≪愛響とわたし≫
愛響を語る 井部剛(ヴィオラ)
私は愛響創立と同時に人団したが、創立に関わる色々な苦労には直接タッチしている訳ではない。それまでにも松山という所は、オケが出来てはつぶれる、出来てはつぶれるという状態であったが、その長続きしない大きな埋由は主に財政的なものと指導者の間題にあったように思う。そこでその轍をふむまいということで、事務局に山田さん(前事務局長山田卓氏)を強引にひっぱり込み、何とかその面では安定させることに成功したのだが、問題は指導者を含めた運営面であった。その当時は理事会を開くたぴにけんかが起きるし、みな若かったから酒でも入ると本当になぐり合いになったものだった。
危機的な状況に陥ることも一度ならずあったが、それを乗り越ることができたのは、何といっても皆がもっていた音楽への情熱だった。それと、創立して5年ぐらいもたつと固定したファン層ができ、その存在が我々に「やめたらいかん」という気を起こさせたようにも思う。本当にありがたいことである。
さて、それではここで現在の愛響について考えてみたい。愛響には最近若い団員が多数人団するようになったが、一日に言ってやはり彼らと我々の世代の間には愛響というものに対する意識(思い入れ)の差が少なからずあるように感じる。というのは我々の世代は自分たちの手で苦労して作ったものだから、何としても続けていかなければならないという気がある。しかし途中から入ってきた人は極端に言えば「いやならやめればいい」という意識があるように思う。このギャップをどう埋めていくかというのは本当に難しい。やはり若い人が自分の所属する団に愛情を持ち、楽しくやっていくような方向にもっていかなくてはならないだろう。それと良い意味での世代交代をもっとスムーズにしていかなければなるまいと思う。これは特に我々の世代の側が強く意識していかなければならない。
ところでみなさんはコミュニティ・オーケストラという言葉を御存知だろうか?これは、先日の練習の時に指揮者の中田昌樹氏が言われたことでもあるが、コミュニティ・オーケストラとは地域社会の人々と密接な関係を持った団体だと思う。好きでやっているアマチュアであるから、自主公演中心の活動になるのはやむを得ないかもしれないが、今後はもっと積極的に地域社会との接触を図り、人々からより身近な存在に感じてもらえるよう努力していくべきだと思う。
それともう一つ感じるのは、県内の他の音楽団体とのつながりの薄さである。もう少し積極的にアプローチして、共に楽しめるような方向にもっていけないものか?もしそれを阻むのが変なプライドであったりするならそれは厳に慎まなければならないと思う。我々はあくまでアマチュアである。好きな青楽をやれて、しかもそれをお客さんに聞いてもらえる幸福をもっと真摯に受けとめる必要があると思う。そしてその中からアマチュアとしての本来の活動のあるべき姿を模素していかなければならない。もしそれを怠れば愛響の未来はないといってもいい。私は愛響はすばらしい団体だと思う。この団体を存続させていくのは、団員みんなの義務である。そして、その中でどれだけみんなが楽しくやれるか、それを本当に真剣に考える時期に来ていると思う。
愛響に入団して 林房子(クラリネット)
高校を卒業し大学に入学するにあたって、6年ごしの吹奏楽とのおつき合いも終わってしまいました。音楽大学へ進学するわけでもなく、ただ趣味として楽器を吹くことをなんとか続けていきたいという願望があったし、かねてからのオーケストラヘの憧れもあったためこの愛媛交響楽団に入団しました。
中学生の頃から、サマーコンサート、冬の定期演奏会は聴きに行っていました。小学生の頃は学校に器楽クラブがなくて、そういったオーケストラの演奏会を聴くことがなかったので、初めてその演奏(おそらく愛響の演奏)を聴いた時は身体がぞくぞくするほど感動したものでした。それから、何度かいくつかのオーケストラの演奏を聴いて、「あの舞台に立てたらなあ」と憧れました。そしてある程度の音楽に対する自主性もでき、高校に入って自分の楽器を持つようになると、その気持ちが一層強くなってきました。大学に入って、私でも入団できると聞き誘いにすぐのってしまいました。
