ウォルフスベルク市庁舎の掲示板
MEOメンバーのNさんが日記ふうに綴ったウォルフスベルクの体験記です
演奏会:Benefizkonzert Mit Dem Mozart Ensemble Orchestra Tokyo
会場:Festsaal des Rathauses
主催:Rotary Club Wolfsberg / Kulturreferat Der Stadt Wolfsberg
日時:1999年11月22日(月)19:30開演
プログラム:
Symphony No.92 by Joseph Haydn
Requiem for String Orchestra by Toru Takemitsu
Piano Concerto No.20 by W. A. Mozart
Symphony No.40 by W.A. Mozart
指揮=藤原義章、独唱=中田留美子、ピアノ=マインハルト・プリンツ
◆◆◆
11月21日午後、雪が降りしきる中、私達は今回の演奏旅行における最初の演奏会開催地
Wolfsbergに到着した。まだ11月の終わりだというのに小ぢんまりとしたその街は
すっかり雪に覆われており、同じ時期の東京では見ることの出来ないその景観を目にし、
いかにもヨーロッパにやってきたのだなという印象を受けた。
現地の人曰く、今年は例年よりも少しばかり早く大雪が降り、まるで私達
モーツアルト・アンサンブル・オーケストラが雪を運んできたようだ、とのことだった。
宿泊ホテルにチェックインし、部屋で楽器ケースを開けて愛器の調子を見てみると、
ペグがすっかり緩み思うように調弦が出来ない状態だった。
本番までには何とか土地の気候にも馴れてくれれば良いのだが。
リハーサル
その日の夜は、早速翌日の演奏会へ向けてのリハーサルを行った。
宿泊ホテルから演奏会場である市庁舎まで約五分の道のりを、石畳に積もった雪で
足を滑らせないよう注意しながら歩く途中、通りの掲示板に私達のコンサートの
ポスターが貼られているのを目にし、心が引き締まるのを感じた。
市庁舎は、100年以上も昔に建てられたネオ・ルネサンス様式の建物だったが、
その外観は近代的な建築物があまり無いその街の風景に違和感無く馴染んでいた。
市庁舎2階にある演奏会場Fest Saal は、外観同様余分な装飾の無い上品な
ホールだった。
反響板など特別な装置こそ無いが、天井が高く、約300人収容出来るという
客席の奥行きも十分有り、私達40名程度の編成のオーケストラが演奏するのには
適当なスケールだった。
ステージの大きさも適当かとも思われたが、今回のプログラムには
ピアノコンチェルトも含まれており、グランドピアノが一台ステージに乗っていると、
オーケストラの席は意外に狭く、バイオリンの最後列などはステージの端に置かれた
観葉植物の葉がチクチクと背中をつつくのが気になっているようだった。
リハーサルでは、始めはやはり馴れない会場で演奏をする時に往々にして感じる違和感
のようなものが漂っていた。
音響はまずまずだったが、パート毎に微妙に異なる速度で演奏してしまうのが気になった。
旅の疲れのせいもあるのだろう、と焦らず取り組むことにした。
幸い私の楽器は何とか調子を取り戻したようで、演奏中にペグが著しく緩んでしまう
ということは無かった。
そもそも私のバイオリンはドイツ製で、故郷に近いこの土地で調子を崩すなどという
ことは無いのだ、と勝手に納得した。
背後で演奏していたコントラバス奏者が何かトラブルを抱えている様子だった。
大型楽器〜チェロ及びコントラバス〜は持ち込みが困難なため、事前に現地のスタッフに
借用の手配を依頼しておいたものの、借りることの出来たコントラバスのうちの一台が
何とクラシック音楽用のものでは無いらしく、太い弦が駒を反らせんばかりの勢いで
張られており、また弦と駒との接触部分には革布が当てられているため
ミュートも装着出来ない状態だった。
今回の演奏旅行に向けて長期間練習に励んできた演奏者の努力もこれでは報われ無いと、
