≪愛響とわたし≫1993年サマーコンサート掲載分

『英雄』は一生の思い出
佐伯容江(ヴィオラ)

 入団してから一年に満たない私が、突然このような文章を書くことになり少々戸惑っていますが、まだ何も判っていない未熟者なりに自己紹介させていただきます。初めてヴィオラを手にしたのは大学生の時です。それまで管楽器の経験は少しあったのですが、弦楽器に興味をもち大学オケに入団したのが始まりです。思い出してみると、その時点で初心者でもやっていける楽器は限られており、なんとなく、半ば必然的にヴィオラを選択したというのが正直なところです。それから、ヴィオラの魅カ、オーケストラで弾く喜びのようなものを感じかけていたところで、就職によって中断された形になりました。そんな時に愛響の存在を知り、またオーケストラに参加したいと考えるようになりました。
 丁度一年前、サマーコンサートを聴きに来て終演後楽屋口にまわり、当たって砕けろのノリで、出てきた団員の方に話を伺ったのが入団のきっかけです。入団するにあたっては、経験が浅く全くの素人である上に、新居浜市に住んでいるため練習場が遠いということから、かなり迷いました。しかし、生の演奏を聴いてますます楽器を弾きたくなっていましたし、その時お話を伺った方が大変親切であったこともあり(偶然にもヴィオラのパートリーダー、升田氏でした。その節はお世話になりました)、思い切って図々しくも参加させていただくことになりました。
 それから今日に到るまで、私は、第20回定期演奏会と今年3月のへ一ムステッド室内オーケストラとの合同演奏会に出演させていただきました。初舞台の第20回定期演奏会では、全員が一つになることによる感動を味わうことができ、この時のべ一トーベンの『英雄』は一生忘れることはないと思います。こんな素敵な感動は滅多にないだろうと思ったものです。オーケストラに参加していて良かった、そして周りの人みんなに感謝したい、そんな心境になりました。
 練習に通う道が渋滞でイライラしている時には(桜三里はよく混みます。)何故こんな思いまでして…と感じることもあります。でも、練習が始まりオーケストラの中で弾いていると、そのような思いも忘れ、、今日も来て良かったなと思えるのは不思議なものですね。私は現在、会社の独身寮に住んでいます。土曜日はいつも夜遅くまで、寮の駐車場に私の車がないということで、(あまり有り難くない)様々な想像が飛び交っているようです。そんなものは無視!して、音楽に対してそれぞれ何らかのこだわりをもっている皆さんが集まる練習場ヘ、これからも通いたいと思っています。
 最後になりましたが、素人の私を暖かく伸問に入れてくださった団員の皆さん、今日演奏を聴きに来てくださった方々に感謝いたします。そして、これからもよろしくお願い申し上げます。今日は、一年前客席に座っていた自分を思い出しながら演奏しようと思っています。

愛響と酒と骨折と
木林 真(トランペット)

 トランペットを始めていつの間にか20年になってしまった。ちょうど愛響が創立された年に始めていたというのは何かの縁だろうか。
 管楽器奏者の多くがそうであるように吹奏楽出身であるが、大学の時にはオーケストラに在籍してトランペット三昧をしており、オケの魅力にはこの時とりつかれたわけである。「学部は?」と聞かれると「音楽部です。」と冗談で返していたし、今でもこの手はよく使う。
 仕事の関係で愛媛へ来て8年。最初愛響の門をたたいてはみたが、当時トランペットパートは10人を越える大所帯。おまけに人団を順番待ちしている人もいるとかで入団はかなわなかった。ファゴットやオーボエ吹きなら重宝されるが、ラッパ吹きとなると腐るほどいるんだなと痛感した次第である。ではあるが、大学の時もオケと掛け持ちをしていたほど吹奏楽が好きであり、一般バンドに参加して楽しくトランペットを吹いていた。ここで余談になるが、時々、吹奏楽をオケに比較して低い次元の音楽のように言う方がおられるが、私はこの考え方は嫌いである。私にとっては吹奏楽の黒っぽい譜面も面白いし、またオケの、特にモーツァルトやべ一トーヴェンの白っぽい楽譜も魅力的だ。その、"おいしさ"はベクトルが異なるため比較することなど不可能であり、どちらも捨てがたい。
 そういうこともあって、久しぶりにオケで吹きたいという気持ちがかま首をもたげてきた。再び連絡を取ったのが1年半前、今度は運よく入団を果たすことができた。おまけに今回は、かねてから念願のラフマニノフが吹けるとあって大満足。この魅力からは当分抜け出せそうもないとうれしい悲鳴をあげている。その一方、前回、定演の1週間前に酔って(もちろん愛響のメンバーと飲んで!)指を骨折し、副木をあててステージに立ってしまった私としては飲み過ぎに注意し、おとなしくしている今日この頃である。