オーケストラの中で楽器を吹くなどということは本当に夢で、現実のものになるとは思いもしなかったので、嬉しくて毎週の練習が楽しみです。しかし、やはり一般の団体だけあって甘えは禁物です。自分の受け持ったところは納得のいくところまで吹きこなさなければ他の団員や指揮者の方々に失礼だと思いながら、実際、全然吹きこなせないのにじれったさを感じます。そして毎回自分の練習不足を悔んでしまいます。皆さんはよほどうまく練習時間の配分をなさっているのでしょう。
また吹奏楽とは、音色・青量・アーテュキレーション等、多くの点で異なっているので考えてしまいますが、結局うまくいかないことが多々あって残念です。これから長く愛響の団員として演奏を続けると思いますが、先事の団員の方々のアドバイスもいただきつつ、少しずつでも自分の思うことが達成できればと思っています。
入団するにあたって人間関係に対する不安がありましたが、団員の方々はとても心よい方ばかりで、すぐになじむことができました。皆さんそれぞれ運った職業を持たれていますし、私の兄弟の年代から、親、さらには祖父母くらいの年代の方までいらっしゃいますが、まとまりがよく、あまり年代の差を感じさせられません。これが愛響の長所のひとつではないでしょうか。
異なった職業・年齢の人が、音楽に対して個々の考えを持っています。このような人がたくさん集まって演奏をするなんて、なんと素晴らしいことでしょう。この様な中で私よりも当然経験の多い方々の影響を受け、練習に励み技術面・精神面・音楽性等伸ばしていけるところは、大いに伸ばしていきたいです。それが愛響全体の向上につながれば幸いです。
愛響と私 土居千歳(チェロ)
私が初めて愛響の練習に参加したのは、昭和62年8月の未のことでした。その頃参加していた別の団体の方々に勧められたのがきっかけです。その時の演奏会はマーラーの交響曲第1番でした。曲は大きいし練習のペ一スは速いしで、かなり大変でした。その後、べートーヴェンの交響曲第7番、ビゼーのカルメン組曲、そして今回のブラームスの交響曲第2番です。どの曲も大好きで、とても勉強になるものばかりでした。
その間、大学卒業、2回の教員採用試験と私の人生の大きな転機がありました。その中で、特に私にとって大きな山となったものは就職でした。実家が北宇和郡吉田町であるため、卒業後初めての赴任地は宇和島市でした。毎週2時間半かけて松山まで練習に通いました。半年後転勤した北宇和郡松野町からは3時間、今年の4月の転勤で現在は南宇和郡西海町に住んでいますが、ここからは、かれこれ4時間もかかります。それでも愛響はやめずに続けようとがんばって通いました。今までどうにか続けられたのですが、つい先日とうとうやってしまいました。朝、福浦峠を車で走っていた時のことです。カーブを曲がった途端、朝日がパーッと目に入り、「ああ一このカーブは急だったんだけど一。」と思った瞬問に、「ガッタン」その後「ゴリゴリーバキッ。」溝にタイヤを落としてしまいました。その上、出っぱっていた崖でドアがへこみ、バックミラーが折れてしまいました。自分には被害はなかったのですが、あの恐怖と言ったらもう…。で、今は車に乗れない状態です。だから愛響の練習にも行けません。
愛響の練習に行かなくなってかれこれ1カ月になります。初めの2週間くらいは、何となくあのオーケストラのムードにつつまれないのが不安というかもの足りないというか、とても変な感じでした。このまま一生、あのムードに触れることなく過ごしてしまうのではないかと思うと、とても辛くなったりしました。それ程私にとってオーケストラは大切なものになっていました。やっと今頃それも忘れ、仕事から帰って夕食を作っている間にちょっと弾くくらいで慣れてきました。それにつれ気持も上向きになり、「また、来年の夏には頑張ろう。」と思っています。それまでは少しずつ暇を見つけては弾こうと思います。少しずつでも続けていたら、必ずまたオーケストラの中で弾けるようになるでしょう。
