<<愛響とわたし>>1994年定期演奏会プログラムから

最年少団員の考えたこと

井伊美紀(コントラバス)

「将来、愛響に入るんが夢なんよ」と話をしていたのが初めてコントラバスを握った小学生の頃。思い返せば、はや9年前になります。熱しやすく冷めやすい私が、まさかここまで楽器を続けるとは一一。小・中・高と恵まれた環境で昔楽をすることが出来ました。多くの人たちに励まされ、支持され続けた結果だと思っております。短大に入ってまだ間がありませんが、音楽を続けたいという私のワガママを聞いていただいて、ついに小学生の頃からの憧れだった愛響に入団させていただくことができました。
 まだ愛響に入って半年も経っていませんが、学び取ることはとても多く、週に一度の練習が何よりの楽しみになっています。特に私のパートであるコントラバスパートは、個性的な人が多く、練習はモチロンの事、練習後の集まりにも積極的に参加しております。にぎやか好きの私にとっては、とても居心地がよく、毎回一緒になって楽しませていただいております。そんな人達に手厚い指導を受け、今ではすっかりオーケストラのとりこになっています。
 今まで吹奏楽でコントラバスを続けては来たものの、はっきり言って影の存在でした。自分では一生懸命弾いているつもりでも「コントラバスの音って聞いたことない」と言われます。また、おいしいメロディーもTubaに掻き消され、おまけに指挿者からも存在を忘れられるといったくやしい思いをしてきました。でもオーケストラではコントラバスの存在が非常に重要で、自分が低音を支えているんだという実感があり、合奏の度に喜ぴを感じております。実際にオケを体験してみて、ずいぶん音楽に対する考えが拡がったように思えます。そして、あらためて弦楽器の素晴らしさを知る事が出来ました。また、吹奏楽とは違う響きの重厚さ・音の柔軟性や方向性・表現の幅広さなどといった新しい知識をも得て、私も少しは大人になったのかな(?)と思っております。
 これからも大人の魅力がイッパイのオーケストラでバリバリに活躍して行きたいと思っています。人生80年、いやいや今では「きんさんぎんさん」の時代。愛響の最年長団員になることを夢みて、これからもこの素晴らしい愛響で大好きな音楽に没頭していさたいと思っております。


愛響が与えてくれたもの

前田悦子(ヴァイオリン)

 松山というところは、長年住んでいると飽きてくる。大学受験が近づさ、私は絶対松山を出ようと決心した。そして、なんとか他県の大学へ行くことができた。これで受験からも開放され、親からも開放され、こんな幸せなことはないと独り幸福感を感じていた。
 さて、莫大な自由時間が獲得できたわけだが、さあ、これからこの時間をどう使おうかと考えた。そのとき思いついたのがヴァイオリンだった。思いついてはみたものの、果たして大学から始めて出来るようになるものだろうかと不安があった。しかし勇気を出し、習いたいという意気込みだけでオケのボックスを訪れてみた。すると、私と同じような考えの人がたくさん来ているではないか・…。かくして、私は彼らと励ましあいながら練習に励むことになった。
 それから3年後の夏、突然松山から演奏依頼の話が来た。国民文化祭に参加してほしい、というのだ。このあいだ始めたばかりの初心者にもこんな機会を与えてくれるのか、とみんなで大喜びし参加することにした。本番前のリハーサルの日。前のほうで座っている愛響の人達が、しっかり弾きこんだ風で、カッチリと弾いている。仕事をしながら、あれだけ弾けるようにしているのだからすごい。大学を卒業したら、ああいう市民オケに入って続けていきたいと、同じ大学から参加したメンバーで口々に言っていたのを覚えている。
 それから3年後、私は松山に帰ることになり、すぐ愛響に入れてもらった。しかし、学生の時のような意欲はすでに簿れ、ただ続けているだけだった。そんなある日、またもや願ってもない話が来た。ある指揮者から出たヨーロッパ演奏旅行の話である。曲が難しいので、どうしようかと思ったが、せっかくのチャンスなので参加することにした。この旅行は本当に実りの多いものだった。演奏面でも刺激を受け、学ぶところがあったし、海外での違った生活習慣や考え方に触れ、自分の知っている世界の狭いことにも気付いた。
 この2つのチャンスを与えてくれた愛響に感謝!今では、松山もそう嫌いではなくなっている。これも愛響のおかげだろう。


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