楽器を手配して下さったスタッフに事情を説明し、早急に別の楽器を手配するよう
依頼をしたが、「全力を尽くしては見るけれど、残念ながら確約は出来ない」
ということだった。
それもそのはず、いくらオーストリアとは言えWolfsbergは人口2万人程度の
小さな町で、その楽器も何ヶ月も前から手配を依頼して借りることになったものだから、
翌日のリハーサルまでに別のものを用意してもらうなどという願いは、到底叶わない
ものだろう。
結局その夜のリハーサル後、コントラバス奏者は最悪の事態に備え、藤原先生の
協力も得てその問題楽器の調整をし、私たちも祈るような気持ちで市庁舎を後にした。
ゲネプロ
翌日も気温が低く空はどんよりと曇っていたが、雪が降っていなかったので移動
するのは苦痛ではなかった。
午後のゲネプロではオーケストラ全体の調子も前日のリハーサルに比べると
随分とまとまってきているような感じがした。
気になって振り返ってみると、コントラバス奏者は例の問題楽器ではなく、
まともな(?)楽器を弾いていた。
聞いてみると、ゲネプロが始まるまでに良い楽器を用意して頂くことが
出来たのだという。
立派な顎鬚の似合う哲学者のような風貌をしたその楽器の持ち主は、
ホールの隅で私達が演奏する様子を静かに見守っていた。
やはり同じ楽器の演奏家であるから、私達の不安感も十分に理解し、
唐突な要求にも寛大さを以って応えてくれたのだろう。
楽器の問題も解消しあとは普段の調子を取り戻すのみ。
ピアノコンチェルトではプリンツ氏の華麗なカデンツァに聞き入るあまり、
うっかり自分のパートの
出だしを忘れそうになることもしばしばあったが、何とかゲネプロも終了した。
いよいよコンサート
開演時間も迫り、私達は緊張しつつステージに上がった。
客席を見渡すとほぼ満席のようだった。
日本の演奏会場では通常客席には黒い頭が並ぶのだが、そこでは栗色ないし
グレーの淡く柔らかいトーンが広がっていた。
改めてヨーロッパで演奏をするのだな、と実感した。
そのとき、おかしな考えがあたまに浮かんだ。
このお客さんは東洋人が彼等の国の音楽を演奏することについてどのように
感じているのだろう。
もし、青い目をした西洋人が熱心に雅楽を研究し、日本で演奏を披露
したりしたら私達は非常に違和感を覚えるだろう。
でも、西洋音楽は世界的にポピュラーであって、東洋人の優秀な音楽家
も数多くいるのだから、Wolfsbergの人達も私達に対して何の違和感も抱かず、
1オーケストラとして受け入れてくれるのではないだろうか、、、などと
余計なことを考えているうちにロータリークラブの方のあいさつが始まり、
開演となった。
ハイドンの交響曲92番‘Oxford'
一曲目は、ハイドンの交響曲92番‘Oxford'。
出だしのAdagioでは音の響きを確認しながら慎重に演奏した。
最初の演目というのは聴衆も、どのような音が奏でられるのだろうと、
興味津々で集中するものだから、余計に緊張した。
曲調が展開しテンポが速くなり音量も増すといくらかリラックス出来た。
武満徹の「弦楽のためのレクイエム」
二曲目は武満徹の「弦楽のためのレクイエム」。
この曲の複雑な和音とリズムは、難解ではあるが味わい深く、
私自身演奏するたびに新鮮さを感じていたため、少しでもその面白味が
聴衆に伝わればと思った。
「お江戸日本橋」と「さくら」
次の演目は日本の唄、「お江戸日本橋」と「さくら」。
ソプラノの中田氏の流麗な歌声によるエキゾチックな旋律が客席に響き渡っていた。
やはり日本の曲を披露する時の方が緊張感が薄らぐ。
それは万が一上手く演奏出来なくても聞き手がそういう曲なのだろう
と解釈することを期待しているということではなく、
私達は普段は欧米の音楽に触れているといっても、実は日本の伝統的な旋律や
リズムが体に染み込んでいるということなのだろうか。
モーツアルトのピアノ協奏曲20番
休憩を挟み、後半の一曲目はモーツアルトのピアノ協奏曲20番。
ソリスト、プリンツ氏の研ぎ澄まされたピアノの音が会場に広がる。
