≪愛響とわたし≫1994年サマーコンサート掲載分

愛響は同級生

永野文子(オーボエ)

 愛響は一昨年20周年を迎えましたが、私は愛響創立の年の昭和47年生まれです(実際は愛響のほうが私より半年以上も早く誕生していますが)。このことを考えると、私と同じ年月を愛響も過ごしているけれど、(私と比べるのも変ですが)愛響のほうがはるかに充実し、長い歴史を感じ、発展した20数年間をおくってきているなあと感心させられます。そして発足時から今日の愛響を創り上げ、続けられている方々や、これまで愛響を支えてこられた方々の中に入って一緒に演奏することが出来る自分がとても幸せだと思います。
 私が愛響の演奏を初めて聴いたのは、サマーコンサートの前日に開かれる「えひめこどものためのコンサート」を聴きに来た小学校5年生の時でした。この時は、まだ最初のチューニングの音をオーボエが出していることも知らなかった私ですが、縁があってオーボエが大好きになり、今、四苦八苦しながら楽器を吹いています。吹き初めは中学校の吹奏楽部に入ってからですが、きっかけはすごく単純でした。音楽が好きで吹奏楽部に入ったけれど、どの楽器にしようかと考えていた時、以前から知っている先輩がオーボエを吹いていることが判りました。そこで知っている人に教わる方がいいと考えたのと、メロディーが多そうだったので楽しく楽器が吹けると思ったからです。しかし、現実はそう甘くはなく「こんなに大変なものとは」と思うことがよくありました。先ずオーボエらしい音が出ない、そして自分がリードを作るとなると音の鳴るリードが出来ない、音程はメチャクチャといった具合です。「メロディーを楽しく…」なんて夢のまた夢でした。
 今でもこれらの悩みは抱えているけれど、周囲の方々にご指導いただくことで、理想だけが一人前で、技術は初歩の初歩である私が、中学校、高校で吹奏楽を、そして卒業してからはオーケストラを経験させてもらい今まで続けることが出来ているんだなと、常々感謝しています。
 そして、単に音楽が好きで始めた部活動がきっかけで、オーボエが好きになり、お世話になった先生に、有難く愛響に入団させていただいて4年目になりました。練習中、専門に音楽を勉強されている方々やベテランの方々の中に入って、今も失敗ばかり。迷惑のかけっぱなしで、本当に申し訳ないんですが、一緒に演奏できることは、私にとってはとても勉強になります。そして皆でひとつの曲を演奏する楽しさや、コンサートに向けていい演奏に仕上げようという意気込みは、共有出来ていると思います。また練習以外でもよくお世話になっています。年齢層も職業も様々な方と出会え、自分とは違う考え方や、関わったことのない社会の話も伺うことが出来て、学生の私には社会勉強にもなります。目下私は、就職活動中ですが、とても厳しく大変で、これから先どうなるか見当もつきません。早く落ち着いてホッとしたい気持ちで一杯ですが、出来ることなら愛響をずっと続けていきたいです。そして、これからも愛響と同じ数だけ年を取っていく事になりますが、愛響の益々の発展と、自分が技術的にも人間的にも成長できることを希望し、「みなさん、これからもどうぞよろしくお願いします」という気持ちで一杯です。



すったもんだがありまして

永田美穂子(パーカッション)