「愛響」
一一そこには愛があるのです一一
西村 淳(ヴァイオリン)

 私とヴァイオリンとの出会いは、この世に生まれてまだ3、4年しかたっていない頃のことでした。何の因果でヴァイオリンを習わされることになったのかは知りませんが、当時、右手と左手の区別さえつかなかった私が、左手にヴァイオリン、右手に弓を持って『きらきら星』でも弾いていたのでしょうか。母親以外は私の奏でる奇妙な物音に耐え切れず「早くやめさせろ、ねずみにひかれるぞ」と言っていたそうです。全くひどい話でしょ。
 私自身もいつまでたっても思うように音の出ない楽器に飽き飽きしていました。大学に入ったら学生オケ(愛大響)に入ってほしいという親の期待も裏切り、女子サッカー同好会で毎日ボールを(時々人の足も)蹴っていました。
 そんな私が愛響に入ることになったのは、当時同楽団でチェロを弾いていた同級生の誘いを受けたからです。その頃の私は長い間レッスンを受けていた先生と愛あるお別れをして、しょんぼりした日々を送っていましたので、思い切って入団することにしました。初舞台は創立15周年記念の定演で、マーラーの『巨人』という難曲でした。まともに弾けたのはほんの数フレーズで、後は無我夢中で弓を動かしただけという有様でした。でもその時、私はある種の身震いを感じたのです。「みんながひとつになっている。管も弦も打楽器もそして聴衆さえも曲の行方をドキドキしながら見守っている。今みんなの心はひとつなのだ」そんな気がしたのです。終わったとき、それまでのくよくよした自分とは別の自分が生まれていることに気がつきました。ヴァイオリンを続けていてよかったと思いました。それ以来オーケストラの魅力にとりつかれ、今日に至っているわけです。
 ところでみなさんは愛響の魅力って何だと思いますか?毎回足を運んでくださる方にはきっともうおわかりですよね。愛響の演奏にはアマチュアの熱誠があると思いませんか。プロ集団とは違った赤いエネルギーが脈打っていると思います。みんな音楽性熱病なのです。別の仕事を持っていながら、音楽を愛する心を捨て切れず集まってくるのです。そりゃあもちろん、演奏はプロのようには流れない所もあるでしょう。でも本番を迎えるまでにはいろいろなドラマがあるのです。練習さえままならないことも多々あります。こういう私もヴァイオリンを弾く傍ら、小学校の先生という世をはばかる姿もあり、忙しい時にはやめてしまおうか(仕事を1?)と思ったりもします。きっと他のメンバーもおなじ気持ちでしょう。でも、その合間をぬってでも練習しなければならず、決して、"優雅な趣味"ではないのです。ひとつひとつのフレーズにもそれぞれの思いが込められているはずです。つまり、そこには音楽に対する愛があるのです。ひとりひとりの愛が合わさり膨れ上がって、音楽が創られていくのではないでしょうか。(わあ、キザやなあ)
 きょうは、憧れの十束先生の指揮でラフマニノフを演奏できる幸せを噛み締めながら弾きたいと思います。ご来場の皆様、本日の演奏中に赤い炎がほとばしることがあるかもしれませんが、花火ではありませんのでご安心を。そして、もし私達の愛が皆様の心まで届きましたら、どうぞ熱い拍手でお応えくださいますようお願いいたします。
 最後に、私にヴァイオリンを教えてくださった先生、ねずみから守ってくれた両親、そして今日応援に来てくださったみなさんに心から感謝致します。それから、会場の小学生諸君にもお礼の気持ちを込めてひと言だけ言わせてください。
 「今日は寝るんじゃないよ!」


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