氏の表現力は力強く、指揮者さながらにオーケストラをリード
しているようだった。
もともとはソリストであったという著名な指揮者というのは往々にして存在
するが、プリンツ氏の演奏を聞いていると非常に納得できる。
また、明かに力量の異なるソリストとオーケストラの演奏がちぐはぐにならないよう
調整しつつソリストと共に全体をまとめ、音楽全体を創造して行く指揮者の力は
言うまでも無かった。
ソロをじっくりと聴きたいという衝動にかられながらも、自身のパートが長い休み
を迎えても聴衆に成りきってしまわないよう気をつけなければならなかった。
曲が終わると拍手喝采で、私達は終楽章を再度演奏することになった。
プリンツ氏が華やかさを演出するべく速度を上げてしまわないかどうか心配だった。
というのも私達が(あるいは私だけかも知れないが)この楽章での速いパッセージ
の精巧さを保てるかどうかは、楽章の始まりのピアノのソロの速さに掛かっているからだ。
幸い氏はスピードではなく技巧で華麗な演奏を披露したため、パニックに陥ることなく
弾ききることが出来た。
モーツアルトの交響曲40番
最後の演目はモーツアルトの交響曲40番。
私の好きなレパートリーの一つでもあるし、何と言っても名曲なので、
最後まで力が抜けない。かと言って力が入りすぎてしまっても具合が悪い。
とにかく平常心を保つことだけを意識して演奏をした。
シュトラウスのワルツ 「ウィーンの森の物語」
温かい拍手に応え、私達はシュトラウスのワルツ「ウィーンの森の物語」を披露した。
演奏が始まると客席からは再び拍手が沸き起こった。
演奏途中に拍手が起こることなど経験したことの無い私は何事かといささか動揺し、
音符を幾つか見落としてしまったが、どうやらそれは私達が彼等の愛する
ウィンナーワルツを演奏したことに対するもののようだった。
和風のワルツにならぬようリズムの取り方には気をつけて来たが、果たして土地の人々は
どのように受け取ったのだろう。
アンコール曲が済むと再び満場の拍手を頂いた。ロータリークラブの方がステージに上がり、
演奏者一人一人に声をかけながら、女性にはバラの花を、男性にはワインを手渡して下さった。
小さな町ならではの温かいもてなしに感激したが、反面、反省点も色々と胸をよぎった。
慣れない土地で、緊張のあまり余計なことをあれこれ考えすぎ、演奏にあまり集中
できなかったように思う。
もう少しリラックスしてもう一日同じステージで同じ演目をこなしたい、という余韻が残った。
レセプションで
演奏会終了後のレセプションでは、ロータリークラブの関係者の方々と歓談する機会が有り、
その中で、彼等が私達の演奏を寛大にも受け入れて下さったことが感じられた。
私が
「モーツアルトやシュトラウスを生んだ国でそれらの楽曲を演奏することは私にとって
非常に勇気のいることでもあり、私達の解釈が現地の方々に受け入れて頂けるかどうか
とても不安だった。
特にウィンナーワルツのリズムなどは独特で、私達にとっては大変難しいものだった。」
と打明けると、お酒も入ってピンクの頬をしたスタッフの一人は
「ワルツもとても素晴らしかったよ。」と、陽気に両手で指揮を振るジェスチャー
をしながらシュトラウスのワルツを口ずさんだ。
私達が演奏したものとは別の曲だったのだが、、、。ともかく、シュトラウスは彼らの
誇りなのだろう。
別れ
翌朝、私達がホテルのチェックアウトを済ませ、次の目的地ウィーンに向かうために
専用バスに乗り込んだとき、ホテルの従業員の女性が一人‘モーツアルトチョコレート’
の箱を抱えてバスに乗り、一人一人にチョコを手渡してくれた。
観光ガイドブックでは滅多に目にすることの無いこの小さな町では、外国人が団体で訪れる
ということもあまり無いのだろう。
バスが発車する際にもその女性はホテルの入口脇で満面の笑みを称えて手を振り、
私達を見送ってくれた。地方の小さな町ならではの心温まるもてなしが終始印象的だった。
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