使えるようになっているし、学園都市の中心部にも地下通路が張り巡らされている。そのために筑波の某百貨店は食品売り場が1階にあって地下には入れないのである。食品売り場が1階というデパートは全国的にみてもめずらしいし、冷房効率や衛生上も本当はよくない。そのようなリスクを背負ってまでも地下を使わせないのには、ちゃんと理由があるのである。
その後、スカッドミサイルや都市間弾道ミサイルなど、どちらかといえばピンポイントの攻撃が問題となってきた。そのためにエキスポセンターに弾道ミサイルH2を装備し、またあらゆるところから飛行機が発着できるように筑波の道を舗装しなおし、また道幅を広げている。ちょうど筑波万博の時代と重なっていたため、道の拡張などは万博のためと思われているのだが、これはあくまでもカモフラージュであった。学園線と西大通りの交叉点は渋滞の名所として有名だが、万博の時この交叉点は立体交差になっていて渋滞もなかった。ところが、わざわざ高いお金を出してこの立体交差を撤去したのである。なぜ立体交差をそのまま残さなかったのかということはなぞであったが、これは滑走路として使うときにじゃまになるからに他ならないのである。またエキスポセンターのロケットもハリボテをいうことになっているが、実はバリバリ現役の弾道ミサイル。見る人が見れば、本物ということはすぐに分かる。むしろまざまざと表に飾ることによって、筑波に攻めてこようとする敵を威嚇しているのである。
そして現在は情報化の時代である。もちろん、筑波は情報化という点でもぬかりない。筑波研究学園都市のほとんどの家庭にはACCSと言う名前のケーブルテレビが引かれている。このケーブルテレビ、もともとは学園地区に高いビルが建つことによる難視聴対策と言うことで作られたのである。ところが実際のところ高いビルというのはそれほどたっていないし、高いビルがないところにまでこのケーブルテレビが、それも非常に安価で引かれている。べつに特段ケーブルテレビでなくては困ることはないのである。すなわち、筑波にケーブルテレビを引いたのは、有事の際に筑波地区の情報を全て操作することができるからであろう。テレビ放送なども一度全て検閲をしてから流すことができるのである。ACCSの本部が「学園都市の大地主」「学園都市の陰の支配者」といわれる住宅・都市整備公団つくば開発局の中にあるのも、その役割の大きいことを示している。
ACCSは学園都市内の情報操作であったが、学園都市外への情報発信についても怠ってはいない。とくに近年のインターネットの普及については非常に早い時期から整備が行われてきた。その中でもとくに白羽の矢がたったのが「高エネルギー物理学研究所」である。前述の通りここには最終兵器が隠されているため、この研究所はたとえ学園都市内まで敵が攻めてきたとしても最後の最後まで死守されるであろう重要な拠点である。そこで、ここを情報化しておけば最後の最後まで世界中に向けて情報を発信し続けることができるし、各地にいるであろうゲリラ部隊と連絡を取り合うこともできるのである。そのため、ここには非常に早い時期にインターネットが引かれた。またあまり知られていないが、日本で一番初めにホームページ(httpd)を立ち上げたのは別に情報科学の専門家集団でもないこの高エネルギー物理学研究所なのである。最新の技術を常に取り入れて、情報化に励んでいるのがよく分かる出来事である。
・・・本当にこれ以上書いてよいものかどうか、今後検討して
再度アップしようかと思います。。。
では今日はこの辺で。次回にご期待下さいませ。。。
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