<<愛響とわたし>>1995年第22回サマーコンサートプログラムから
音楽の授業で一番誉められたのは、中学生の頃、笛のテストで息継ぎのタイミングが非常によいということだったのを覚えています。
そんな普通の生徒だったので、クラシック音楽といえば授業時間と、テレビ・ラジオから流れてくるものといった程度の認識しかなく、作曲者や曲名まではまったくと言っていい程知りませんでした。それでも、好奇心から曲名を調べてみたりして少しは興味があったことを覚えています。しかし、子供の頃からなぜか西洋音楽はどことなく都会的、おしやれ(ハイカラ)な感じや臭いがして、田舎育ちの者にとっては、何か高級で手の届かないもののように思っていました。結局のところ自分の想像(妄想)の中で勝手に上流社会(お金持ち)のお嬢ちゃんお坊ちゃんの専売特許のように決めつけていたのではないかと思います(このようなイメージをお持ちの方、多いのではないでしょうか)。
そんな中で、ポピュラーな楽器を自由自在に操る同級生(ブラスバンド、ロックバンド)は、私にとって「すごい奴」だったのです。そして、いつか自分も実際にポピュラーな楽器を演奏して「すごい奴」の仲間入りをしたいと思うようになりました。そこで、この思いを達成するために、大学へ入学後「清水の舞台」から飛ぴ降りたつもりで大学のオケに飛び込み、ファゴットというパートナーを得るにいたりました(ファゴットは、とてもポピュラーな楽器とは言いがたいのですが一)。
卒業後就職して、楽器を演奏する機会などもうないだろうと半ば諦めていました。ところが、ひょんなことから愛響の存在を知り、迷惑をかけるかも知れないけれどもう一度あの演奏会の舞台に立ってみたいと思い入団しました。ところが、入団してみてぴっくり、自分たちの学生オケと比べると個人のレベルが高く、練習の密度が濃く、週1回の練習がいつも驚愕のうちに終わり、自分の未熟さとふがいなさを痛感させられたものでした(今でも冷汗と脂汗を流しながらやっとこさっとこついていっている感じですが・……・)。
時の立つのは速いもので愛響の門を叩いてから、はや6年の歳月が経とうとしています。
そんな頃に「愛響とわたし」の原稿を頼まれ、一体何を書いたら良いのかわからず「『愛矯と私』なら面白いことが書けるのになあ」などとくだらないことを考えながら、そして締め切りを気にしながらペンを進めています。
最後になりましたが、自己満足に終わらない、「聞きに来てよかった」と一人でも多くの方に思ってもらえるような演奏でありたいと思います。そのために、一生懸命練習し自分が心ゆくまで音楽を楽しみたいと思います。また、こんな気持ちが伝われば幸いです。乱文失礼しました。
私は大学への入学を機会に、ずっと憧れていたヴァイオリンを手にし、オーケストラに入った。もうかれこれ6年近くも前のことである。こわごわ練習に参加し、自分の間違った音が聞こえないように、小さな小さな音で弾いていたあの頃。その4年後には、なんとか交響曲まで弾くようになったのだから、「我ながら成長」である。
しかし、あのころ成長したはずの私はどこへやら、愛響の練習に初めて参加したとき、やはり、こわごわなのであった。いろんな世代や職業の人に囲まれて、私はまたもやl年生。不安と緊張の中で迎えた記念すべき初舞台は、べ一トヴェンの「第九」だった。あれからl年。現在愛響2年生の私は、やっぱりドキドキしながら、それでも楽しく練習に参加している。
そんなある日の練習のこと。
曲目に、<リュートのための古代舞曲とアリア第3組曲>。私の大好きな曲である。この第3曲めの「シチリアーナ」は、とてもゆったりとしたメロディが延々と流れるその裏で、淡々と弓を「跳ばし」ながら弾かなければならないパッセージが続く。もちろんメロディはlstヴァイオリン、「跳ばし」は私が弾く2ndヴァイオリンである。この「跳ばし」がちょっとしたクセモノで、CDで聴くとなんとも美しいその笛所も、自分が弾くとなると、なんとも恨めしく思える。それでも合奏練習でなんとか弾き終えると同時に、「弓は半分よりちょっと先を使って」「音出しは頭をそろえて」等々の注意点が指揮者から指摘されたあと、繰り返し練習する。ピアニシモだと思うとよけい難しく感じるのは私だけだろうか。こういう所をきれいに弾けるようになりたいなあと思う。また、第4曲めの「パッサカリア」は、ドラマティックな感じで素敵な曲だと思うのだが、重音(2つ以上の音を同時に弾く奏法)が多くて、なかなか難しく上手くいかない。これも練習あるのみかしら。