 愛響こと愛媛交響楽団の演奏を私が初めて聴いたのは、私が高校に入った年でした。実をいうと高校に入るまでほとんど音楽に興味のなかった私。何のきっかけであったか忘れましたが、吹奏楽部に入部したのが運のつき!?某パーカッションのS氏に厳しいご指導をいただき、現在(どういう現在でしょうね?)に至ったわけです。
 私が初めて愛響のステージに上げていただいたのは、なんと私が高校の2年生のときでした。私が愛響に入団届を出したのが、確か大学に入った年でしたから、お分かりのようにこの時(高2)私は団員ではなかったのです。かといって、客演なんてすばらしいものではありません。本番のほんの一週間前に楽譜をいただき、理由もわからぬうちにステージにのりました。ここまでは、まあ許される話だったんです。何とその時の曲目が『カルメン「闘牛士の歌」』です。しかも、私の担当楽器はシンバル!!こんな未熟者の私にシンバルだなんて一。こんな感じでなんとか演奏会も終わりホッと一安心。こんな大事件のあった高校生活も終わりに近づきつつある3月、またもや私にドキドキの試練がやってきたのです。なんとオランダのオーケストラとの合同演奏会です。この演奏会も改めて私の未熟さを感じさせるものとなってしまいました。
 なんだかんだとありまして、やっと私も花の(?)女子大生となり、晴れて愛媛交響楽団に入団することとなりました。が、しかし、そこで私には信じられない事が起こったのです。入団届に慎重に記入して、軽い足取りで提出しに行きました。すると、「なんでぞ、お前の届はもう出とろうが」と言われたのです。そしてペラペラとファイルをめくると一ないなあ」。そうです、私は数回の演奏会参加によってすっかり団員だと思われていたのです。こんなすったもんだがありまして、喜ぶべきか悲しむべきか、私は正式に(?)愛響の団員となることができたのです。
 それから丸1年がたち、以上のような私の愛響への入団秘話を、先日ある会で(?)で数人に方にお話したところ、入団届を受け取った本人・Nさんが大笑い。「そういうこともあったなあ」なんて、まるで当たり前のようにおっしゃるのです。もう1年たってしまえぱ私にとっても、大事件は笑い話となってしまいました。そう、愛響とはそういうところなのです!?
 なんだかこの文章、愛響への不満を書き並べているかのようですが、決してそうではありません。私にとっても愛響とは、こんなにも関わり深いものである!ということなのです。まだたった1年ちょっとしか活動はしていませんが、短い間に多くのことを勉強させていただきました。愛響は私にとって、勉強の場であり、楽しみの場であり、くつろぎの場なのです。ドキドキしたり、ホッとしたりと大忙しの楽団ではありますが、私はこの愛媛交響楽団が大好きです。そして、たくさんの感謝を送りたいと思います。まだまだ、勉強不足の私としては、この先ずっと、どんどん愛響のお世話にならなくてはいけないようです。これからもこのすてきな愛響でがんばれますように一。


言い張ってフルート

河端亜妃(フルート)

 私とフルートの出会いは、今から5年前の大学1回生のときである。フルートの付き合いも今年で6年目に突入した。
 私はそれまでブラスでアルトサックスを吹いていた。勿論、大学に入ってもアルトサックスを続けるつもりであった。しかし、オケの部室を訪ね「アルトサックスが希望なんです」と言ったところ、「うちのオケでは、現代曲はやらないから、サックスはチョットなあ…」「サックスがいいんだったら、ジャズ研にでも入れば?」と冷たく言われてしまったのである。けれども、大勢で一つのものを作り上げる楽しさが好きでブラスに所属していた私は「いや、大勢でやるほうが好きなんで、ジャズ研よりはオーケストラのほうがいいんですけど」と食い下がり、「じゃあ、弦楽器なんかはどう?」といわれながらも「管楽器がいいです」と言い張った。
 まあ、こんなやり取りをしばらく続けたのち、結局私は親友が吹いていたフルートを新たなパートナーとして選ぴ、めでたくフルート希望者になって(このあと、フルート希望者の中から2名だけが、フルートの一回生として入部できるのだが)、熱意だけを買ってもらって無理やりフルートパートに入ったのであった。これが(長くなったが)私とフルートの出会いである。もちろんオケとの付き合いもこの時から始まった。
 私は、今でこそヴァイオリンに憧れ、「ヴァイオリンを習いたい」などと思っているが、そのころはブラス出身者だっただけに弦に対する憧れなど微塵も持っていなかったし、弦楽器の表現力の素晴らしさを理解していなかったので、どうも、弦楽器の音になじめなかった。しかし、管楽器の先輩たちは、「最初は慣れないと思うけど、聞き馴れると絶対オケがよくなるよ」と口をそろえておっしゃっておられ、内心(ほんまかいな)と思っていたが、一回生の夏休みに京大のブラスに入っていた友達にサマーコンサートのテープを聞かせてもらってショックを受けた。「ああ、懐かしいブラスの音」と思っていたその音を、とても雑然としたものに感じたのである。そのとき私は初めて「自分がオケの人間になりつつある」ことを知り、はたまた「弦楽器による音の繊細さとか、重厚さなどというものは素晴らしいのだなあ」と悟ったのである。それ以来、私はオーケストラが大好きである。
 さて、私は大学のときには、初心者同然だったので非常によく練習した(といっても2回生からだが)。私の入っていたオケは常任指揮者だったので、いろんな指揮者の方に出会うチャンスはなかったが、その分指揮者から受けた影響はとても大きく、また、一緒にやった仲間から受ける影響や刺激も少なくなかった。指揮者の望まれることに応えるだけの技術は持てなかったが、みんなで一つのものを目指すあの緊張感とか面自さが忘れられず、こうして愛響に入ることになった。愛響で受ける新たな風は新鮮でさわやかなものである。今日会場で聴かれる皆さんにも愛響のさわやかな風を感じていただけたらなあと思う。


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