≪愛響とわたし≫

わたしの愛響  大城陽子(ヴァイオリン)

 昨年の暮れ、この原稿を依頼され昔を振り返ると、今自分が愛響に入って弾いていることが夢のようです。小さい頃からヴァイオリンは岩井先生に習っていましたが、じっと立って練習することが苦手で、あまり出来の良い生徒ではありませんでした。当時の関心事は音楽より運動で、鉄棒のなになにが何回できるとか、運梯の何段とばしに挑戦するとか。またTVの「巨人の星」や「サインはV」にあこがれて野球やバレーポール等々に興じる毎日。挙句の果てに学校が終わってからもそれらに熱中しすぎて手にマメを作り遅く下校しては、母にこっぴどく叱られ、泣く泣くヴァイオリンを弾いたものでした。
 愛響の演奏会は小学校の時から聴きに行っていました。ただ、やはりじっと座ってきくことは、なかなか苦痛だったようです。それでもいつの演奏会だったか、子供心に何か感じたのでしょう、「くるみ割り人形」が気に入ってしまい演奏会から帰宅すると家のレコード盤の中からその曲を探し出し、馬鹿のひとつ覚えで幾度となく聴いた思い出があります。
 愛響での初舞台なるものは高校の2年の冬でした。器用貧乏の妙な頑固さでヴァイオリンは続けていまして、諸先生方の配慮と勧めで参加する運びとなりました。言うは易し、行うは難し。最初はうれしかったものの楽譜をもらってから顔面蒼白。まずは量の多さに圧倒され、中味はといえば見慣れぬリズムパターンの応酬に難解16分音符のオンパレード。実際個人練習するにいたっては、自分の技術の未熟さを痛感しノックアウトでした。指揮者入りの練習の時は、伴先生に「そこは譜めくりが遅い!」と注意され、弾く方もテンポについていけなかったりで、練習からの帰路、くやし涙をためてとぽとぽ独り帰った記憶があります。本番も近づいたある日には、右ひざを負傷して参加が危ぷまれたこともあり、本番まで何かと波乱のあった初舞台でした。その後、受験の年に入り、そして大学も県外だったので愛響とは5年間全く疎遠になっていました。
 愛響に再び参加、正式に入団したのは大学卒業と同時でした。広島大のオケでは、良き指導者、良き仲間たちに恵まれ、多くの経験と多くのことを学びました。その多くの収穫を今活かせる場を与えられオケの楽しさを存分に満喫できるのは、愛響あってこそなのです。経験を生かせずにいる仲間のことを思うにつけ今の自分の幸せをつくづく思うのです。


ポーズ  重松映子(ヴァィォリン)

 年末にこの原稿の依頼を電話で受けたとき最初に頭に浮かんだことは「まあよりによってこんなときに順番が回ってくるなんて」という思いでした。毎回プログラムの中のかなりの頁をさいているこの「愛響とわたし」には、団員のオーケストラに対する真蟄な思いや、強烈なまでの愛情が伝わってくるような文章が寄せられているのを知っていましたが、私はといえば、今回のコンサートは(出演を)降りようかとさえ思っていたからです。これまでに十数回の愛響のコンサートに出演しましたが、どれ一つとして、同じ気持ちの持ち方やテンションで臨んだことはありません。さらさらと水が流れるように自然な気持ちで迎えたこともあれば、相当な気合いを入れて没頭したこともあります。
 今回は音楽用語でいうポーズ(間)とでもいうのでしょうか。音楽の流れの中で、音と音との間にある休止の状態がでてくることがありますが、まるで自分の心の中に、愛響に対するぽっかりとした空間を感じているような気持ちなのです。熱心な団員の皆さんには本当に手を合わせたい思いですが、こういうポーズも、「愛響とわたし」という一つの音楽の中で、ある必然として起こってきたのかもしれません。ポーズの次に来る音楽を想像しながら、この自然な流れに心を委ねてみるのも自分らしいかなと思っています。
 こんな私ですから、愛響と私との関係では、一方的に愛響から「与えられている」ようです。一人でヴァイオリンを弾いても、サルが首を絞められたような音が聞こえてくるだけですが、上手な人の隣で、その人の音を自分の音と錯覚しながらいい気分で弾くことができるのも愛響というアンサンブル集団の一員でいられるおかげですし、また、故渡違暁雄先生をはじめとする楽界の名指揮者の先生方と、まなざしとまなざしとがぶつかって火花が散るような瞬間を味わうことが出来るのだってそうです。練習に行けない旨を電話で連絡するとき、「あなたがいないと淋しいわ」といって下さる団友がいることも、振りちぎりたい思いを弾きちぎらせてくれたりすることも、音楽と友人を通して与えられている喜びの一つ一つであるような気がします。
 「よりによってこんなとき」なりの思いをつづってみるつもりでしたが、なんだか自分が励まされているような気持ちになってきました。音楽は万人に与えられた喜ぴであることはいうまでもありませんが、音楽にもっと積極的に参加するための機会を幼いころから与えてくれた両親に、ここで心から感謝したいと思います。ポーズの中で見つけたこの気持ちとともに、今回のコンサートに臨むつもりです。


かっぱえびせん?  大野智也佳(ファゴット)

 毎週土曜日、2時間の道のりをクルマを飛ばして練習場へと向かいます。その日の練習曲を車内いっぱいに流して。うーん、今日も頑張ろうっ!
 愛響の練習に出かけるときの私はいつもこんな調子です。
 入団させてもらって数ケ月の新米の私ですが、考えてみると、生まれて初めて生で聴いたオーケストラがこの愛響なんです。
「えひめこどものための音楽会」と銘打った演奏会、「トランペット吹きの子守歌」や「セビリアの理髪師序曲」などを聴きました。が、遠足気分で聴きにきていた私は、騒いでいて先生にロビーに立たされたという情けないおまけつきだったのです。
あれから月日が流れ、その時舞台で吹いていた方の隣で楽器を吹き、こうして原稿を書いているのですから不思議なものだと思います。
今吹いている楽器は中学時代からの付き合いなのですが、しばらく楽器に触っていなかったうえに生来の怠けものの性格がたたって、聴くに耐えない雑音を出してばかりいるのです。当然、世間の風(?)は冷たく、トレーナーの冷たい視線、お叱りのお言葉。暗黙のうちにも追りくる冷ややかな空気。だめなのは自分が一番よくわかっているんです。でも誰かが代わりに吹いてくれるわけではなし、自分自身で何とかしなくてはいけないんですよね。次の合奏までの宿題がまた増えちゃった!
しかし、楽器を吹いて合奏に加わることができる、これほど楽しいことはありません。楽譜のうえの音符が音になり、それが幾つも重なって一つの曲を創り上げていく、何とも言いようのない快感!これを味わいたいがために私は愛響に入って楽器を吹いているんでしょうね、きっと。
やめられない、とまらない、かっぱえぴせん(!?)のような魅力をもった愛響に、私は当分の間ふりまわされることでしょう。



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