<<愛響とわたし>>2000年サマーコンサートプログラムから



12年ぶりのオーケストラで  長野剛士(ホルン)

 「今週の土曜日の練習はl時から。家に帰ってご飯食べる時間がない人は何とかしておけよ。」
 新居浜から松山まで約1時間半、午後4時30分には学校を出ないと練習に間に合わない。今年の2月から愛響の仲間に入れてもらって、土曜日の生活のリズムが変わったのは私だけでなく、私に仕方なく付き合わされている生徒たちもそうである。
 現在、私は新居浜市の中学校に勤務し、技術家庭科の教員ですが吹奏楽部の指導をしています。部員たちは顧問が愛響のメンバーになったことを聞かされ、一応は喜んでくれたものの、土曜日の授業が終わってから部活が始まるまでの時間が短くなったことに、言い出したらきかない顧問のわがままだと、半ばあきらめ顔です。
 中学のブラスバンド(本当は吹奏楽なんだけど当時は誰もがそう言っていたようです。)でメロフォンとホルンを吹いていただけの私は、大学でオーケストラに入部し、卒業後も先輩に誘われ、4年間市民オーケストラに在籍しました。地元に帰ってきた当時、たまたま担任していた生徒の母親が愛響のメンバー(現在もそうですが)で、その方に誘っていただいたにもかかわらず、新居浜の吹奏楽団に入団したのは、部活動(当時はサッカー部でした)の指導のこともあったし、まずは地元で何とかしたいと思ったからでした。
 あれから12年、四十路をまえにもう一度オーケストラでホルンを吹きたいという願いが実現し、いまは土曜日の練習を日々楽しみに思うようになりました。
 吹奏楽団でクラシックからジャズ、ポップスなど、様々な音楽に触れることのできたこの12年間は無駄ではなかったと思いますが、mf(メゾフォルテ)がこんなに楽に吹けるのは、しばらく味わえなかった本当に忘れてしまっていた感覚でした。(その分、ひとつひとつの音に対する責任は大きいのですが・・・)
 仕事を終えてからの往復3時間の道のりは、体力的に苦しいときもありますが、緊張感ある練習から得られる心地よい刺激を求めて、今日も松山自動車道でハンドルを握っています。



愛響は怖いゾ!? 西山 誠(フルート)

 愛響の門を敲いて早くも12年の歳月が過ぎ去っていった。思い返せば私が入団して最初の演奏会は新居浜市市制50周年を記念しての「第九を歌う会」からの招聘に応じたものであった。当時は私を含めても2人のフルーティストしかいなかった。しかも、3月というイレギュラーな時期の公演だったため、参加できるのは私しかおらず、さらに幹部から「セカンドとピッコロはヤトて来るケン、トップを吹け」とのお達し。「シモタ、入るんやなかった」、腰を抜かしそうになった。学生時代にオーケストラの経験はあったけれど、20年ぶりの現場である。ビピッた。逃げたくなった。どうにか勇気を振り起こして踏みとどまったのだが、小さい曲のセカンドあたりからやらしてもらって、昔の勘を取り戻してから、少しずつ大きな曲を吹かしてもらえたら良いなあと思っていた自分の目論見など木っ端みじんに吹き飛んでしまった。
 しかも「第九を歌う会」の人数があまりに多いので、昼夜2回に分けての公演であった。練習時の細かいことは失念したが、昼の公演時、第1楽章の終わり近くまで口の中がカラカラに乾いて、息を吸うたぴに気管が痛かったように覚えている。2回日の夜の公演でも同様であったように思う(覚えのある人に言いたい。私恨んでます。あの公演以後、私は完璧なアガリ症になってしまいました)。
 書きながら思い出したが、タ飯にかなり辛めのウドンを食べたから、夜の公演の喉の渇きはそのせいかも知れない。
 そういえば、前日のリハーサルの後、新居浜のホテルで一泊したときに痛飲したから、昼の公演の時の喉の渇きはそのせいだったかも知れない(覚えのある人に謝ります。全部私が悪いんです。スッ、スイマセ〜ン)。
 とは書いたが、初めての愛響で、あんな大役を任せてもらったことに感謝している。「オケをする」喜びと楽しさを、大きな責任と共に教えてもらったのだから。
 あれから12年と3カ月。わがフルートパートの陣容は10名の威容を誇っている。仲間たちと一緒に、今後ともオケを楽しんで行きたいと思う。


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