<<愛響とわたし>>2003年定期演奏会プログラムから



今井仁志(NHK交響楽団ホルン奏者)

 愛響の思い出といえば、小学校低学年の頃、親に連れられて行った初めての音楽会が愛響の定期演奏会だったように思います。残念ながらプログラムの曲目は何だったか忘れてしまいましたが、寒風の中コートを着込んで松山市民会館に行った記憶があります。ホールに入り座席に座った時、暖房のきいた空調もあいまって、たくさんのお客さんの熱気というか人いきれにどきどきしたことを今でも思い出します。
 その後、小学校の器楽クラブに入り、じゃんけんに負けて(その時はトランペットが吹きたかった)、メロフォン(ホルンに似た教育用楽器)を吹くようになりましたが、それからも愛響の定期演奏会にはよく連れて行ってもらっていました。レコードとかも聴きましたが、松山で生の演奏を聴くとしたらやはり身近な存在の愛響ということになります。小学生にしてみれば、ステージで演奏している団員さん達はとても偉く、すごい人たちに見えました。まさかそういう人たちといっしょに演奏できるとは夢にも思っていませんでした。
 それから数年後、高校生になり音楽の道に進もうとしていた僕は、ホルンを師事していた原田先生に誘っていただき、『第九』の3番ホルンを吹くことになりました。それが僕にとって初めてのオーケストラ体験でした。先生といっしょですし、やはり相当緊張しました。たしかもう一度、演奏会にのせていただき、2回きりの出番でしたが、忘れられない思い出になりました。
 その『第九』の演奏会は渡邊暁雄氏の指揮でしたが、気品のある指揮と、優しさの中にある厳しさでオーケストラを指導されていたのを憶えています。そういう日本の第一線の指揮者が振りに来ているということでも、愛響は愛媛の誇る音楽文化財産だと思います。
 今回は団員としてではなくソリストとして呼んでいただき、またしても夢にも思わなかったことです。愛響の素晴らしい歴史に恥じないように精一杯演奏したいと思っています。

花岡直樹(ホルン)

 スーパーに曜日を決めて「肉の日」や「魚の日」があるように、土曜日は私にとって特別な「愛響の日」である。ちょうど20年前に入団して以来、週末の夜は愛響の練習に行くというのが生活に染み付いたリズムになっているのである。その間に演奏や活動を通じて得たことや、妻を含めて知り合った団員は私にとって大きな財産となっている。幼い頃は両親がそろって練習に行くのをいやがっていた子供たちも、たまの降り番で土曜日の夜家にいると、「愛響の練習忘れてない?」と気遣ってくれるまでに成長し、演奏会は必ず聴きに来てくれている。
 このように今では降り番があるくらい人数もそろっているホルンパートであるが、私が入団したころはそうではなく、愛響デビューの演奏会では創団当初からの大先輩2人と高校生の団員を併せて4人で、べ一トーヴェンの『第九』を苦労して演奏したものだった。そのときの高校生団員が今日のソリストの今井君なのである。高校が同じということもあり(私が8級先輩)、その後OB会でも何度か一緒に演奏したこともあったが、素直で伸びのある音は群を抜いて素晴らしかった。
 オーケストラ・アンサンブル金沢に入団されてからは客席で何度か聴いて感動させていただいた。東京交響楽団に移籍後、NHK交響楽団でTVや松山公演でいつも楽しませてもらえるようになるまで余り時間がかからなかったと記憶している。
 そんな急進化中の今井君を、愛響のホルンのメンバーも多く所属している「愛媛ホルンクラブ」の5月の定期演奏会にお招きした。ホルンの音が素晴らしいのは言うまでもなく、出てくるひとつひとつの音に思いやりを持って演奏する姿勢、そして何より本番に対する集中力に団員は圧倒されたのである。N響と愛響では雲泥の差があるが、同郷のホルン吹きの誇りであり、「継続は力なり」をモットーに下手なホルンを吹き続けている私にとって、今井君は勇気と希望を与えてくれる大切な存在なのである。
 彼の大先輩でもあり、今や押しも押されぬN響の、いや日本のトップ奏者の松崎裕氏が、愛響で同じ曲を吹いたのを聴いて私が入団を決意したときの演奏に負けない、フレッシュで、伸びのある演奏を期待するとともに、今後益々のご活躍を期待して止まない。

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