これから先私が愛響を続けていくには、まだまだ多くの壁があります。時間的・距離的な問題は、どう努力しても改善できるものではありません。あせることなく、気負うことなく、ゆっくりしたぺースで無理なく愛響とつき合っていきたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いします。
トレーナー雑感 鈴木清(トレーナー)
1月に愛響トレーナーを引き受けて約1年を迎えようとしています。自分の無能さに自己嫌悪を感じている今日この頃です。愛響が結成されて18年。先輩諸氏の情熱的な努力により、地方アマチュアオケとしては非常に恵まれた運営がなされていると思います。今回はからずも、トレーナーの立場から見た愛響について原稿を書くよう依頼され、自分の無能さも省みず苦言を呈してみたいと思います。
結成11年目の新年宴会で、私は次のような発言をしたのを今でも明確に覚えています。それは、「今までの愛響は、隣近所の人、教え子、会社の同僚などおつき合いの聴衆も多かったはず。客の耳はもう肥えてきた。又、愛大響などの団体も成長してきた。これからの愛響は演奏を聴いてもらえる愛響にならなくては…。そのためには、まずメンバー個々の技術の向上なしには考えられない。」という内容でした。メンバーの反応も大きかったと思います。
さて、今夜の演奏は技術的成長が見えるものとなるでしょうか?一口に技術的成長といっても種々あります。自分に与えられたパート譜を音程やリズム等を正しく演奏する技術的成長、他のパートとのバランス等を聴き合うアンサンブル技術的成長、指揮者の棒から青楽を感じ取りそれを表現する表現技術的成長etc。
愛響は、様々な職業をもつ人達の集団です。仕事の合間をみつけて練習するのですから大変なのはよくわかります。しかし技術的成長なしでは愛響の演奏を心から愛してくれ、演奏会を心持ちにしてくれる聴衆は少なくなると思います。
それでは、「高度な技術が備われば良い演奏ができるのか?」というと、それだけではまだ足りません。音楽性が必要なのです。本文中に表現技術と書きましたが、それは指揮者が指揮棒や体を使って表現することを奏者が各自の楽器を使って音として、旋律として表現する技術のことです。しかし指揮には限界があります。指揮棒を使っても表わせないものがあります。微妙な歌いまわし、音の輝き、息苦しさ、雰囲気等々……。これらは、結局は奏者が自発的に積極的に、言いかえると魂で感じて旋律や音色などに変えて初めてできるものなのです。
涙がほろりと落ちそうになるような、熱いものがこみ上げてくるような、そんな演奏は奏者が心から音楽を感じた、一音入魂の精神なしでは実現できないものだと思います。また楽しい音楽は、奏者が本当に楽しみながら演奏して、初めて実現できるものだと思います。
今年のサマーコンサートの指揮者、荒谷俊治氏が練習でもっとも多く要求されたことは、ブリランテ(輝かしく)とドルチェ(柔らかく)でありました。ブリランテもドルチェもどちらも奏者がその箇所に来た時、気持ちがブリランテやドルチェにならないとそんな音は出てくれません。気持ちがそうなると顔つきもそんな表情になるのです。またレガートな旋律が出てくると、その旋律を感じさせるような自然な音楽的な体の動きになるものです。今の愛響には欠けている点であると思いますが、今夜の演奏はどうでしょうか?
私はやはり安定した技術と豊かな音楽性は音楽表現に不可欠のものだと思います。客席の聴衆の方たちが、安心して十分楽しめる、いいかえれば、ステージと客席に一体感のある演奏会を目指したいものです。
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