<<愛響とわたし>>1996年第24回定期演奏会プログラムから



出会い、そして・・・ 長田いづみ(パーカッション)

私と打楽器の出会いは、高校に入学した年のことでした。なんとなく吹奏楽部を見学しようと音楽室へ行ったところ、合奏の音に圧倒され、さらに担任が顧問の先生だったということもあって入部した後、楽器選びのときに「じや、打楽器をする?」と言われてスティックを渡されたのが始まりでした。そのときは、お世辞にも器用とはいえない私のこと、いざ始めてみると、思うように腕が動かず、慣れないうちは、腕が筋肉痛になったり、指の皮が剥がれたりと、悪戦苦闘をした覚えがあります。そんな私が、周囲の方々のご指導をいただきまして、今日に至っています。そして、短大に入学したときに愛響に入団させていただいて、はや5年目となりました。初めて愛響の練習に参加したときは、緊張と不安でいっぱいでした。時が過ぎても、ドキドキはあいも変わらずのようです。、ドキドキ、にも、緊張のドキドキ、不安のドキドキ、心地よいドキドキなどさまざまですが、少しでも心地よいドキドキを感じられればと思っています。しかし、現実はまだまだ遠く、己の未熟さを痛感しています。と同時に、勉強になることもたくさんあり、愛響では、とても貴重な時間を過ごさせていただいています。まだまだ、未熟者の私ですが、精神的にも技術的にも成長できるよう、がんばっていきたいと思っています。このすてきな愛響のなかで一。



オーケストラの楽しみ  三好真紀子(オーポエ)

何ごとに対しても広く浅くつき合っていく私が唯一くされ縁のように10年以上もつき合っているのが、オーボエである。ここまで長くつき合ってこられたのは、楽器自体が好きだったというよりは、合奏に大きな喜びを感じていたからである。といってもオーボエを始めた頃は、そのようなこととは、ほど遠いものだった。初めてオーボエを手にしたのは、中学一年生の時、顧問の先生に勧められて始めたものの、吹いてみるとやけに苦しく、そして指使いが難しい。中学校の3年間は音もろくに出なくて、合奏ではいつも目立たないように小さくなっていた思い出だけが残っている。そんな私が合奏を楽しいと思い出したのは、大学でオーケストラを始めてからである。オーケストラでのオーボエは、けっこう重要なポジションを与えられている。吹奏楽とは違って、トランペットと一緒に旋律を吹くことも少なくなったし、美しいメロディーがしばしば楽譜に出てくるようになった。大学2年の時、当時入っていた社会人オーケストラで、初めて交響曲の1stパートの楽譜を渡された。しかもべートーヴェンである。この曲は、私の実力以上の難曲で、合奏・分奏ともに大変苦労したのを覚えている。それまでの吹き方では、到底この体力のいる交響曲を吹くことができないと思い、吹き方から直していった。いかに高い音を楽に出すかが一番の問題で、くる日もくる日も悩みながら練習し、ある日、ふとコツをつかめたような手応えがあった。そして本番の日、まだまだ未熟ながらも、自分の中では大成長。以前より楽に高い音を出せるようになっていたのである。そしてこの時初めて本番の演奏をしながら、気持ちいい、楽しいと思ったのである。自分も確かにこの曲を作り上げていくメンバーのひとりで、一つのパートを受け持っている。それは、コツコツと練習して得られた喜びだった。このような出来事を機会に、社会人になってもオーケストラを続けていこうと思った私は、就職のため松山に帰ってくると同時に愛響を訪れた。そして晴れて入団し、初めて練習に参加して見たのは、懐かしい顔・顔・顔。中学時代にお世話になったトレーナーの先生、高校の先輩、そして関西の大学のクラブの先輩にもお会いできたのである。こんな風に昔の知り合いの方々と再ぴ一緒に演奏できること、年齢・職業を超えて一緒に曲を作って行くことは、本当に楽しいことだと思う。これが社会人オーケストラの醍醐味ではないだろうか。この伝統のある、そして地元の人たちに愛されているオーケストラで演奏できることは、とても幸せなことである。これからもずっとオーケストラの楽しみをかみしめながら、味わっていけたら一と思う。


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