<<愛響とわたし>>2001年サマーコンサートプログラムから
オーケストラの中のトランペット 和田光教(トランペット)
私が愛響に入団して、今まで担当した曲の中で最も難しかったのはブラームスの交響曲第4番の2番トランペットです。なぜ難しいのか、どう難しいのか、以下に述べてみたいと思います。
1パート譜にメロディーが無い
トランペツトのパート譜にはメロデイーとは言えない断片的な音群があるだけです。この断片的な音と、あの美しいメロディーはどういう関係にあるのか。パート譜を見ただけでは見当がつきません。
2音譜が読めない
1234としか感じられない拍子が、実際には3拍目から始まり、次の小節の2拍目で終わったりする部分があるのです。こんな部分では、うっかりすると休みを数えている間に、音楽が今楽譜のどこを進んでいるのか分からなくなるのです。音楽界ではこの状態を「落ちる」と言います。そんな時には恥も外聞もありません。1番トランペットのベテランに「今どこですか?」と教えてもらっていました。
3技術的な問題
オクターブ以上の音の跳躍や、高音域でのpp=ごく弱く」はトランペットにとって難しいこととされています。ブラームスの第4番では執拗にこれが出てきます。
以上3点、多分に私の個人的問題も含まれますが、この曲の難しさを考察していくと、オーケストラにおけるトランペットという楽器の果たすべき役割があぶり出されてくるように思います。脇役であること、きちんと数えること、精度高く自分の音をコントロールすること……。もちろん一側面ではありますがこれがオケのラッパの本質ではないでしょうか。
このような難しいことを毎度チャレンジしては苦しい思いを繰り返すのが私の愛響ライフですが、それでもオーケストラはやめられません。理由は仲間がいるということに尽きるでしょう。トランペットは一人で吹いても面白くないですから。
めざせ!うしろ弾きのエキスパート 中居文恵(チェロ)
愛響のチェロパートは私のあこがれのパートでした。大学オーケストラのパートリーダー、トップとして自分の所属するチェロパートをまとめていた時代の、良い参考となっていたのです。ひそかに心の中で「めざせっ、愛響のチェロパートの音、まとまり!」と思っていました。そして、いつも愛響の演奏会の帰りは、なんで愛響のチェロパートの音はいつもまとまっているのだろう、と悩みながら帰りました。ということをので、愛響の演奏会へ行っても、本日のチェロパートはどんな音なんだろうと思いながら聴くものですから、全体の演奏を聴かずにチェロの音だけ聴いていたときがほとんどです(すいません、愛響の皆様)。この4,5年の間にいろいろなことを愛響のチェロパートから感じながら気がついたのは、長年しっかりとしたボスがトップをしている愛響と、約2年ほどでトップが交代してしまう大学オーケストラの違いではないかということです。他にもあるとは思いますが一・・。
そして、とうとうこの愛響のチェロパートに入りました。つい最近までトップを弾いていて、うしろの方に座ったことがありません。今は5列目に居るにもかかわらず、出だしの合図をしてしまったり、トップのつもりで勝手に弾きだしてしまうことが度々あります。一番前で弾いていたことの後遺症なのでしょうか?でも、「絶対トップに合わせよう」という意思はありますから大丈夫だとは思いますが、“うしろ弾き''の難しさを思い知らされている今日この頃です。学生時代「中居はうしろ弾きの辛さを知らないからなあ」と、先輩からよく言われていました。今ようやくその言葉の意味を理解し始めたところです。そう言っていただいた先輩に感謝と、当時私のうしろに座って、苦労しながら弾いていた後輩達にお詫びを、と思っています。
そして、この愛響のチェロのボスのもとで“うしろ弾き''として頑張っていこうと思っています。
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