繰り返し、繰り返し練習して演奏会に臨むということ、オーケストラで音楽をするということは、大きなまとまりの中のひとつの部分になるということである。これはとても難しく、またゾクゾクするほど楽しいことでもあると思う。この幸せを噛みしめながら、今日も精一杯演奏したい。
人前でなにかをするとき、「緊張」はつきものである。
人前で話す、これは何を話すかさえしっかりしていればそんなに苦にはならないし、だれか一人をターゲットにして、その人に向かってしゃべれば終わりにたどり着けそうな気がする。
しかし演奏となると話は別だ。愛響で、はや5年。それ以前には室内合奏、吹奏楽といろいろな機会で本番の舞台を経験したが、いつも緊張というものがついてまわる。
演奏とは人前で一種の“自己表現”をするわけだから、自分というものに自信がなくてはやっていられない。自信を持つためには色々な要因が考えられるが、演奏の場合はそれなりの裏付け、すなわち「練習」が必要になってくる。いかに自信を持って自己主張できるかで、緊張するかどうかが決まってくる。
時間に余裕がある学生時代、暇さえあれば楽器を持って音を出していた頃は、ひとつの曲をすっかり飽きてしまうまでさらって(練習して)楽譜がなくても音を並べることが出来た。だから自信たっぷりというわけではないが“人前で演奏するのが恥ずかしい”という「緊張?」さえなんとかなれば、それほど緊張しなかったようである。
では現在はどうか。社会人としての務めを果たしながら、なおかつ愛響に参加するのは正直いって大変である。練習時間はどうしても限られてくるために、いかに効率よく練習するかが重要になる。週1回の練習日は貴重な時間で、指揮者(トレーナー)、団員真剣勝負の合奏は気が抜けない。今回の演奏曲目は私にとっても指揮者にとっても(だと思う)格別の思い出のあるものだけに余計にカが入る。自信を持って自己主張したつもりが指揮者により一蹴されることはざら。手は震え、目は虚ろになり、意識が遠くなって自分の心臓の鼓動しか聞こえなくなる。体温は急上昇し、汗腺が一気に開いて汗が噴出してくる。楽器に息を吹き込んているつもりが空振りになり、あとは泥沼である。難しいパッセージを「特訓?」してなんとか乗り切れるかなと思っていても、指揮者御指名で吹かせていただくと、これはもう“過緊張”。指が暴走するか、ストライキを起こすかである。たま〜に、すんなり時間が経つこともあるが、本当は、単に指揮者が“あきらめ”の境地に達しているだけかも知れない。
これが本番になると、更なる“過緊張”状態を迎える。大勢の聴衆、まばゆいばかりのスポットライト、広々とした舞台。この“広々”というのが曲者で、自分の音しか聞こえなくなってしまうのだ。舞台にたった独りぼっちでいるような錯覚に陥りそうである。まわりをグルリと見回してみると緊張を絵に描いたような団員がいるわいるわ。
“四国の片田舎から東京へ初めてたった一人でやって来て地下鉄丸ノ内線に乗る”状態に置かれて、練習と同じ演奏が出来れば、自分に拍手喝采。吹いているうちに自分の音と他の人の音が渾然一体となって湧き出で、ホールの天上から降り注いでくるように聞こえれば、筆舌に尽くしがたい幸福感に浸ることが出来る。過去に一度だけ体験したことがある(と思う)この幸福感を得たいがために、愛響に参加して「緊張」と戦いながら楽器を吹いているのだろうと思う。
さて今回の本番はいかが相成りますか?間違っても本番直前に運指を替えるとか、リードを換えるとか、普段と違うことをするのは事故(後悔)のもと。ましてや楽器を壊したりしないように肝に命じて本番に臨むことにしたい(過去の過ちは繰り返してはいけないという教訓である)。