<<愛響とわたし>>1998年サマーコンサートプログラムから
愛響が誕生した年に、私も産声をあげてからはや○○年。幼いころ、母に手を引かれて聴きにいった愛響。いつか私も、こんなオーケストラの中で演奏してみたいと思っていたのが、ついこの間の事のようです。世間でよくあるように、私も小さい頃はピアノやエレクトーンを習っていました。でも、なかなか練習する気になれなくて、「ほかの楽器のほうが楽しそうだなあ」なんて感じていました。そんな時、母が吹いていたフルートを手にしたのが、私とフルートとの出逢いです。
以来15年。練習嫌いも少しは治り、3人の素晴らしい師との出逢いは、ますます私をフルート好きにしてくれました。
フルートという楽器は、いささか人口密度の高い楽器で、吹奏楽団とオーケストラとに係わらず、出番がなかなか回ってこない楽器です。ところが幸運(本当に?)にも、入団1年目のサマーコンサートで「ローマの松」の1stの譜面を手渡されました。初めてオーケストラの中で吹く緊張から、私の小さな心臓は、口から飛ぴ出しそうなほど暴れ出し、手にはビッショリ汗をかき、おまけに震えだして止まらないありさまです。練習のとき、回りの話し声が自分の拙さを責めているように聞こえてきて、ビクビクしながら吹いていたこともありました。思うように吹けない悔しさと情けなさで、帰りの車を運転しながら、何度涙を流したことでしょう。まだ若くて純情な1年目でした。
年齢も仕事も多種多様な皆が集まって、一つの曲を仕上げていく過程はなかなか根気のいる作業ではあります。しかし、緊張を乗り越えて、無事演奏し終えた瞬間の解放感と鳴りやまぬ拍手。このゾクッとするほどの感動を一度味わってしまうと、また一緒に演奏したくなるのですね。
子供のころの夢もかない、素敵な人達とも知り合うことができました。そんな愛響で演奏できることを本当に嬉しく思います。そして、聴きに来て下さる方々の心を揺り動かす演奏が出来るよう、これからもずっと愛響と一緒に、素敵に年を重ねられたらと思っています。
練習日が待ち遠しい 道下仁朗(チェロ)
楽器は大学のオーケストラに入って始めた。大学オケといっても、学生数2千に満たない単科大学の管弦楽団である。部員数も少なく、はっきり言って弱小オケであった。新入生勧誘のために演奏されたモーツァルトの交響曲はあまりにお粗末で、最後まで聴くことが出来なかった。
それでもオーケストラに入ることは高校時代からの夢だった。真っ先に入部し、大学生活はオケを中心に回った。下手でもそれなりに楽しむことはできるもので、練習日が待ち遠しかった。ただ、それは音楽を楽しむためというよりは、仲間と遊ぶため、といった方が正しかったかもしれない。
何年かの空白があって、楽器を手に入れ、愛響に入った。いきなり、イタリア綺想曲の練習が始まった。久々の楽器、弾けるわけがない。「もっと、楽器に慣れてから参加するんだった。」内心後悔しながら、それでもなんとかついていこうとあたふたしていると、突然、聴き慣れたフレーズが間近で聞こえてきた。続いて、管のファンファーレが響いた。「凄え。」演奏に酔った。これはたまらない。なんと、ここは特等席ではないか。大学時代に知り、演奏したいと思ったものの、レベルが高すぎると諦めていたイタリア綺想曲の生演奏を、ど真ん中で聴いているのである。自分が弾けないことなど、どうでもよくなった。しばし音楽のよろこびに身を浸した。
なるほどと思った。オーケストラのよろこびとは、生の演奏を間近で、しかも練習の度に聴けることだったのだ。昔、夢中になったあのメロディーを、オーケストラのど真ん中で、思う存分聴かせてくれる。こんなことは大学時代にはなかった。
練習日が待ち遠しくなった。今度は、本当の音楽のよろこびに浸るために。